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教育 > その他(教育)
で 質問させて戴いたのですが、丸4日間で アドバイスも戴けないので 削除してこちらに質問させて戴きます。
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教育関係 まったくのド素人の40代オヤジです。
(こどもを義務教育中の保護者です。)

Deweyさんの本を読むと100年前の内容とは思えずビックリですが、実際に100年くらい経っているので Deweyさんの著書を読むにあたっての注意・考慮したほうが良い点(社会状況の変化など)がありましたら 教えて下さい。
(「こんな本も読んだほうが良いよ」などもお願いします。)

また、小学校の先生などは Deweyさんの関連は、知っているのが前提なのでしょうか?(変な質問??)

たまたま、
「アメリカの反知性主義」と言う本を読み、その中に John Deweyさんが引用されていたので、
(この本で初めて ジョン・デューイと言う名前を知りました。)
・経験と教育
・学校と社会
・こどもとカリキュラム
を読みました。

次は、
・民主主義と教育(今 読み中)
・ジョン・デューイの政治思想
を読む予定です。

いづれも、日本語訳で読んでいます。
条件節が長く 読みづらいですが、3回くらい読むと「なんとなく」わかります。

もしかして、原書(英文)で読んだほうが理解しやすいでしょうか?
(って 入手できるのかわかりませんが)

だけど もしかして、デューイって 全然 教育界では認められていなかったりして・・・。

A 回答 (8件)

教育学を勉強した者としてアドバイスします。



>Deweyさんの本を読むと100年前の内容とは思えずビックリですが、実際に100年くらい経っているので Deweyさんの著書を読むにあたっての注意・考慮したほうが良い点(社会状況の変化など)がありましたら 教えて下さい。

近代教育は、ヨーロッパで400年前に、米国で200年前に始まりました。日本は100年前からですので、日本の教育は遅れています。そういう社会状況では、デューイを読んでビックリするのはある意味で自然なことなのかも知れません。

Deweyさんの著書を読むにあたっての注意・考慮したほうが良い点は、どういう内容の教育がいいとか、デューイ教育学のイデオロギーは何か、というように教条的に読まないことですね。

社会状況の変化は、現在、近代学校は崩壊の危機に瀕しています。ここがデューイの時代と違います。

>現代でのジョン・デューイの解釈について

デューイは、「知識詰め込み型学校の主人公は教師である。子どもを主人公にした学校に変えねばならぬ」と言っています。そのためにデューイが一番先にやったことは何か?

彼は、教師と生徒の机が対面型になっている構造を、全部取っ払いました。つまり、学校の空間・構造・施設・仕組みを変えることから始めました。

教育を変えるとか、教育のイデオロギーを変えるとかいうことではありません。喩えでいえば、学校の「肉体」にあたる部分を変えるのです。

つまり現代でのジョン・デューイの解釈は、学校空間や学校構造にポイントがあてられています。蛇足になりますが、デューイに限らず、優れた思想は空間や構造をテーマにしています。

>「こんな本も読んだほうが良いよ」などもお願いします。

『人間性と行為』(1922)
『経験と自然』(1925)
『論理学-探求の理論』(1938)
あたりでしょうか。

>また、小学校の先生などは Deweyさんの関連は、知っているのが前提なのでしょうか?(変な質問??)

デューイを知らなくても小学校の先生でいられますから、前提とまではなっていないでしょう。卒論でデューイを扱った先生や自分でデューイを勉強している人は少数でしょうね。

>もしかして、原書(英文)で読んだほうが理解しやすいでしょうか?
(って 入手できるのかわかりませんが)

翻訳書を読んでいて論理的におかしい部分があったら、それは誤訳ですから原書にあたってみた方がいいですね。語学はできても、哲学や教育学をものにしていない人が訳していますので、翻訳書に頼るのは危険です。

でも全部原書で読むのはキツイので、「おかしい」と思った部分だけ参照すればいいでしょう。

>だけど もしかして、デューイって 全然 教育界では認められていなかったりして・・・。

デューイは常に高く評価されています。日本の教育界が、軽薄短小に矮小化しているだけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに「教条的」はやばいですよね。

ちょっと前の日本の教室って、極端に「構造化」されているような気がします。
最近、建替えると あまり「構造化されていない」教室になっているのは、影響があるんでしょうか?

