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江戸時代の歴史本を読んでいて、本所・深川地区は、歩くより、船などで行動するほうが便利であったと書いてありました。そこで、この両地区はどんなところであったのか?何故船の方が便利なのか調べてみたんですが、分かりませんでした。是非知りたいのでヨロシクお願いします

A 回答 (2件)

深川のある東京都江東区はほとんどが埋め立て地です。


埋め立ては江戸時代から行われていました。江戸時代初期にはいまの亀戸付近が海岸だったそうです。その後、いまの深川のあたりを埋め立てしたことで、少しずつ人が住むようになり、1700年代に市街地となっています。それまでは、木場に代表されるように海に面した土地だったわけで、船のほうが移動に便利だったとはいえるでしょう。

将来陸続きになるとはおもえませんが、いまのお台場~東雲~新木場の湾岸一帯のような海と陸が入り組んだ地形を想像すればわかるのではないでしょうか。
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「鬼平犯科帳」池波正太郎著などを読んでいると


当時の深川はイタリアのベネティアにも匹敵すると書いてあったりします。
「鬼平犯科帳」(小説・ドラマ)はフィクションですが、時代考証もされているので、
参考になると思うのですが(甘いかな?)堀川に船がタクシーのように行き来しています。

池波正太郎は「江戸名所図会」という本を愛用されていたと聞きます。

下記のところで江戸の町の地図が参照できるようです。
http://www.iwabi.jp/page5.htm
深川も本所もあります。深川の方がより掘割が入り組んでいるようです。

江戸名所図会についても記載がありましたのでよろしかったらご参照ください。
http://homepage3.nifty.com/onihei-zue/zue2.htm
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