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2ヶ月程前から、不眠になる程朝まで考え続け、自分の存在も意味がない、としか思えず、自殺する事しか考えられなくなりました。

頭がどこかおかしくなったか、鬱病にでもなったのかと思い、心療内科の病院に行ったところ、先生にこう言われました。
「あなたが言っている事はまともで、それはもう哲学に近い。」

それまで「哲学」の単語しか知らなかった私は、どんなものなんだろうと思い、哲学についてざっとわかりやすく書かれている本を読んでみました。
それまで、いくら心理学(いわゆるビジネス書)の本を読んでみても、納得はできても自分の心が傾かなかった私ですが、そんな初心者向の本で、何故か心がしごく楽になりました。

たった1冊簡単な本を読んだだけの初心者の私が、この掲示板をご覧になるような方とは理解のレベルが違いすぎる恥を承知で、私の感想を元に、お教え下さい。

着眼点として一番興味を抱いたのはキルケゴールとハイデッカーですが、その結論が神の存在を感じさせて(浅い読みならすみません)、聖書さえ読んだ事がない私には、少し理解に苦しみました。(というか、府に落ちませんでした)
逆に、出発点はともかく、執筆された本の内容に興味を抱いたのはニーチェとサルトルです。※一部、抜粋された文章を読んで感じたことです。

はっきり言って私は、哲学に関してズブの素人ですが、その思想にまず1冊、じっくり触れてみたいのです。
こんな私にお勧めの本があったら、教えてください。
もしくは、「まだ哲学者の書いた本を読むよりも、哲学そのものをもっと理解した方がいいのでは?」と思われましたら、そんな内容でお勧めの本を教えてください。

前置きが長くなり、すみませんでした。

A 回答 (8件)

i-yoshieさん、こんにちは。



哲学の入門書を読んで心が楽になったとのことですが、良かったですね。
さて、i-yoshieさんが興味を抱いた哲学者たちは「実存哲学者(実存思想家)」たちです。実存主義というのは19世紀末にキルケゴールから起こったものですが、近代ヨーロッパの理性中心主義を批判して「いまここに現実に存在している自分」から出発しようとした思想です。

で、この実存主義者たちを大雑把に二つに分けますと、有神論的実存主義と無心論的実存主義にわけることができます。実にi-yoshieさんが感じ取ったように、キルケゴールはキリスト教信仰と言いますか神の前に立つ自己(宗教的実存)が本来の自己であるとして、有神論的です。逆にニーチェは「神は死んだ」として無心論的実存主義を起こした人ですし、サルトルも無神論的な立場です。

と、ここまでは解説を兼ねた前置きです。お勧めの本についてですけれど、
私は下の方たちのようにi-yoshieさんに「哲学の入門書」や「哲学の概論書」を勧めるつもりはありません。それらをお読みになっても、隔靴掻痒といいますか、i-yoshieさんにはもどかしく感じられるだけだと思いますから。

私のおすすめはずばり
ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語った」(注意:同じ意味で違う表現の題もいろいろとあります)
サルトル「嘔吐」
のいずれかです。そうでなければ、i-yoshieさんのお読みになった本に引用されていたニーチェかサルトルの本の全体を読んでみましょう。つまり、興味を持った思想家の著作を読んだ方がよろしいかと思います。そうして、それらを読んで見てわかりにくいところがあったらその疑問点についてやさしく書いてありそうな本を読んで見るべきでしょう。

一番大事なことは、本を読んで自分で考えるということをお忘れなく。
それでは、さらに心が楽になることを期待いたします。
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この回答へのお礼

>私のおすすめはずばり
>ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語った」サルトル「嘔吐」のいずれかです。
ずばり、ありがとうございます(笑)

>興味を持った思想家の著作を読んだ方がよろしいかと思います。
その言葉で迷いがなくなりました、まずは読んでみることにします。
思想家の著作は、何か前知識(例えば算数がわからないと数学には進めない、というような)段階を追わないと初心者には到底理解できないようなものだよ、というような回答がもし誰かから出たら、段階を経てから読むしかないな、と思っていましたが、aminouchiさんのお言葉のおかげで安心しました、早速本屋に行って来ようと思います(笑)

