プロが教えるわが家の防犯対策術!

 哲学に関係するか分かりませんが他で質問するところがないので
ここで質問します。
 先日近所にある神社で飼われている犬を見つけました。
その犬は鎖につながれていて半径2メートルの中で生活している
ようでした。近ずいていってじゃれていると犬がだんだん
興奮してきて劣情をもよおし(?)飛びかかってきてすがるようにして
一生懸命腰を振って交尾しようとしているのをみて
なんだか知らないけれども嫌悪と同情、侮蔑に悲嘆と様々なことが
心に浮かびました。
 さらにこのことを人間にも当てはめてみると
決まった生活圏内で孤独の中に身を置きsexをしたがる(犬と人間では目的が違うかもしれませんが)遠い目で人間を眺めた気がしてとても
もやもやを感じてしまっています。
このもやもやはなんなのでしょうか自分でもよく分かりません。
自分でこの質問でなにが言いたいのかもよく分かっていないのですが
少しでも共感できる、または反論を聞きたいです。
理解に苦しむ内容ですがよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

なんともやりきれない話ですね、何か自分が重なるようであまり考えたくはありません。

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犬が、抑圧、閉鎖された環境の中で、本能を剥き出しにする姿を鳥瞰する。

と言う体験をしたあなたは、それを人間にまで普遍化してゆこうと考えている。とお見受けしました。

そのもやもやとは、恐らくは、鳥かごの中の鳥を見るときと同じく、自分の見渡せる小さな範囲内にその者のすべてがあるという超越者の感覚。

誤解を恐れずに言葉にするなら「神の感覚」ではあるまいか?

#「哲学的」に書こうとしましたが、ダメでした。(^^)

#西村寿行の短編集「症候群」を読んでみてください。
 もーーーっと、もやもやするはずです。
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 拘束、不自由さを感じます。


 人間でも、病棟、刑務所等で隔離され、行動範囲を限定され、誰かに束縛、拘束されることはあります。
 非情状態になれば、自分からはどうすることも出来ず、良くも悪くも全てを受けるしかなくなります。受動的立場です。
 犬も欲求不満状態でしょう。それが、積もれば人間ならば狂う(異常になる)か、自殺(破滅)ということでしょうか?
 満たされない生活に共感され、人間がしている悪辣さ非道さを感じられたようにも思われます。
 幼児誘拐で、十数年ずっと閉じ込めていたという事件がありましたが、彼女が正常になるには時間がかかるといっていました。
 飼う、飼われることも良し悪しじゃないでしょうか?
 これも、本人次第か・・・。
 如何でしょうか?
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犬好きの者です。


あなたは、その神社の犬が「半径2mで生活している」とおっしゃっていますが、あなたが見ていないところでは、飼い主とふれあったり、散歩に行っていろんなものを見たり、いろんなことを感じていると思います。
本当に孤独かどうかなんて、本人にしかわからないものだと思います。
あなたに対して腰を振ったのも、たまたまそういう時期だったのかもしれませんよ。(犬には年に2回発情期があるそうですから。)

それにしても、私はただ犬が好きで、犬を見たら「かわいい! さわりたい!」としか感じないのに、犬から哲学が生まれるとは、なんともすごいことだと思いました。
根っからの哲学体質なんでしょうね。
(私は根っからの楽天家のようです。)

この回答への補足

私も犬を飼っています。可愛いラブラドールレトリバー(黒)です。
本人がどう思っているのかは私ももちろん分かるとは思いませんが
その犬はじゃれてくるにはじゃれてくるのに頭や体をなでようとすると
一瞬びくっとしてなんとなくいたたまれない気がしました。
それ離れない人がやったせいかもしれませんがそれだけでもないようにも
思えます。
はっきり言って自分の飼っている犬も含めてすべての犬は愛玩犬であり
もちろん犬自身はその代われている世界以外の世界を知らないので
幸せに思っているかもしれませんが、決して幸せでもないかも
しれないと言うことも頭の中に入れておかないといけないと思います。
そういうことを思っていないとも思っていませんが私は私も含めてたいていの人がすぐ可愛いといってしまうことにふと怒りを覚えることがあります。
最後に私が哲学体質ではありません。書くところがたまたまここしかなかったんです。

