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例えば、旅行行く時に、「身体だけは気をつけて」とか、「いのちは大事に」とか言うけれど、何か、体が基本だ!見たいにゆわれてる気がします。
いのちを大事にとは、はたして死なない事ですか?
 
皆さんのご意見受けたいです。
宜しくお願いします。
 
僕は、いのちは守るためにあるのではなく、それがいのちであるためにあるんだと思います。だから、、、。、。なんか言葉が続きません(笑だけどマジ真剣です。

A 回答 (8件)

こんばんは。



難しいですねぇ・・・。
ご質問を読んでまず最初に思いついたことは、「命あればまた旅に出られる、旅が続けられる」です。
私はまだまだ行ってみたいところ、見てみたいもの、食べてみたいもの、興味あるものがたくさんあります。
「百聞は一見にしかず」です。この目で確かめるまでは死ねません。
もちろん他にも理由はありますが。

すみません。回答になってませんね。
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この回答へのお礼

とんでもないです。貴重なご助言ありがとうございます。
もう行くんですが、皆が危ない危ないというので、、。
Matildaさん、gooではお世話になりました。色々な質問に答えてくださって、たいへん勉強になりました。例のカナダに行きます。(覚えていらっしゃいますか?

命は使うためにあると思うので、しかし、消費物でもないですよね。
お金のように使えばなくなるものでない。消費すればそれだけ又帰ってくるというか、循環していると言うか、捨てて、又得れるって言うか、使った時点で、もらってるって言うか、言ってる事難しいですが、なんか、そう思います。守るためにあるんじゃないと、。
では、行って来ます。
余談:でも、なんか、行ったのにまた来るの?って意味わからんですね。(笑
まぁ、向こうの土地にしたら「来る」わけで、行くと来るは同時なんだなぁっておもいます。だって、帰ってくるにしても、今度向こうの土地にすれば「行く」ですから、。
 
 

お礼日時:2002/01/16 22:37

caballeroさんの疑問はもっともです、というよりは素晴らしい問いだと思います。


仏教のほうではその究極の目的を「生死を超える」こととしています。といわれても何のことかなかなか分かりにくいですね。
ひとくちでいうとそれは、生はすばらしいことで、死は悪いことだという考え方から、生も死も自然な現象であり、そこに良いとか悪いとかという区別は本来は無いのだと気がつくことです。
生を大切に思い、死や老いや病気を厭うのは、一種のエゴだといいます。自分が生きていくためには、どれだけ多くの死が必要であるか、というようなことをまったく考えない人には、生は大切で死は避けるべきがなどという資格は無いのですね。

いのちが大切だ、というときのいのちは、この世に生きているすべてのいのちのことを言っているわけで、自分や家族や知り合いのいのちのことでは絶対にありません。
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この回答へのお礼

サマルカンド・・・栄西楼。
行ってみたいです。行く場所で決まっているのは、サマルカンド、是非行きたいです。スタートはカナダですが、。
素晴らしいご回答ありがとうございます。
親の気持ちもアタマではわかりますが、どうしても死ぬことが悪い事ではないと、親も思っていて欲しい。何故なら、親が僕の心配で憂いにおぼれるからです。
「死ぬ心配」よりも、「生きる心配」をして欲しいと思います。
命は生けるものであるとおもうから、。
 つまり、個々の死ぬとか生きることが、いのちの姿ではないと思うのです。
また、個々の生死ともに命の姿であると。
今、僕、「すべて」、いのち、だって。だからこそ、僕がいきることが大切だと。
いきるとは、僕が僕に、すべていのちにいきると言うことです。そのようにして、
いのちはあるのでしょう。たぶん、。(笑 

すべて、いのちは今も教えてくれます。僕は特に宗教はないですが、こういうあり方も、あると思います。それは、いのちが繋がっているという。一寸の虫にも五分の魂というのは、命は等しいのだと、ゆっているのだと思いました。
 
