海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

今から70年前の日本の雰囲気って
やはり、暗かったんでしょうか。
1936年って戦争に向かっていく途中ですよね。
やはり暗くてじめじめして貧しかった頃なのでしょうか。

A 回答 (3件)

母が大正生まれでよく戦前の話をしいました、昭和11は小学生ですが


生活は別に普通で戦後で言えば昭和30年ぐらいと同じようだといってました、国は軍事優先で学校でも男子は軍事教練があったそうですが、当時
は世界全体がそうでしょうし、欧米を見習って外国に勢力を伸ばしていた
ころですから国民全体が意気揚揚と外国に進出していたようで、満州に
行く知り合いが、新天地にいくのがうらやましかったと言っていました
 本当に軍事一辺倒になって配給になって警察がうるさくなったのは昭和17年ごろからで19年になると生活物資がかなり不足になってらしい
で治安や経済は20年の敗戦後のほうが悪かったそうです

なぜ暗くてじめじめと思ったかわかりませんが、当時に実際に生活をしていた人の書いた本などを読めばある程度はわかるでしょう。今の人が書いた新聞やテレビはあまり信用できませんよ、実際に体験した人はもう
社会を引退しているので、マスコミは知らないで放送しているので母が
テレビを見ていて戦前の実際と違うことを怒っていました

貧しさは今のレベルで比べることはできないでしょう、選挙も男のみでしたがありましたし当時の世界でみれば欧米にならぶ先進国の仲間入りをしていたでしょう
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この回答へのお礼

御返答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/19 14:57

私が生まれた年です



日本の社会は陽の当たる階級と当らない階級に分かれていました(今の勝ち組、負け組と意味が違います、生まれつきの身分的な事でしたから階級間の移動はとても困難だったのです)

陽の当る階級は地主、金持ち、教育のあるサラリーマンで収入も多くお手伝いさんを雇って余裕を持って暮らしました、その頃が一番暮らし易かったと言うお年寄りも多いです

当らない人達は普通の農民(小作人)、工場労働者、肉体労働者、小商人、水商売の女性達で教育を受ける事も出来ず社会の底辺で生きて行かざるを得ませんでした、当時の警察権力は陽の当る階級の味方で当らない階級に残酷な弾圧を加えました、日本国民の大多数がその階級でした

農地改革で農民が土地を持つ事が出来、労働組合結成の権利が保障されたのは戦後の事です
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この回答へのお礼

御返答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/19 14:57

小林信彦の『僕たちの好きな戦争』等を読んだ経験から、


戦前の国民は戦争に負ける!とは思わないので、イケイケ!
という感じで戦争に好意的だったらしいと感じてますが。
また、貧富の差はものすごく大きいだろうし…。

ちなみに1936年は、2・26事件の他に阿部定事件やオリンピックの
「前畑ガンバレ!」の年ですね。

参考URL:http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1936 …
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この回答へのお礼

御返答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/19 14:57

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