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以前TVで江戸時代に300人ほどオランダに傭兵を派遣したことがある、というような内容を見たのですが、それって本当でしょうか?
うろ覚えなので国とか人数とか「傭兵」っていう感覚も違うかもしれませんが…。
東照宮にあるオランダからもらった灯篭となんか関係あるんでしたっけ?
どうもよく覚えていないのですが、その江戸時代のオランダ派遣兵について良い本やサイトなどがあればぜひ教えて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

私は、そのような話をTVでもその他のメディアでも聞いた事が無いので、以下に申し上げる事は全て推測ですが、



・1635年の(第三次)鎖国令で、海外渡航及び在外日本人の帰国が禁止されたので、もしあったとしたら、それより前の話。
・「東照宮にあるオランダからもらった灯篭」とは、正しく言えば、オランダ東インド会社が送ったもの。(参考URLの前の方)
・戦国末期から江戸時代初期にかけて、東南アジアに日本人が進出・殖民したのは、よく知られている事で、その中には現地の支配者(オランダ東インド会社も含む)の傭兵になったものもいた。その中で有名なのがタイの山田長政。

ですから、オランダ東インド会社に傭兵として日本人が雇われていた、というのであれば、よくわかります。それだけを扱ったものではありませんが、参考URLの後の方のような本もあります。

参考URL:http://dendo-annai.blog.ocn.ne.jp/nikko/2005/09/ …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そういえば、東南アジアの日本人だったような気もします。安直に、日本人だから徳川政権が送ったと勘違いしてたかもです^^;。
こういう何百年も昔に海外にいた日本人がどうなったのか調べられると面白いですね。
参考URLどうもありがとうございました。

お礼日時:2009/12/13 17:22

江戸幕府政権というのは、幕末のもう開国しないとどうしようもないという時代にもならない限り、海外渡航厳禁でした。

ペリー来航のときに吉田松陰がペリー艦隊に乗ってアメリカに連れて行ってもらおうと思って結果牢屋行きになった話は有名です。

どのくらい海外渡航厳禁だったのかというと、たまーに日本の船が難破して漂流しロシア(シベリア)に流れ着くということがあったのですが、彼らはもう日本への帰国を諦めなければならないほどでした。
大黒屋光太夫という人がなんと延々と陸路でサンクトペテルブルクにまで行って帰国したというのがあるのですが、彼らの帰国に江戸幕府はとても困惑し、帰国後彼は江戸にある寺でほとんど幽閉のような扱いをされたほどです。

ですからその話を私も知りませんが、おそらくそういうことはなかったであろうと思います。なにしろ、林子平という人が日本の周囲の国(ロシア、アイヌ、朝鮮、沖縄)を紹介した本を自費で出したら幕府に見つかって焚書されたほどです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/14 16:14

 逆なら思いつくのですが…。



 島原の乱の時に、長崎奉行がオランダに依頼してデ・ライプ号とベッテン号が島原に回航、海上から砲撃を行った後に、砲5門を陸揚げして城内への砲撃に使用しています。
 (ただし、外国人の助けを受ける事への批判が高まったため、松平信綱は砲撃を中止させています。)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F% …

 なお、No1さんの仰った山田長政に関しては、オランダの資料(オランダ商館長、ファン・フリートの「シャム国王位継承革命戦記」)にシャム国(現在のタイ)の日本人傭兵のリーダー「オークヤ・セナピムク」という人物がいた事が記述されており、一般的にこれが山田長政の事を指していると言われています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
逆もありましたね。何百年も前に日本に来た外国人、という例もとても面白いと思います^^。

逆にNo.1さんのような

>オランダ東インド会社に傭兵として日本人が雇われていた

というような例があればそれも知りたいな、と思いました。

お礼日時:2009/12/13 17:52

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