競争する者も、共存する者も、そっぽ向く者も、皆、命においてつながっていると言うことです。いのちに、僕の命、君の命、他人や、僕、他者や我者などない。って、。
 
samarukandoさん、ご意見ありがとうございます。なんか読んでいて、皮膚感のある言葉を、自分の表出として中に感じました。
 
皆の憂いがはれるよう
 
個が すべてを得ていることを 知るように
 

お礼日時:2002/01/16 23:35

私にはまだ小さな息子がいますが、これから大きくなってどんどん親の手から離れ、離れて生活するようになるかもしれないし、遠くに旅に出るかもしれない。

その時にやはり私は息子に望むことは、「身体にだけは気をつけて」ってことだと思います。とにかく何をしてもいいけど生きて帰ってこいよって思います。ちょっとおばかでも、いたずらっこでもとにかく健康でいてほしいと思います。。親の役目は簡潔にまとめればこどもの命を守ること、ひとりで生きていけるように育てることのような気がします。親の立場からするとこどもの命以上に大切なものはないので、すなわち命を大事にイコール死なないことだと私は思います
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この回答へのお礼

>ちょっとおばかでも、いたずらっこでもとにかく健康でいてほしいと思います。。
 そうですよね、。僕の親もそう思っていると思います。
>親の立場からするとこどもの命以上に大切なものはないので、
ありがたいです。しかし、子にしてみれば、子の心配ばかりして、あくせく働いて、ありがたいですが、あなたのいのちを大切に、あなたの今を大切にして欲しいって、子としては思います。親が、犠牲になっているようで、。
いのちって、犠牲も何もないと思うんです。マイナス的にイメージじゃないんです。犠牲事態はマイナスでないので、僕の感じる憂いはなんのか?って、考えます。
 
おやみの立場でご回答くださり、ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/16 23:43

度々失礼します。

今回もわけわかりませんが、お許しください。

 >例のカナダに行きます。(覚えていらっしゃいますか?)
覚えていますよ。「若いっていいわぁ~」と思ったものです(笑)
準備は整いましたか?いよいよ出発という段階になって、周りからとやかく言われて、迷いが出てきたのでしょうか?
これから始まる旅に向けて、様々な勉強、準備をなさったことと思います。
自分自身に自信を持って下さい。

 >体が基本だ!見たいにゆわれてる気がします。
caballeroさんの旅は体が基本だということも事実です。忘れないで下さい。

そんなギリギリのところで旅をしないで、旅を楽しんでください。
旅を満喫した結果でなければ、caballeroさんの言う「得る」とか「帰ってくる」とかは違う気がします。(自分で書いていても意味不明です)

caballeroさんが私へのお礼に書いてくださったこと、なんとなくですが分かる気がします。
「守るためにあるんじゃないと」というところは特に。
でもでも、守ってください。
caballeroさんは旅行に行くのであって、命を無駄にしに出かけるわけではありませんよ。

でもきっと、旅に出たら一番命の大切さを実感するのはcaballeroさん本人なのでしょうね。
行ってらっしゃい!元気でねっ。
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この回答へのお礼

>周りからとやかく言われて、迷いが出てきたのでしょうか?
その逆なんです。僕は周りが心配なんです。何故そのように心配するのか?
あなたの心配をよそに、人の心配をするなんて、って。
僕のことは僕が十分心配しているので、皆の事が心配なんです。
親には、自分自身の心配をして欲しいのです。友人には、その人自身の心配をして欲しいんです。
>caballeroさんの旅は体が基本だということも事実です。忘れないで下さい。
ありがとうございます。ギリギリまっくす?なんで、マジ真剣になってます。
しかし、いきるとは、身体でいきるのではない。と、思ったんです。
何で生きるのかといえば、「僕に」、「僕が」、「いきる」、それが、いのちに対する僕の態度です。
>でもきっと、旅に出たら一番命の大切さを実感するのはcaballeroさん本人なのでしょうね。
そうなることを、実感が僕に伝わるように、いきたいです。
>覚えていますよ。「若いっていいわぁ~」と思ったものです(笑)
なんか、Matildaさんとお話していると、懐かしくなってしまいました(幸
皆さんにずいぶんお世話になったものだと。
ですから、若いとか、そうでないとか、関係ないですよ!皆、いきるいのちなんだから、、って、なんか特に最近は、このようなちょっと、かなりマジな気持ちになります。
 
では若いイケイケな言葉で励まします。(笑 皆に僕が励まされてるんですが、
 
 
              いきに行け!
 
             ぼくはいきに来た!
    
