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西鶴の作品で、親子であだ討ちに行った際につかまりそうになって、
子供が親の身元がばれないようにと首を切り落として逃げる、というものがありました。
このように、泣く泣く首を切り落として逃げる、
といった話は、歴史上実際によく見られた現象なのでしょうか?

A 回答 (2件)

親子の中で首を切るような歴史上の例はおもいだせませんが、戦国期家臣が君主の首を切った例は多く見られます。


これは君主の死を隠す意図と君主に晒し首のような恥辱を与えない為で、明智光秀は敗走中に戦死しその首は家臣が隠しましたが捜し出され晒されました。
関ヶ原戦で戦死した大谷吉継の首は家臣が切り君命で隠しましたが、これはライ病で崩れ始めていた顔を隠すためでした。

敵に首を与えない為松永久秀は名器平蜘蛛の茶釜と共に自爆した話は有名ですが首は人格の宿る所とみなされていたからです。
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この回答へのお礼

さらし首になるくらいなら、死んだほうがましだったんですね。
戦の際には確かにこのような事例もあったんだろうなぁと思います。親子だと、やっぱりあんまり聞かないですよね。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/12/27 23:38

戦場では重傷を負ったり、瀕死で撤退できない場合などで、敵に首を渡さないために家臣や同僚が首を切って持って逃げるという例はありました。


あだ討ちの場合はよくわかりませんが、そういうことはめったになかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

やはり西鶴が少し手を加えたんでしょうか。
歴史上の事実だとしたら、作品の解釈も多少変わってくるかな、と思ったんですけど、確かにあんまり聞かないですよね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/27 23:40

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