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「古代ヘブライ人(ヘブル人、イスラエル人)の王国について、その成立、分裂、滅亡を概観せよ。」という問題なんですが、これに関する資料、答えなど、知っておられる方は教えてください。小さな事でも構いません。お願いします。

A 回答 (2件)

こんなところはどうでしょうか?



ちょっと読みづらいかもしれませんが。

参考URL:http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/floor …
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  ヘブライ(ユダヤ)の王国の歴史は、簡単に概観すると次のようになります。なお、イスラエルとは、現在は国名ですが、これは、ユダヤ民族の家父長的祖アブラハムの子イサクの子ヤコブの別名です。イスラエルとは、Israel ですが、「神と闘った者」というような意味が想定されており、これは、ヤコブが、神ないしその天使と格闘して破れた後の名で、「イスラエルの子たち」で、イスラエルの全子孫、つまりユダヤ人を表す言葉です。元々国名や地名ではなかったのです。
 
  それはとまれ、歴史的に確実とされるのは、紀元前14世紀、エジプトの宗教改革者イク・エン・アテン王の時代に少し遅れて、伝説の人物モーセに率いられて、ユダヤ人が、「約束の地」を求めてエジプトを離れたことから始まっています。それ以前のことは、歴史的によく分かっていないのです。
 
  ユダヤ人は、シナイ半島で長く彷徨い、やがて、カナーン(現在のパレスティナ)に入り、ここを「約束の地」だと確信し、先住民とのあいだに争いを起こします。ペリシテ人などは、カナーンの先住民で、バールの信仰などを持っていました。パレスティナという地名は、このペリシテ人から来ています。
 
  カナーンに徐々に地歩を築いたイスラエル人は、紀元前1020年頃、指導者サウルの元に、いまだ部族統合は行わないまま、王国を建設し、サウルが王となります。イスラエル傭兵の隊長だったダヴィデ(在位紀元前1004-965年)は、サウルに重用され、やがてサウルの威信を超え、サウルが殺された後、王国の王位につき、彼の時代に、ヘブライの王国は、統一王国として、一応の完成を見ます。
 
  エルサレムを首都に定め、イスラエルの十二部族をまとめたダヴィデが逝去して後、後継者争いが生じるが、ソロモン(在位紀元前965-930年)が王位につき、彼は、エルサレムに宮殿と神殿を建築し、ヘブライ王国をかつてない強固なものとして、また文化的にイスラエルを高めた。この時が、ユダヤ人の王国の絶頂期と言えるでしょう。
 
  紀元前930年ソロモンが逝去すると、叛乱が起こり、ヘブライ統一王国は、南北に分裂し、北のイスラエル王国は、サマリアを首都とし、南のユダ王国は、エルサレムを首都とし、ダヴィデの子孫が王位を継承した。
 
  しかし、アッスリアの勢力拡大により、紀元前722年、北のイスラエル王国は滅ぼされ、また、アッスリアに次いで勢力拡大したバビロニアが、紀元前586年、エルサレムの神殿を破壊し、ユダ王国は滅亡し、ユダの王族・貴族・代表的市民他多くの人が、捕虜としてバビロニアの首都バビロンに拉致され、その地に捕囚として留められた。これを「バビロン捕囚」と言います。
 
  やがて、アケメネネス朝ペルシアが擡頭し、キュロスは、バビロニアを滅ぼし、ユダヤ人を解放し、カナーンの地に帰り、自分たちの王国を再度築くことを許可します。
 
  ここまでが、古代のヘブライ民族の歴史でしょう。
 
  参考URLは、イスラエル大使館のページですが、短く要領よく歴史をまとめています。ただ、ダヴィデが傭兵隊長だったなどということは書いていませんし、イスラエルの「歴史」が、紀元前14世紀または13世紀のエジプト脱出から明確になっているとも書いていません。
 
  以下のURLの「キリスト教前史略年表」を見ると、簡潔に事件の年代と説明が出てきます:
  http://www1.nyan.ne.jp/~kawagoe/4-1.html
 

参考URL:http://www.israelembassy-tokyo.com/about/history/
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