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第二次世界大戦後、日本は連合国軍に占領され、間接的に統治されました。その結果、現在の憲法がつくられて9条とかで揉めています。
それでは、同じ枢軸国であったイタリアやドイツはどうなのでしょうか。

(1)日本と同様に連合国軍の直接、ないし間接的な統治の下におかれたのでしょうか。

(2)また、日本と同様に憲法の改正がおこなわれたのでしょうか。もし、日本国憲法の9条と同じ内容を持つ憲法が作られているとするならば、やはり日本と同様に海外派遣とかで問題になっているのでしょうか。あるいは、逆に日本と同様の憲法改正が行われていないとするなら、それはどうしてでしょうか。

どなたかよろしくお願いします。

A 回答 (7件)

枢軸国ですが、勘違いされているようですので…



 当初の枢軸国は、日本・ドイツ・イタリア・満洲・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・フィンランドでした。ですが1943年にイタリアが単独で降伏、日本・ドイツ・満洲・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・フィンランドに対して宣戦布告し連合国に属しました。

(1)
日本…米英豪によるGHQ統治が実施されました
ドイツ…米英仏ソによって分割統治されました
イタリア…連合国(旧敵国条項非対象)です
満洲…ソ連統治の後、中華人民共和国に併合
ルーマニア…ソ連により人民政府が設立され間接統治下に
ハンガリー…ソ連により人民政府が設立され間接統治下に
ブルガリア…ソ連により人民政府が設立され間接統治下に
フィンランド…ソ連の統治下ではないが、ソ連寄りの政策を強要される

(2)
日本…昭和21年憲法を改正
ドイツ…憲法改正を拒否。憲法以外に基本法を制定
イタリア…1946年王制を廃止
満洲…滅亡
ルーマニア…革命
ハンガリー…革命
ブルガリア…革命
フィンランド…改正なし

体制継続国では日本以外で占領中に憲法を改正した国はありません。これは占領国は被占領国の憲法は改正してはならないという国際法規定を日本以外は貫いたからです。

冷戦下のドイツはヒトラー憲法(1935年制定)だったんですよ。ドイツには憲法擁護局という言論統制組織が存在してます。
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この回答へのお礼

敗戦国の多くは社会主義になってるんですね。これを見ると、どうしてアメリカが日本に基地を置いたのか納得がいきます。
ドイツは憲法改正を拒否して、日本は拒否しなかった・・・これは当時の政府の方針による違い(国民性の違い?)なのでしょうか、間接統治した連合国軍の方針の違いなのでしょうか。

お礼日時:2006/04/15 11:25

 PENPEN様、有難うございます。


 
 南ドイツは北に対して独立心旺盛とは知っていましたが、基本法を承認していなかったとは・・・。
 大統領選挙や総選挙などは、何故統一して行なえるのでしょうかね。^^;

 ドイツ人の生真面目さで、それぞれの法毎に州議会が連邦で作られた法を承認しているのでしょうね。

 しかし、王制とは・・・!

 ワーグナーとノイシュバイシュタイン城が、よほど誇りなのでしょうね、きっと。
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No4様



 No5様の回答でだいたいの部分が出ているのですが幾つかの事情があります。連合国からは即時憲法の改正を要求されましたが、ドイツ政府は占領下での憲法改正は国際法上認められないとし、ドイツが統一された後にドイツ国民の意思によって改正を行うとしました。そして、1949年に西ドイツが結成された際に基本法を制定します。この基本法により1935年憲法は機能しないという規定が行われました。この基本法は各州が承認するという方針だったのですが、ドイツ最大の州バイエルン自治州が「基本法は州権を大きく制約している」として承認を拒否してしまいます。そのまま戦後が推移し、ドイツ統一となったのです。
 統一後、憲法制定の動きがあったのですが、現在の基本法に準じた憲法ではバイエルン州による承認は見込めず、状況によってはバイエルンの連邦脱退(時々ちらつかせています)が起きる可能性があり制定しないままになています。
 バイエルンが連邦を脱退しますと、プファルツ州(バイエルンとプファルツは1918年までバイエルン王国を形成していた)が脱退してしまい、ドイツ経済の1/4以上が失われることになります。同時にバーデン・ヴュルテンベルクも同調しかねず、そうなるとせっかく統一したドイツが崩壊してしまうのです。