              いきにいく?
             
              いきにこい!
 
 
 
そのまんまいけいけ、ですね(笑
意味わからんで、ごめんなさい。
ありがとうございました。
>行ってらっしゃい!元気でねっ。
もちろんじゃないですかぁ!だって今、元気ですもん!今がなくなることってないじゃない!、、、ですか。(調子のってすみません)
 
余談:Matildaさんって女性だったんですね。ずっと男性だと思ってました。(すみません。ほんとに余談です(謝)

お礼日時:2002/01/17 00:04

No.3のものです。

回答のお礼をみて、一言。
親は子の犠牲になってるわけではないですよ。子供のことも含めて自分の人生なんです。あくせく働くのだってこどものためばかりでなく自分の人生を豊かにしたいってのもありますよね。自分が親になってみないと親の気持ちってわからないですからね。もしかして、今回の旅行のことで親御さんがあまりに心配されてて、うっとおしく思われたのでしょうか?親御さんの心配もわかってあげてくださいね。このご時世だし。別の方のお礼の「死ぬことが悪いことではないと親も思っていてほしい」という一文がどうしても気になります。それはあなたのわがままですよ。親の気持ちをもう少しわかってあげてくださいね。親より先に死ぬことは最大の親不孝である。と私は思ってます。
どうぞ良い旅を。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
>親御さんがあまりに心配されてて、うっとおしく思われたのでしょうか?
ちがいますよ(笑。親が心配になるんです。だいじょうぶか?って。
>「死ぬことが悪いことではないと親も思っていてほしい」という一文がどうしても気になります。それはあなたのわがままですよ。親の気持ちをもう少しわかってあげてくださいね。親より先に死ぬことは最大の親不孝である。と私は思ってます。
 僕がそう思うのは、いくら守ろうとしても、死ぬ時は死にます。なぜなら、命は自分の意志でないからです。ある程度できると言うのは思い違いと思っています。自分が命に対する態度として疑問なのは、その営みである生死のうち、何故、死ばかり否定するのかという気持ちです。僕が生きている事で、幾つの死を踏み台にしているのか?それでも親は自分の子を生かすのか?
僕の足台になってる命に対する態度としては、自分(子ども)の生ばかりを気にかけるのも、又当然かもしれません。何故なら、僕らは踏み台の上にたつと同時に、足台であるからです。だから、僕が僕とゆう場所にたつのです。死もまた生と思います。すべてにおいてです。
子を大切にするのは動物本能ですが、自分の命を捨てて子を守るのはなんでしょう?人間は、そうします。本望なのでしょうか、。
 
最強親不孝ですか、、。それをしてしまわなければならない、たくさんの人、命がいるのに、僕は彼らの死の上に立ってるわけです。ですから、生きてるものも、うえにたたれていることを、親にわかって欲しいんです。そういう支えあいに、上も下もありません。競争はある、共存はある、でも、すべて上も下もないんです。
弱肉強食というけれど、強いも弱いもない。と思います。
 
でも、子のためなら死ねると思う心があれば、いつか大丈夫だと、思ってます。
横柄だと思われたなら、ごめんなさい。
>あくせく働くのだってこどものためばかりでなく自分の人生を豊かにしたいってのもありますよね。
 そうなんですか?たしかにそうですね。でも、子どもの存在が、自分の人生をより豊かにするためってことはないですよね?
子どもをもつってどんな気持ちなんでしょう。うれしい。理由もなくうれしい。
そうあって欲しいです。ならば、子は親を救うことになります。大仰ですか?
僕はほんとにそう思ってます。だから、子が先に死ぬと、親不孝だとおもうのでは?僕がもし親になったらどうなんでしょうか、、、。子に人生を託す?つがす?様なことはするんでしょうか。理由なくに子の命を優先するでしょうか。命の伝承とは、かくも狭い者とは思いません。
それとも、そういう伝承もすべてであるんでしょうか、。きっとそうでしょうね。
何故なら、血筋はいつか途絶えます。出るものは消えます。しかし、すべてがすべてであることには変わりありません。永遠はつながる者でない。今が永遠です。出たり消えたり、しないのがすべてです。
まぁ、何か、いつか、わかると思います。
 
