No.2ベストアンサー
- 回答日時:
日本の庶民の性意識は、非常に「おおらか」なものでした。
混浴について、ペリーは「日本人は道徳的な民族だが、一方ではたしかに淫蕩である」と嫌悪感を示していますが、幕末のオランダ人医者ポンペは「彼らは性の区別を意識しないから、少しも見苦しくない」と書き記しています。また明治時代に日本に滞在したチェンバレンという人は「日本ではヌードは見られるが、眺めるものではない」と書いており、庶民の間では人前で肌をさらすことは、とりわけ淫らなこと、恥ずべきこととは意識されていないことがいえます。
昭和30年代ころまでは、人前で子供に乳を飲ませたり、(田舎ですが)女性でも服のすそをからげて「立ちション」してましたね。また子供のころ(S40ころ)よその家にお使いに行った時、奥さんがほとんど裸に近い状態で出てきてビックリしたこともあります。
これが「淫ら・恥ずべきこと」である、とされるのは武士社会における儒教の教え(男女七歳にして席を同じうせず)の所以であるところ大です。また、明治に入ってからは、政府の文明国家の体裁を整える目的もあって混浴禁止が徹底されます。
しかし、江戸時代は混浴とはいっても、幕府の触れもあり「入込湯」といって浴槽の中を2つに仕切っていました。もっとも上の方だけで、湯の中の下方は自由に行き来ができました。この点で、淫らな行為に及んだ者もいたでしょう。しかし男と女では、入浴の時間帯が異なり(男は仕事帰りに、女は昼間)ということで、そう頻繁ということでもなかったのでは。
女性湯に入る特権をもっていたのが、八丁堀の同心でした。隣の男風呂での会話に耳をすまし、情報収集にあたったようです。
江戸の風呂屋というのは「裸になってしまえば皆同じ」ということもあり、庶民の社交場・娯楽場であるとともに、おとなが大人が子供に教訓を授ける教育の場でもあったそうです。
No.4
- 回答日時:
幕末に清国、日本を旅行したシュリーマンは上陸地の横浜での光景をその旅行記のなかに次のような記述があります。
「夜明けから日暮れまで、禁断の林檎を齧る前のわれわれの先祖と同じ姿なった老若男女が、いっしょに湯をつかっている。彼らはそれぞれの手桶で湯を汲み、ていねいに体を洗い、また着物を身に着けて出て行く。「なんと清らかなそぼくさだろう!」はじめて公衆浴場の前を通り三、四十人の全裸の男女を目にした時、私はこう叫んだものである。
自国の習慣に従っていきているかぎり、間違った行為をしていると感じないものだからだ。そこでは淫らな意識が生まれようがない。父母、夫婦、兄妹、すべてのものが男女混浴を容認しており、幼いころからこうした浴場に通うことが習慣になっている人々にとって、男女混浴は恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。」
上記のように外人が見て驚嘆するぐらい混浴は日本人にはあたりまえことで禁止されたのは明治維新後だそうです。
No.3
- 回答日時:
そのことについては、参考URLの本に詳しく解説してありました。
要約すれば、銭湯や行水など当然の生活行為として裸になることには、彼らには羞恥心がなかったそうです。
それまで街中にありふれていた春本や、大人のおもちゃの類が店先から消えていったのも、西洋の道徳観が入ってきてからだとか。
たいへん興味深い内容なので、是非ご一読なさることをお奨めします。
参考URL:http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
No.1
- 回答日時:
銭湯は江戸では「湯屋(ゆうや)」と言っていました。
混浴で、しかも屋内の熱を逃がさないために窓などが少なく薄暗かったそうです。そのために、若い女性にいたずらをする男性はけっこういたようです(湯屋にかかわる川柳にそうしたものがあります)。少なくとも年頃の若い女性には嫌なものだったでしょうね。
ただ、薄暗い湯屋において裸を恥ずかしがる感覚があったかどうか。湯屋にいかないまでも長屋の表で行水を浴びたりする世界ですしね。
ただ、当時は京都の話ですが、道路の交差点の真ん中に大きな桶がおいてあり、そこへ男女ともに立ち小便をしたという話があります(一種の公衆トイレですね)。
こうしたこととか考えると、現在に比べて多少「羞恥心」のあり方に差違はあったかと思います。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 歴史学 江戸時代の銭湯は 11 2023/07/11 22:17
- 政治 ガーシー議員は、29万票を取って当選されましたが、これは江戸時代の大大名の石高に匹敵しますね? 44 2023/03/10 10:04
- 歴史学 【日本史】徳川家の江戸幕府の江戸時代がずっと続いた長続きした最大の理由を教えてください。 6 2023/05/08 00:06
- 歴史学 江戸時代の庶民の夫婦間の貞操観念は今とは違ったのでしょうか? 江戸初期は女性が少なく多数の男性と子を 5 2022/03/31 19:51
- 歴史学 時代劇の水戸黄門とは、権中納言である江戸時代の水戸藩主・徳川光圀の別称かつ、徳川光圀が隠居して日本各 6 2022/09/15 10:18
- 歴史学 【江戸幕府の参勤交代はなぜ必要だった?】日本史の教科書では各藩主が江戸幕府に反乱を 4 2022/12/07 22:02
- 歴史学 江戸時代の日本人の道徳レベルは猿並みでしょうか? 3 2022/09/12 19:31
- 医学 医学の進歩は遅いのでしょうか? 科学は日進月歩ですが、医学はあまり進歩していないように感じています。 6 2022/10/28 18:31
- 医学 【日本史の医学】徳川家は胃がんで無くなっている将軍が多いですが、江戸時代の国民も胃がん 5 2023/02/19 20:32
- 政治 日本人の給料の半分が税金として吸い上げられています。今年度の国民負担率(国民の所得に占める税金や社会 7 2023/02/24 21:22
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
戦国時代の江戸についてです。 ...
-
なぜ飛脚は馬ではなく人力で走...
-
江戸時代の飛脚は一人当たりど...
-
江戸時代家一軒の値段は?
-
江戸時代においての愛
-
42両は今の貨幣価値でいくら...
-
飛脚は一日どれくらい走ってい...
-
旧里帰農令はさみしい。
-
「箱根の山は天下の険」といわ...
-
江戸十里四方所払い
-
江戸時代のギャル文化、平安時...
-
江戸っ子は何故せっかちな性格...
-
菱垣廻船ー?
-
昔は川を利用して物資を運んだ...
-
江戸時代迄の洗髪に関して
-
沖田総司ってかなり過大評価さ...
-
北町奉行と南町奉行って、どち...
-
徳川政権の傭兵
-
江戸時代の飛脚の料金
-
1580年代の平戸松浦氏の居城に...
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報