 ちなみにバイエルンが基本法でもっとも納得がいかないのは王制を認めないことだそうです。
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この回答へのお礼

憲法に関してかなり、激しい意見対立があるんですね。バイエルン州が脱退をちらつかせているとは知りませんでした。もし日本が連邦制だったら・・・沖縄が脱退をちらつかせる、見たいな感じでしょうか。
大変勉強になります。ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/15 11:31

第二次世界大戦中だと「ドイツ」には「オーストリア」が含まれているような気がするのですが, こちらは 1955年に永世中立を宣言することで独立したんじゃなかったでしょうか?


あと, ドイツの憲法という点については, 戦後の東西分裂に際してドイツ連邦共和国 (西ドイツ) では「暫定国家」という立場にたって「憲法」ではなく「基本法」を制定し, かつ「この基本法は, ドイツ国民が自由な決断で議決した憲法が施行される日にその効力を失う」としています. 一方ドイツ民主共和国 (東ドイツ) は「憲法」を制定しました. で法的には東ドイツの諸地域が州を設置したうえで現在のドイツ連邦共和国が成立しました. 本来ならこのときに「憲法」を制定してもいいはずだったんですが, 結局制定しないまま現在に至っています. 結果, 各州には憲法があるんですが連邦には憲法がないという状態.

参考URL:http://koho.osaka-cu.ac.jp/vuniv2003/noda2003/no …
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この回答へのお礼

ドイツ連邦に憲法がないとは知りませんでした。かなり驚きです。ドイツ連邦ってアメリカと同様に、州ごとに法律が異なるんでしょうか。そうすると、法曹資格も州ごとにことなるんでしょうか。

お礼日時:2006/04/15 11:29

 これは回答ではありません。

便乗質問です。No3のPENPENさん、ドイツの憲法の変遷とその背景、もう少し詳しく教えていただけませんか。

 ワイマール憲法
  ↓
 ヒトラー憲法
  ↓
  ?
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(1)のイタリア関連の回答


1943年のシチリア島上陸後、独裁者ムッソリーニが失脚しパドリオ政権が連合軍と講和、日本・ドイツと敵対する連合軍側に寝返りました。しかし、それを良しとしない旧勢力とドイツ軍はムッソリーニを奪還、イタリア北部に傀儡政権「サロ共和国」を設立、以後、南北に分かれて戦闘が続きましたが、ムッソリーニの処刑による傀儡政権の崩壊とドイツ軍の敗北で1945年4月でイタリアの戦いは終わりました。
このため、「国として承認されたイタリア」には無条件降伏による完全占領は成されず、むしろ連合軍側は戦車や戦闘機など装備を提供し、共に戦っていました。
(2)のイタリア関連の回答
戦後、国民投票で君主制が廃止され共和国となりました。
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この回答へのお礼

(1)(少なくとも形式的には)イタリアが最終的には連合国であるということは知りませんでした。途中で寝返ったら連合国として認めてもらえるんですね。何か、ちょっと不思議な気がしますけど・・・
(2)知りませんでした。日本で天皇制廃止の国民投票をしたら・・・敗戦直後であれば案外廃止派多数になってたんでしょうか。それとも、イタリアの君主は日本の天皇よりも求心力が小さかったんでしょうか。

お礼日時:2006/04/15 11:20

ドイツは米英仏ソで分割統治されました。


そのため米英仏占領地が西ドイツになり、ソ連占領地が東ドイツになり長らく分断されていました。(いまは再統一していますが)
当然憲法も変わりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/15 11:15

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