江戸時代に熊野詣にかかった日数は?
そもそも江戸時代もしくはそれ以前に江戸から熊野詣に出かけていたかどうかも含めてですが、どのぐらいの日数がかかったのでしょうか?また当時から熊野三山と言われ三ヶ所を回っていたのでしょうか?
回答(2件)
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No.1です。 女性の場合ですが、「女旅日記江戸辞典」に江戸を3月13日に出発して、伊勢に4月1日についたとの記録がありました。 18日間かかっており、東海道膝栗毛の12日間の1.5倍です。 これより推定して女の足では、江戸ー熊野本宮間は30日あまりかかるでしょう。
中公新書 「伊勢詣と江戸の旅」に記載されているコースでは、伊勢からまわる所は高野山で熊野は書かれていません。 江戸から熊野詣は一般人は殆ど行かなかったと思われます。
No.1ベストアンサー20pt
江戸から伊勢参り、ついでに熊野詣でしょう。 岩波新書の「江戸の旅」の著者は伊勢参りの片道12日と書いています。 江戸時代は健脚のようで、幕末で道路は整備され、伊勢湾は七里の渡しで楽をしたとしても、相当なはやさです。
伊勢から熊野までは「泉光院江戸旅日記」が参考になります。 泉光院は高位の山伏でお供を連れ、諸国を回遊しました。 この中に志摩から熊野詣でをした記録があります。 文化15年63歳のときです。 熊野を経て熊野本宮へ直行したのですが、道悪しきこと言語道断なりと記しています。 宿もあまり無かったようです。 これを参考にして伊勢ー熊野本宮は、8-10日かかると推定しました。 東海道にくらべ相当遅いペースです。 63歳ですが壮年時は一日60里(240キロ)歩いたそうで、当時の標準40里はいけたでしょう。
結局 江戸ー熊野本宮は健脚、順調にいって20日あまりといえます。 実際は大井川の川止めもあり、私は25日くらいはかかると思います。
道路や宿の状況から江戸からの熊野詣は、かなり少なかったようです。
そのあと泉光院は熊野本院から、熊野川を船くだりで新宮経由、那智へ行き、熊野三社(三山)をまわりました。
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