ん~ 訳者は、教育学の教授のようですが・・・。
(教授といっても いろいろありますので、わかりませんが・・。)


>デューイは常に高く評価されています。
なるほどです。

お礼日時:2005/12/21 20:05

#話が本題からずれます。



>以前、こどもが担任教諭から
「(小)学校には携帯電話は持ってきてはいけません。勉強と関係ないからです。」
といわれたとのこと。

これを読んで思い出したのが、「『うざい』という言葉は日本語にはありません」と小学生に注意している先生のことでした。これを見たとき、思わず「アホか」と思ってしまいました。「では『うざい』という言葉は何語ですか?」と質問したくなりました。


>(私は 小学校に携帯を持たせる気は ありませんが)

私も、電磁波の影響が怖いので、子どもに携帯を持たせる気はありません。

ですから子どもが携帯を持ち、それを学校に持っていくと先生に注意される。また現存している言語を現存していないと説く教師もいる。そういう状況認識をもって、デューイを読むことが必要でしょう。いささかか無理がありますが、本題に近づけてみました。

この回答への補足

この場をお借りして。

皆様ありがとうございました。
いろいろと 理解しながら、デューイに関する著書を読み終えることができました。

原書(英語)の購入は、小遣いとの関係で ゴールデンウィークあたりになりそうです。

補足日時:2006/01/29 13:03
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

教諭とひとくくりとするのは、無理がありますが
そんなかた(「うざい」)もいらっしゃると言うところですよね。

理科だと こんなのもありました・・。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1502020
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今、
・ジョン・デューイの政治思想
を読み中です。
これは、大学講義用の教科書のようで、読みやすいです。
(誤植が目立つ・・。)

お礼日時:2006/01/04 10:41

NO.3の者です。



>ちょっと前の日本の教室って、極端に「構造化」されているような気がします。
最近、建替えると あまり「構造化されていない」教室になっているのは、影響があるんでしょうか?

対面式でなくなったからと言って、構造化されていないわけではありません。新たな構造化がなされています。たとえ教室から机と椅子がなくなっても、そういう構造化がなされているのです。

以前、文部科学省が、「予算を組むから、対面式の構造を変えてくれ」と学校側に依頼したことがありました。学校側はすぐには変えませんでした。多分対面式でなくなったら、何をしていいのか分からないからでしょう。

保守的なのは文部科学省ではなく、現場教師です。

>ん~ 訳者は、教育学の教授のようですが・・・。
(教授といっても いろいろありますので、わかりませんが・・。)

では語学のできない人かも知れませんね。
繰返しになりますが、知識詰め込み型の近代学校が崩壊の危機に瀕しているという歴史認識があるかどうかで、デューイ理解はまったく異なってきます。

ちなみに私は、近代学校がなくなろうと存続しようと、どっちでも構いません。ただ崩壊と存続の分岐点だけは見定めようと思っています。さらに近代学校から自律してしまう、別の<自立の文化装置、学びの場>を作ることに関心があります。

しつこくなりますが部分的でいいですから、原書と格闘することをおすすめいたします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

言われるとおり
見た目だけではないですよね。
詳しくないんでわかりませんが、総合学習で 「何をやってよいかわからない」だったような・・。

原書は 他の日本語訳の本を読んでからにします。
こづかい貯めないと・・・。
(図書館にあるかなぁ??)

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以前、こどもが担任教諭から
「(小)学校には携帯電話は持ってきてはいけません。勉強と関係ないからです。」
といわれたとのこと。
こどもには、
「お前ばかだなぁ。納得しちゃったの?『学校は勉強だけをするところなんですね?』って質問しなかったの?」
と言ってやりました。
(私は 小学校に携帯を持たせる気は ありませんが)

お礼日時:2005/12/25 21:23

たびたび失礼します。



もしよろしければ私の名前で検索していただければ私のブログにも行き着くでしょう。

私の思想(えらそうでごめんなさい)の根本は、自己を確立せずして、他者に影響を与えようとすることは空虚だということ。

デューイが教育者であると同時に哲学者であるということですが、哲学で自分を確立し、確立した自己を他者に伝える。それが教育だと思います。

現在の教育は、現実の社会の歪みのいいわけを教育でしようとしているだけと考えます。だから、教育の現場で起きていることを信じて大人になると、社会の現実との乖離にぶつかり、挫折する。そういうことだと思います。