ぐだぐだとつたないおしゃべりを聞いていただきありがとうございます。
申し訳ないです。
 

お礼日時:2002/01/17 01:51

こんばんは。



>体が基本だ!見たいにゆわれてる気がします。

確かに体がなくなることは、命がなくなることになると思うのですが・・・。

私の父は、ベトナムに4年間住んでいました。
ベトナムを愛し、そこに永住したいとまで考えていたようです。

私達親族は、初めベトナムに行くことを少し反対しましたが(まだ今のように政治的にも不安な時期でしたので)、ベトナムで生き生き過ごす父を見て、ベトナムに行ったことはとてもよかったことだと感じました。

でも、その父も病魔には勝てず、日本での治療の為帰国しました。
そして、そのまま亡くなりました。

ベトナムの友人達には、「お正月には戻るから」と言い残して・・・。

きっとベトナムに、戻りたかった(戻るつもりだった)のでしょうね。

守ることは、自衛することです。
自ら危ないところには、行かないで欲しいという意味もあると思います。

命は大切だと思いますよ。

的外れな意見ですが、ご参考までに・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんか、お父さんは生き生き生きて、何が大切なのか、お分かりになられてたのでしょうね。
>自ら危ないところには、行かないで欲しいという意味もあると思います。
僕は、行くべき時に、行くべきところに行きたいです。いるべきところにいたいです。逢うべき人に逢いたいです。
 その、外的環境とか、僕の命、君の命というか、内と外を分けたくないんです。
 他と自を分けたくないんです。しかし、自がある。その理由はなんとなく頭ではわかってます。頭とか分けたくないんですが、。(笑
 
的外れだなんてとんでもないです。ありがとうございました!

お礼日時:2002/01/17 02:01

No2のsamarukandoです。

なんどもすみません。
 ずっと前から行きたかった、あこがれのサマルカンドへ数年前にやっと行くことができました。砂漠の中のイスラム国で、とてもロマンティックなところでした。
中国の西安から出発して、シルクロードを西へ向かい、一年に一週間づつ旅をしながら、五年目にサマルカンドへ到着したときは本当に感動しました。
 いまのところわたしの旅のテーマは「シルクロード」です。旅も人生もテーマがなければつまらないです。caballeroさんはカナダから東回りですね。何か大きなテーマをお持ちのように感じられます。
 自分の幸せのために何かする人生を「自己回帰的人生」といいます。これはたぶん退屈でしょうね。また人生のテーマが「生きること」というのも滑稽です。それはテーマがないというのと同じです。むなしい人生と言えそうです。
 むしょうにヒマラヤが見たくなり、去年の11月にネパールへ行きました。知人たちにこの時期に飛行機に乗るのは馬鹿だと言われながら、ヒマラヤの輝く白さに感動してきました。この世にはいのちより大切なものがあるみたいですよ。のびたならわかってくれそうですが・・・

この回答への補足

今、なんかべらべらしゃべって、なぜか晴れた気分になりました。
ありがとうございます。
僕はすでに、行って来ているんです。何に悩むのか?と思いました。
繰り返し言う事でわかりました。
samarukandoさんは何故よく知っておられるのですか?
お話をしていて、後にも先にも、いる人はいるんだなぁと、思いました。
又、出逢えてうれしいです。

補足日時:2002/01/17 02:37
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この回答へのお礼

>何か大きなテーマをお持ちのように感じられます。
う、実はなかったりして、。(笑
行き当たりバッタリではなく、当然のごとく、そこにいたいんです。
疑問の余地がないんです。僕が生きに来た事に、。
逢うべき人と逢う。
生や死、僕と君、何々のため、目的、限る事など何もないと、。思うんです。
>この世にはいのちより大切なものがあるみたいですよ。のびたならわかってくれそうですが・・・
 すべてです。それはすべてです。僕は、すべてにおいてあります。だから、僕であります。だから、僕などないのです。僕という場所に僕が立つ。
大切とか、人生とか、引き合いに出てこないです。生きるも死ぬもないんです。
ただ、僕が僕であるように、すべてがすべてである。そこが重要です。
魂。ぼくはこれを知っているんです。
だから、命を知っているんです。
だから、「すべて」を知れるんです。(マジ真剣です)
しかし、得ていません。いや、得ている。逢っていないだけだ。だからすでに逢ってます。僕というのは今であるからです
 