補足日時:2001/12/17 21:44
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あまりにも平凡かつ薄っぺらで俗的見解なのですが…


犬ってよく人間にも発情しますよ~!
ほんとに、よくあることです。マンガのネタにもなるくらい。私も犬にそういう反応されたときは「まいっちゃったナ~A^-^;)」ってトホホな気分になりますけど、何を言っても相手はイヌですし。そんなものだと思ってやり過ごすことも大切かと。人間が欲望むき出しに発情してる姿は、かなりイヤンになりますけどネ。
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散歩の途中でつながれている犬と遊ぶことがよくあります。

最初は挨拶から・・じきに興奮してきて、交尾のような仕草を取ることがあります。これって興奮したらよくする仕草で、本人はおそらくわけがわからない状態になっている・・それだけですよ。犬ですから、その特徴的な習性はそのままです。

そこで思うのですが、今回のエピソード…
眺めるebinamoriさんの心が投影されたもので、間接的にebinamoriさんは自分の心の中を覗いちゃったんじゃないのでしょうか?と思ってしまいます。
そう受け取ってしまうような、背景とかあったんじゃないかなって穿ってしまいますね。

哲学も何にも知らない素人です。
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この回答へのお礼

確かに自分自身の心の中をのぞいたのかもしれませんね。
これが人間のすることかと思うようなすることが増えていますし
他人のことを考えない輩も増えています。(自分が迷惑をかけていないとも言い切れませんが)
そういう人のせいでたぶんいい人もいるのだろうになんとなく
人間を侮蔑してしまっているのかもしれません。
それでも野球なんかやってるときはそんなことも気にせずとりあえず楽しい気分になったり。本を読んだり映画を見たりと楽しいこともあるものだと思います。

お礼日時:2001/12/17 22:09

そのもやもやは、人間が包まれている、霧のようなものだとおもいます。


その霧は、不確かな知識や、偏見、私欲などで、僕らの目を曇らせ、耳を聞こえなくし、悩みの発生源って感じです。霧にまとわれている事を知らずに、いろんなことに迷って、一喜一憂。っていう生活が、人間の生活でしょう。ebinamoriさんは、犬に対する印象を、人間におけるそれとして感じられたんだと思います。
 人間の、悩みの元凶を見たのでは?つまり、犬の習性のように、どうしようもないもの(私欲)を背負って、さらに、(無知)という不自由な状態で、暮らしている事すら知らない。
 ebinamoriさんは、自分が人間であるので、そのような悲しい存在だとはあまり思いたくないので、その否定的感情から、「こんなものには目もやれない!見たくない!」ってことで、「もやもや」としてしまったのではないでしょうか?その存在を知りつつも、それを否定したい。けっこう飛躍しましたが、それなりに共感する部分があれば、うれしいです。もっともやもやを考えて、そして霧が晴れたりしたら、いいですね。
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こんにちは。


犬そのものへの感情というよりは、やっぱりあなた自身への気持ちのように
思えます。同じ状況になったときに持つ感情は、精神状態によっていろいろ
だとおもいますが、どんなときにあなたのような感情になるんだろう…と
想像してみました。

「嫌悪と同情、侮蔑に悲嘆」はそのまま、自分の現状に向けての感想かも。
あなたはもっと広い世界に出て、うちとけられる仲間をもっと多く持って、
さびしさにとらわれたり、さびしさから逃れるためにセックスを望んだり
しなくていい、そんな生活をしたいのかもしれない。
それを「遠い目で」見ているあなたは、自分の状況を自分で変えられる
可能性をあまり感じられていないのかもしれない。そしてそのこと自体も
悲しんでいるみたい。

望みを自覚することは、実現への一歩です。自覚すれば作戦も立てられます。
そのもやもやからあなたが多くを得られますように。。
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もっと遠い目で、たとえば地球がまるごと視野に入るような高い視点に立って見れば、犬も人間も他の生物もみなそのようなものかも。



視点を変えてものを見ると面白いです。
神社になって見る。鎖になって見る。飼い主になって見る。・・・

犬と遊んでもらって楽しかった、だけで済まされないところがなかなか人間的で面白いと思いました。
そこから、こうして質問という行動にうつされたのも良いんじゃないですか。
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