何も、教育の現場でやらなくても、自分の目前のことに対する対応で世の中は変わってくのです。たとえ変わらなくても、挫折した自分を嘆くことで、人間の悟性は他人の良質な部分を見捨てないと思うのです。

そういう精神が社会に散見されるようになれば、ジョンレノンのイマジンのように、ユングのシンクロにシティーのように、またたくまに陽はのぼる。そう考えます。



ときとして、子が先生になることもある。ジャニーズ事務所については、娘に教えられるばかり。
私は最近、ジャニーズ事務所のタレントたちのうたや芝居をみながら、こいつらがやっているのは白樺派だ。と、感心しました。

下手な芝居や、下手な歌という見方もある。だが、そんな不出来なものの先に見えてくる個性の輝き。それがジャニーズの若者たちがある。

そのことは、劇団四季や宝塚歌劇団の俳優たちが、その組織を抜け出てから輝き出すことを考えれば、理解してくれる人もいるだろう。

この回答への補足

そうそう
>現在の教育は、現実の社会の歪みのいいわけを教育でしようとしているだけと考えます。

そのとおりですよね。

社会と連続性を持ってないと意味ないし。
相互作用もなければ。

うちは 男子ばかりなので ジャニーズは見に行かないだろなー。

補足日時:2005/12/23 15:08
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この回答へのお礼

何度も ありがとうございます。

自己の「確立」
難しいです。何をもって 確立とするか?
境界をどう考えるか?考える必要が無ければ「確立した」とは
言えなくなってしまうし・・・。
と言うことで 私は 下のお礼欄に
(教育=自分の思いを伝え、人間関係を育む)
と 書いてます。
(「思い」です。)

Imagineですか。ピアノ弾きながらうたう事あります。
私の解釈は、
多様なこだわりや価値観がなくなってしまったら、
それは とても つまらない世の中だろう。
多様性を乗り越えることが 人類に課せられているのだ。
でも、それに皆が気づけば 失敗を繰り返しながら
悩みながらも少しずつは乗り越えられる。
それが 人間の想像力だ。愛だ。
です。

===============
ずいぶんと質問からかけ離れてしまいました。
ああ あと こどもにたくさん教えられてもいます。
いろいろと。

でわ

お礼日時:2005/12/23 15:08

私の回答などによって、私の思考回路は読めているのかもしれませんが、「こどもと対峙する」ことについて補足します。



ひとつの魂どうし、こどもと向い合うことです。
こどもの召使になったり、こどもをペットにすることがいけないのは勿論です。
そして、親が先生になったり、子が生徒になるのもよいこととはいえないでしょう。

親が自分の人生をかけて思いこんだことを、子に語りかける。自分の思いについての確信・説得力があることは勿論ですが、それでも尚、こどもに自由な反応を促すこと。

喜怒哀楽のすべてでこどもと接することに努める。いいとこどりの人間関係は表面的。サプリメントな関係では悲しいと考えます。

私は、娘に、あとお前と一緒に暮らすのも10年と言っています。お前には輝いて見えるかもしれないが、父ちゃんほどいいかげんな奴はいない。と言っております。

親と子も一期一会。親と子の間にニュートラルな関係など土台無理なのですが、それを志向しつづけるべきだと思います。

経済的にも、精神的にも親から自立した40歳を越えたとき、彼女が自分をどうとらえてくれるか。そのことがとても楽しみ。そして、そのときに、彼女が自分をどうとらえてくれるか。それに向かって真剣勝負の日々です。

この回答への補足

そうそう 補足を。

こどもは、小6・中3の男です。
中3は、中1-2年で 精神的に離れようとしてましたが 最近は、結構 詰まった話を相談してくるようになりましたし、私からも相談をすることが多くなりました。
小6は、だんだん離れつつある段階です。
(これから 離れたり そうでなくなったりの繰り返しなんだろうなぁ。楽しみデス!)