お礼日時:2002/01/13 12:19

今から、引いてしまうようなことをゆってしまいますが、できるだけ引かないで下さい(笑。

^_^;)
>・・・というか、府に落ちませんでした
そんなあなたには、インド原産の哲学がピタリです。仏教哲学ですが、信仰がなくても哲学はできます。ただ、すべて、参考になるだけで、哲学と言うのは、あなたが考える事で、それはなされます。医者は、哲学に近いと言いましたが、僕は、それは、「あなたに近い」と言います。それは、哲学とべつにゆわなくてもいいです。それは、あなたを知ろうとすることに他なりません。


僕の12月以降の過去回答と、哲学カテゴリにおける12月以降の僕のした質問を読んでください。その内、必要ないものは、飛ばしてください。必要ないものは、あなたなら一目でわかります。あと、僕はしゃべるのがとんでもへたくそですので、ワケわからんと思ったものは、わからんままにしててください(笑。^^;)
時間は余りありませんが、その間ならgooで僕は応えれます。もし、あなたの疑問を直接gooにぶつけてくだされば、たくさんの方が助言してくれます。僕もがんばって応えます。あなたの疑問は、人に聞いて、答えがそのまま理解できるものではありません。しかし、あなたが疑問をかたすきっかけにはなります。僕の過去回答を読むより、質問してくださるほうがずっといいです。
>自分の存在も意味がない、としか思えず、自殺する事しか考えられなくなりました。
 あなたにはとりあえずこういいます。
     意味しかありません。
     意味ある者しかありません。
あなたや、僕のような者は、たくさん出てきます。すでに出ています。
彼らは、すでに行っており、来ており、もう行く場所も来る場所もありません。
今、ここにおいて、そうなのです。もしくは、そうなるようになります。

引いてしまいましたか?(笑
引いてしまったんなら、ごめんなさい。

引きっぱなしにならないように、本を薦めます(笑
あなたにコレが合うなら、一度読んでください。薄い本で、素人にもわかりやすい文でかかれていますから、読みやすいです。僕はコレすらも全部読みきれませんでしたが、、(TT)
まず、永井均の書いた、「子どものための哲学」。
もし、興味が出たり、合っているようであれば、ウィトゲンシュタインという哲学者の、言語ゲームについて、永井がわかりやすく解説している本がありますから、それをどうぞ。(題名は忘れました。ごめんなさい。)

ウィトゲンの言葉です

私は、語りえぬものについては沈黙しなければならない。

同じ事が、維摩経という、仏教「哲学」の書に書いてあります。
維摩経は、ウィトゲンの書物よりも、書かれていることが2枚上手ですが、難解です。あなたに合うほうを、選択なさればいいです。両方合わなくても、必ずそれらは参考になります。
まず、子どものための哲学を進めます。もし、それを超えているなら、維摩経を薦めます。

参考URLは、けっこう宗教はいってますが、維摩経の現代語訳のところだけ読んでください。まったく宗教くさいのがいやであれば、しんどいですが、西洋哲学をあたられて、ウィトゲンを読解することを薦めます。もしくは、このgooでたずねるかです。gooには、ぼくのような専門家でない方はたくさんおられます。気兼ねなくお尋ねください。そのほうが、gooの意義にかないます。

参考URL:http://www.hi-ho.ne.jp/universe/yuima/yuima0.html
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この回答へのお礼

caballeroさん、私の正直な気持ちを書きます。
>そんなあなたには、インド原産の哲学がピタリです。仏教哲学ですが、
私は最初、あなたが単なる仏教勧誘家かと思いました・・・(^-^;

>僕の12月以降の過去回答と、哲学カテゴリにおける12月以降の僕のした質問を読んでください。
仰せの通りに従い、どうやら違うらしい事を理解しました、すみませんM(__)M

>意味しかありません。意味ある者しかありません。
私には、どうしてもそう感じられないのです。
いいえ、本当はその逆で、それがわかってるからこそ、いたたまれないのかもしれません。
つまり、意味があるのに自分にはその意味が感じられない、
それならその「意味」を自分で消すしかない、と思っているのかもしれません。

でも、私は現に今もこうして返事を書いています、生きています。
抹消させればそれで済む事なのに、消えてしまう事もできないのです。
自分には、自ら死を選ぶ自由もあるのに、生きる希望を捨て切る事もできないでいるのです。
愚かな人間だと思っています。

話が大分脱線してしまいました、すみません。
勧めて頂いたHPを見ましたが、正直私にはしんどくて、せっかく紹介してもらいましたが、ざっと簡単に目を通す程度で終わってしまいました。
(ですが、caballeroさんの過去ログと、そのHP全部に目を通すのが私の精一杯だったのを、ご理解ください)
けれど、そのHPにかかれている文の一部を読んで、ロクに意味も理解してないのに涙が出てきたのは、何か感じるものがあったのかもしれません。

