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徳川家康が関東入部した段階で、四天王は十万石前後与えられたようですが、一万石以上の領地を与えられていたのは誰だったのでしょうか?何人くらいいたのでしょうか。

関東入部の段階で、従五位下以上に叙任されていたのは誰でしたでしょうか?

A 回答 (2件)

徳川家康が関東に威風された時点での万石以上は42名で、井伊、本多(3名)、榊原(2名)、酒井(2名)、結城、松平(10名)、大久保(2名)、鳥居、平岩、小笠原(2名)、奥平、内藤(2名)、牧野、石川、高力、菅沼(2名)、土岐、伊奈、諏訪、保科、木曾、岡部、久野、三浦、北条、皆川の各氏です。

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官位については、家康、秀忠、結城秀康、酒井忠次(ただしこの時点ではすでに隠居)、本多忠勝、井伊直政、榊原康政は官位をもっていましたが、他については調べていません。


なお、四天王の石高は井伊12万石、本多、榊原10万石で、酒井忠次の子の家次は3万石でしかありませんでした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
42人も万石がいたのですね。
結構多かったのですね。

お礼日時:2005/11/13 19:34

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