補足日時:2005/12/23 12:35
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

はは、似たような感じなのですね。
私も日々が真剣勝負です。
(どこの家庭でもそうだと思いますが・・。)

私の回答履歴や質問でも読んでくだされば、私の思考回路が読めると思います。

たまたま Deweyの本に出会いました。
マニュアルになるような具体的なレベルの本ではありませんです。
(Dewey san ですが、教育学者でもあるようですが 哲学者という位置づけもあるようで。)
私の教育観と言うか、こどもとの関係を 客観的にみるにあたり、結構 ヒントなどをくれそうな本です。
(教育=自分の思いを伝え、人間関係を育む)
ただ、100年も昔の著書なので 馬鹿みたいに信じるのは危険なので、既に 読んでいる方々にアドバイスを戴きたかったわけです。
(思想的、歴史的背景も含めて)
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ああ あと個人的な意見ですが、
生徒に対応する言葉は、先生ではなく 教師・教諭などです。(職業欄に先生とは書けないし、教育法でも先生とはかかれて居ない・・。そうなると、生徒も小学生だと児童ですが・・。)
先生は、尊敬できる人に対してご利用されるのがよいと考えます。
教師だから全員が先生では無いです・・。
先生と呼ばれるほど馬鹿で無し と言うこともありますし・・・。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1728669
あくまでも 私的な意見です。

お礼日時:2005/12/23 12:29

私も40歳代の小学5年生の娘を持つ父親です。



私は、本を読むよりも、真摯にあなたのこどもと対峙すればいいと思います。
そして、もし自分自身ではなく、100年以上も前の人の傀儡としてこどもと接するならば、こんなに歪んで、悲しいことはないと考えます。

私が現代の教育の歪みとして感じるのは、教育委員会の指示に流されてしまって、自分の考えでこどもたちに接していないこと。教育とは、マクドナルドのハンバーガショップのようにマニュアルではうまくいかないのです。

親が親として確固たる人生を歩み、子に人生を説き、すすむべき道を披露する。そして、子は自らの確固たる魂で、自らの道を選ぶ。

デューイに関しては分かりませんが、そういうことだと思いますし、私はそのようにこどもと接しています。

まぁ、本がJust referenceなんことは自明ですか…。

この回答への補足

補足させて戴きます。
sponta様とご回答をご一緒させていただいているのがありました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1221660
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1827129
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1239236
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1224863
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1192405
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1089805
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=939057
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=936355

バンド活動もしてます。
箱代+その日の飲み代 くらいを稼ぐのがせいぜいですが・・・。

補足日時:2005/12/22 20:41
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>本を読むよりも、真摯にあなたのこどもと対峙すればいいと思います。

もう少し 具体的なアドバイスをお願いできますでしょうか?
よろしくお願い致します。

お礼日時:2005/12/21 20:01

あまり詳しくない一般人の感想で申し訳ないですが・・。



義務教育というとほとんどの人が通ってきているわけで、多くの人がその内容について疑問を抱いていることと思います。

私も以前ヨーロッパのほうの教育関係の本に興味を強く持ったことがありました。ただ、どうしてもその理想に酔いすぎてしまったり、著者をまつりあげ易いようにも思います。

注意しなければならないのは、その土壌やその時代の背景などをよく知る必要があると思いますし、その理想と目の前(日本)の現実の距離感をよくつかむことも必要なんだろうと思います。

また何事も急な展開には無理も生じるでしょうし、教育現場では、実際急に展開したために、だいぶ後戻りしているようなこともあるんじゃないかとは思います。

これからはますます、「心」を見守っていくような方向の教育になっていくのではと自分では期待していますが、そう簡単ではないでしょうね・・。
的外れな点多々あったかと思いますが、どうぞお許しを。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうです。「理想化」には気をつけないと!!

歴史的政治的背景を確認しないといかんですね。

こどもは 次世代=未来 そのものですから。
大人は、多少 身を削って 楽しみも我慢して、育まないと・・。
でも、我慢してたらつまないことなので、楽しくこどもと一緒に(でも 大人としても 計画や指導など考えながら)教育してゆかないと・・。と思います。

教育=教え育む
指導=指し示して導く

お礼日時:2005/12/15 20:42

 Deweyさんの本を読むと100年前の内容とは思えずビックリですが、実際に100年くらい経っているので Deweyさんの著書を読むにあたっての注意・考慮したほうが良い点(社会状況の変化など)がありましたら 教えて下さい。



 古典はそれなりに価値があり、従って古典といわれますが、社会状況の変化を考慮して読むのは、古典には共通しているのでは、ディユーイに限らず。
 これも教育の古典で、ルソーの「エミール」は今読んでも新鮮な部分がありますが、その当時のフランスの社会状況を知らないと深いところまでは分からない。まして、ルソーが自分の子供をほったらかしていた放蕩な親であったとしても、「エミール」はルソーの放蕩があったとても、永遠の教育のバイブル。
 当時のアメリカを含む歴史を勉強されるのも一方法かと。