私は、生きて自分を超えることも、自らを断つこともできない、一番愚かな生き方をしているのでしょう。何も考えずに生きていた方が、よっぽど利口だと思います。

お礼日時:2002/01/13 19:08

相当哲学にはまっているようですね。


うつ病にならないように気をつけましょう。
現実を正確に見ることもして下さいね。

下の回答以外には……
とりあえず、西研『ヘーゲル・大人のなりかた』(日本放送出版協会)はどうでしょう。
手軽に読めるものとして、中村雄二郎『術語集』『術語集II』(いずれも岩波新書)などもあります。
ホントにやりたいのであれば、中村雄二郎の『哲学の現在』(岩波新書)あたりは読んでおきたいですね。台湾の李登輝・前総統が台湾で翻訳したということです。
高等学校公民科・倫理の教科書でも考えるヒントにはなりますし。

哲学史として、竹田青嗣・西研『はじめての哲学史』(有斐閣)などもあります。

そういえば、哲学者・倫理学者の加藤尚武が、「哲学はコンパの幹事をやる人のほうが向いている」と言っていた記憶があります。
考え込む向きには、あまり向いていないのかもしれません。
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この回答へのお礼

>うつ病にならないように気をつけましょう。
>現実を正確に見ることもして下さいね。
ご心配していただき、ありがとうございます。気をつけます。

中村雄二郎さんという方は、日本を代表する哲学者なのですね、今でも意欲的に本を出されていて、驚きました。機会があれば、目を通してみたいと思います。

>「哲学はコンパの幹事をやる人のほうが向いている」
そうですか、となると私はむしろ、その見解を述べた加藤尚武氏の哲学に興味があります(笑)

>考え込む向きには、あまり向いていないのかもしれません。
考える頭がなければ哲学等出てこないだろうし、考え込みすぎても向いてないとなると、難しいものですね。

お礼日時:2002/01/13 13:13

「哲学病」にかかったらとりあえず



中島義道『哲学の教科書』講談社学術文庫

を読みましょう。共感できるでしょうし、文献紹介も豊富です。
あと個人的には

永井均『<子ども>のための哲学』講談社現代新書

を強くすすめます。
それだけ読めば、あとは読みたい本が自ずと出てくるだろうし、
読みたい本がないなら自分で考えればいいのです。

いわゆる哲学の古典は難しいので僕はすすめません。
入門書を読んで、あとは自分で考えればよいと思います。
ただ、哲学入門屋として有名な竹田青嗣はやめたほうがよいです。
彼は、つねに哲学を「思想」としてしか見ていないからです。
(哲学と思想の区別については、中島義道の前掲書を参照のこと。)
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この回答へのお礼

>哲学の古典は難しいので僕はすすめません。
ごめんなさい、もう古典の本を読む決意をしてしまった後にこの文を読みました・・・。

難しすぎて投げ出したくなるかもしれませんが、とりあえず読んでみて、
「やはり私には手強すぎる」、と自分の子供さを思い知ったら、shunchiさん、jumeさんご推薦の『<子ども>のための哲学』を読むことにします。

それから、
>ただ、哲学入門屋として有名な竹田青嗣はやめたほうがよいです。
という貴重な意見を頂いたので、古典を突破した後も尚且つ他の本を読むつもりでいたら、アドバイスに従い、竹田氏を読む前に中島氏の本を読んでみる事にします。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/13 12:42

まず、以前にも似たような質問があり、それに答えたことがあるので、哲学一般の入門書ということであれば下記の参考URLをご覧ください。



加えて、木田元『ハイデガーの思想』(岩波新書)と三島憲一『ニーチェ』(岩波新書)を紹介しておきます。両書ともに哲学者の思想がコンパクトにまとまっていて入門には最適でしょう。i-yoshieさんは明快な文章をお書きになる方のようですので、読む力もあると思いますが、わたしのように読む力の弱い人間はちょっと腰を据えてじっくり読みたい本です。サルトルはわかりませんが、キルケゴールだったらちくま学芸文庫の『死に至る病』が注が詳しくて良いかも知れません(ただし解説本ではないので難解です)。それと割と読みやすい文章を書くと言われている竹田青嗣さんが書いた『ニーチェ入門』(ちくま新書)と『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)もいいかも知れません(後者は未読です、申し訳ない)。