すべては英語の単語だとか、ある人の素性だとか、そういうことではないです。
並ぶ者のない言葉です。
 
>この世にはいのちより大切なものがあるみたいですよ。
魂です。しかし、命がこの世にある限り、すべてが大切です。魂は、だからそれに尽くすのです。魂は、それがそれである事の所以です。すべてに含まれないものはない。
のび太ならどういうでしょうね。
 
いやっ!確かにのび太なら知ってる。それがそうである事です。ヒマラヤがヒマラヤである事を知るのが大事です。それは、名前が付けれません。呼ぶことなど出来ないし、必要もない!それがそうであること、それがそのすべてであるから。
すべてと同じようにすべてであるんです。
だんだんモード入ってきました。(笑
 
samarukandoさん、ご回答ありがとうございます。なんか、ここに来てグチグチしゃべってすみません。

もし引いたら、みんな引かないで下さい。(笑
余談:
僕は縦周りですね。それでもサマルカンドに行こうと思います。
でもほんとはもう行って来てます。僕という場所にです(笑
僕という場所、世界(この世)の果てです(真剣)
そう思います。
世界の果てで、皆に逢いたい
 
皆がすべてを得るように。
 

お礼日時:2002/01/17 02:32

禅問答(本当の禅でのお話)をひとつ。



若いお坊さんが師である高僧に尋ねます。
「お釈迦様様の教えはどういうことですか?」
「庭先の柏の木だ」
「ふざけないでください」
「ふざけてはいない」
「では教えとは?」
「庭先の柏の木だ」
若い僧は悩みます。師は答えをくれません。
ひたすら悩みぬいて師に問います。しかし、
「お前はいのちに成り切れていない」
と言われ、再び悩み苦しみ座禅を組みます。
どうしてもわからない。
その悩みで全身がはちきれそうになって、そこで、
「成り切れなかったから成り切った、成り切れないそのものに成り切った」
と、悟りが開けます。
そこで庭先の柏の木を見て、そこかしこがそのままの在りようで在り、
あえて名づけるならば「いのち」としか言えない、でもその言葉も程遠いことに気づきます。

私たちが見ているその私たちがいるから宇宙は存在すると言うのが人間原理的宇宙論です。
要は「いのち」という言葉の記号で表されている当体に目を向けよ、「見よ見よ」といっておられるのではないでしょうか。
「どこどこを見る」「何々を見る」のではなく、あることを見よ感じよ、そして感じる自分の在りようをまず持て、そんなところじゃないでしょうか?

難しいですね。言葉は繰れば繰るほどそのものから遠く離れていってしまいます。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりだと思います。とんでも素晴らしい。このご回答を頂いて、嬉しくなりました。
>あることを見よ感じよ、そして感じる自分の在りようをまず持て、そんなところじゃないでしょうか?
 それはもつまでもないと思います。すでにもっているからです。
>「成り切れなかったから成り切った、成り切れないそのものに成り切った」
笑ってしまいました。それは、嬉しいからです。こっけいを笑うのではなく、この若僧の喜びが知れるからです。なんてすばらしいことか、。(真剣)
つまり、ないものなどないということです。
無いものなど無いのです。
それがあの世でもこの世でもどこかの果てでも、同じ事です。
ないはない。
だからすべてありなんです。
僕はそう思ってます。
あらなければならないことは無い。
こうしなければと言うことも無い。
そうであることも無い。
何も無いから、すべてあるんです。
>難しいですね。言葉は繰れば繰るほどそのものから遠く離れていってしまいます。
素晴らしい事をおっしゃいますね。
むしろ、僕らは繰りすぎているので、そのままの言葉が見えないのかもしれません。自分は自分。これが自分と言う言葉です。自分が悪い、自分はえらい、じぶんはいく、僕は思う、俺が、私が、何々ではないと思うのです。A=A。B=B。
つまり、A=Bとすることが、言葉を繰っているのです。
誰が悪い、君が生きる、これこれがこうだから、それはあれ。
いつも僕らはくりまくりです。(笑
 
たいへんうれしいご回答、ありがとうございました!
 

お礼日時:2002/01/17 16:21

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