また、小学校の先生などは Deweyさんの関連は、知っているのが前提なのでしょうか?(変な質問??)>
 今の学生さんは、知らない人が多いのでは。採用試験用に名前ぐらいは知っていても。

だけど もしかして、デューイって 全然 教育界では認められていなかったりして・・>

 終戦直後あたりは神様でした。
 「Learning by Doing」なすことによって学ぶという標語の元、教育界は浮かれました。経験と教育をお読みのようですが、経験は学習する上で大切だというわけです。今の職場体験やなんでも体験の元祖みたいな、生活単元学習という教育活動が教育界を席巻しました。生活の中に学習活動を見出し、それを学んで行こうとするものです。まさに、ディユーイの哲学の具体化でした。教育現場においての。
 しかし、生活の中に学習の機会を見出し学ぶということは、手間隙のかかるものですが、安易な経験だけを子どもに与えてしまう傾向が否めず、子どもの知的活動を低レベルのところに留める結果となり、だんだんと廃れていきました。今の総合学習に似ていますね。
 ただ、それは、ディユーイの表面をなぞっただけの活動であったがゆえの、結果だったのかもしれません。デューイの哲学をしっかりと咀嚼することなく行ったためのものだったからでしょう。

 私はデューイの本をそれほど、いや読んだことはないのでしっかりしたことはいえませんが、教育の不易の部分は100年前も今も変わらないと思います。その不易の部分をデューイは教えてくれるのではないでしょうか。これほどのデューイの本をお読みの方にほかの人がアドバイスはなかなか出来ないでしょう。

 最近、「アメリカ人はなぜメディアを信用しないのか」という本を読みました。
 この中に、デューイとリップマンの比較がでてきて面白かったのですが、デューイの民主主義に対する深い洞察があり、今なお新鮮であると改めて感じました。リップマンもメディアの民主主義に対する役割を積極的に発言した最初の知識人で、マスコミ関係者の中には彼の著作をバイブル視する人も多いのですが、デューイの方が一段と上だ、とはこの本の著者の言い分でした。

 いろいろ無関係なことを書きましたが、デューイ大いに読まれてください。ホームページ「50歳自由人の瓦落多倉庫」を営む自由人の戯言でした。

この回答への補足

>「アメリカ人はなぜメディアを信用しないのか」
を読みました。(やっと)

これ、The breaking news なんですね。
もしかしたら、和訳でないのを読んでいるような気がします。
(話題が95年くらいなので。その頃 US出張が多くて、いろいろ読んでいたので・・。)
当時は、Deweyさんなんか知らなかったので、記憶にないですが・・・。
(リップマンもわからないし・・。)

あと、やっと 教育と民主主義が読み終わりました。

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Deweyさん が書いてますよね。
粗く対応しては、だめだ。きめ細かく きちんと対応しなければ破綻するって。
結局 そのとおりになってますよね。(アメリカも)

相手のことを思いやる(考える)ことが必要なんでしょうね。これが、imagineなんでしょう・・。

補足日時:2006/01/02 20:36
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど 「古典」ですか。
確かにそうですね。
山川の世界史での確認くらいしかしてないです。
(激動の時代ですよね。)
シカゴがどうだったのか も 詳しく調べないと。
(政治的背景も)

小学校の教諭等は 知らないですかぁ・・・。
(つまんないなぁ)

私の解釈だと 教育も経験の一部である と読んでしまっているところがあります。(正しいのかなぁ?)
経験として考えるなら、本で読む<人から聞く<やっているのを見る<自分で体験する ほど 影響力は大きいとなりますし。(本を読むのも経験のひとつ)
もちろん、体系的に理解するために本を読んだりもするわけですが、それだけでは 薄くなってしまうと。

私は、義務教育家庭では、学校は学習においても生活においてもサポートとしか捉えていません。(今までの 教えて!gooでの回答を見てもらうとわかりますが・・。)

保護者が第一と考えています。
(大学は違うな)

まだ、4冊くらいしか読んでないです。

アメリカ人はなぜメディアを信用しないのかも、オーダーしました。読むのは正月休みになりそうですが・・。

お礼日時:2005/12/15 20:38

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