i-yoshieさんの問題意識って、他人にはどうしても預けられないことだから、辛いんですよね。私も、ここ数年、似た感じで、精神は極めて不安定です。哲学でそれが癒されるかどうかわからないけれど、でも最終的には自分で考えて答えを出さなきゃいけないことなのかも知れません。古今東西の哲学者も「考える人」でした。幸せな一生を送ったかどうか、わかりませんが、しかし、彼らには人には理解できないけれど、考えなければいけない重大な問題が自分の前に転がっていたはずです。でなきゃ、普通に生きて死んだでしょう。最後に紹介したいのは、そんな哲学者って何?という問いに答えてくれるかも知れない著者です。中島義道と永井均、それと鷲田清一で検索してみてください。私は中島の『人生を<半分>降りる』(新潮OH!文庫)目から鱗が落ち、『哲学者とは何か』(ちくま文庫)で感動し、永井の 『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)で、哲学ってこんな感じ?というのが見えました(哲学がわかったなんて大それたことを言うつもりはありません)。でもいちばん好きなのは鷲田の『じぶん この不思議な存在』(講談社現代新書)です。「自分の存在も意味がない」という破壊的な想いに寄り添うように「自分とは何か」という思索が、易しい言葉で展開されています。

ちなみに私が最初に興味を持った哲学者はi-yoshieさんと同じようにニーチェでした。自分の存在のあやふやさに恐怖していたので(今も、ですが)、人生を肯定する祝祭的な思想に惹かれたのだと思います。当時の問題意識を引き継ぎつつ、今はハイデガーとその弟子であり批判者のレヴィナスに興味が向いています。レヴィナスは熊野純彦『レヴィナス入門』(ちくま新書)がわかりやすいです。レヴィナスは「不眠」ということにも言及していますよ。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=160561
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この回答へのお礼

>まず、以前にも似たような質問があり、それに答えたことがあるので
はい、質問を投稿する前に、以前に私と同じような質問をした人がいないか過去ログを見ましたので、知ってます。
#過去の質問者の方は、「なぜ哲学を知りたいのか」という理由が少し曖昧だった為、回答された方もそれを踏まえた答えになっていたので、別の答えを求め敢えて投稿しました。
>i-yoshieさんの問題意識って、他人にはどうしても預けられないことだから、
正にその通りですね、自分で何とかするしかないのもわかりきっているから、余計にしんどいです。けれど、逆に私も、他人と同じだけの痛みを感じることはできないですから。。
>私も、ここ数年、似た感じで、精神は極めて不安定です。
そうですか・・・。お互い、ありのままの自分を素直に受け入れられたら、もっと楽になれるかもしれませんね。
話が脱線してしまいましたが、jumeさんが中島義道氏にひどく感銘を受けたようなので、私も自分で少し調べてみました。(その為お礼が遅くなりました、すみません)
かなり売れっ子の方なのですね、今までこの分野には全く触れたこともなかったので、名前さえ聞いたこともありませんでした。私は実際に読んだ事がないのでわかりませんが、本を読んだ方の感想を読むと、なかなか「ガツン」とくる文章を書く方のようですね、この本は賛否両論にきっぱり別れる、というコメントも見かけたので、尚そう感じました。
また、『<子ども>のための哲学』、『じぶん この不思議な存在』共にベストセラーのようで、カスタマーレビュー等を見ると、2冊とも読みやすくいい本のような印象を受け、この2冊にも心惹かれました。
いい本(といってもまだ読んでないので私はわかりませんが、初心者には最適と思われる)を紹介していただき、ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/13 11:51

 何故、哲学にこだわられるのでしょうか?


 相当、理論家なのでしょうね。
 孔子が、
「この中国には賢聖はいない。西の方に仏図(仏のこと)という者があり、これは真の聖人である」
といって、外典の教えは仏法に入るための初門(前段階)であるとなしたのは、この故である。すなわち、儒教においては礼楽等を教えて、後に仏教が伝来した時に戒定慧を理解しやすくするために、王と臣の区別を立てて、尊卑を定め、父母の恩を教えて、親に孝行することを知らしめ、師の徳を教えて、師に帰依すべきことを知らしめたのである。
 天台大師のいわく、
「金光明経に、一切世間のあらゆる善論は、皆、仏経によっており、もし、深く世間法を識るならば、すなわちこれは仏法である、と説いている」
と。摩訶止観にいわく、
「釈尊は三人の聖人を遺わして、中国の衆生を教化した」
と。
妙楽の摩訶止観輔行伝弘決には、
「清浄法行経にいわく、月光菩薩は彼に生まれて顔回と称し、光浄菩薩は彼に生まれて仲尼(孔子のこと)と称し、迦葉菩薩は彼に生まれて老子と称した。彼とは、インドからみて中国をさすのである」と説かれている。
 そもそも、外道は、仏道に入るための経路であり、それが最要のことである。ある外道は、
「千年以後に仏が出世する」
と予言し、ある外道は、
「百年以後に仏が出世する」
と予言した。大涅槃経には、
「一切世間の外道の経書は、皆これ仏説であって、外道の説ではない」
と説かれ、法華経には、
「釈尊の声聞の弟子達は、凡夫に生まれて衆生に三毒があることを示し、また邪見の相を現じた。我が弟子は、このように方便して衆生を度した」
とある、と、仏教が出現する以前にインドに弘まっていた外道について、それが仏教出現のための序分であったことを明かされています。
 哲学ではなく、仏教のほうがいいのではないでしょうか?

この回答への補足

何故、哲学にこだわるのか?
こだわっているわけではありません、ただ哲学の「て」の字も知らない私に、「あなたの考えは哲学に近い」と言われたので、ではその自分の考えに近いらしい「哲学」とはどういうものなのだろう、と思い、少し触れてみたら思いの他面白く、「もっと知りたい」という思いに駆られたまでです。
それから、ご指摘の通り、私は理論家なのだと思います(笑)
仏教を実際に学べば、もしかしたら哲学よりも面白いのかもしれません。ですが、今私が興味を抱いているのは「哲学」で、ここにはその哲学に対する回答を求め、質問を出しました。もし、仏教の方が私にあっているとしても、今の興味の矛先が哲学にある限り、せっかく勧めて頂いた通り仏教を勉強してみたところで、頭には入ってこないと思います。

補足日時:2002/01/13 04:08
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私の恩師に「鎌田東二」という有名な哲学者がいます。

恩師は本もたくさん書いてますし、ホームページもあって興味があるのでしたら行ってみると良いですよ。たいていどのサイトでも「鎌田東二」「哲学」みたいな感じで探せば見つかりますから。でも私は「水族館の生き物は自由で幸せか?」という問いに今でも頭を悩ませています(笑)

この回答への補足

回答ありがとうございました。鎌田氏のHPから著書リスト一覧をざっと見てみましたが、その題名から判断する限り、魂や霊、神道、宇宙といった観念で書かれたものが多いようで、残念ながら今の私が欲しているような内容のものはないように感じました。
もしかしたらその中には私が感銘を受けるような書があるのかもしれませんが、何分著書に関する内容の説明もなかった為、題名だけで判断させて頂きました。

補足日時:2002/01/13 03:23
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i-yoshieさんへ


あなたのお読みになられた「一冊の簡単な本」というのが何なのかわかりませんが、もしご存知なければ、私がおすすめなのは
「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル)
です。今は文庫本も出ていると思いますが、5、6年前にベストセラーになった本です。
哲学をやさしく解き明かす、というのが目的らしき本で、少女ソフィーが、自分とは?世界とは?というのを考えていく、ちょっと童話っぽい不思議な本です。
お問い合わせの目的と、ご趣味にあうかわかりませんが、不眠で心も体も疲れておられる時にはよいかと思います。
この本を簡単に紹介したページがありましたので下に書いておきます。
学問としての哲学、というと違うかもしれませんが、心を癒す物語としていちど読んでみられてはいかがでしょうか。
(長い本なので、熱中して眠れなくなったらすみません)

参考URL:http://isweb3.infoseek.co.jp/play/ayusya/TetuSof …
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この回答へのお礼

ありがとうございました、紹介して頂いたHPを見てみました。
「ソフィ―の世界」がベストセラーになった時、その本の題名こそ覚えましたが、内容が「世界一優しい哲学の本」といわれる程のものだった事は知りませんでした。
今の私は、どちらかというともっと生々しい(というと表現が妙ですが)、どっぷりと浸かれる本を切実に求めているので、すぐに手にとるという事はありませんが、この本はぜひ読んでみようと思います。

お礼日時:2002/01/13 03:23

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