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こんばんは。
映画も大好きですが配給会社や映画館などの話も大好きです。
以前から質問しようと思っていたのですが
日活は石原裕次郎、小林旭、吉永小百合などの大スターを多く抱えながらなぜロマンポルノ路線に行かねばならなかったのでしょうか?
大映のように製作される映画が時代にあってなかったのでしょうか?
でも「戦争と人間」などはすばらしい作品ですよね?
ロマンポルノに以降してからもでしょうか?「赤ちょうちん」「妹」などの一般作品も作っていたのになぜロマンポルノに移行してしまったのでしょうか?
当時をご存知の方、また詳しい情報をお持ちの方、事実も推測も歓迎ですのでどうかよろしくお願い致します。

A 回答 (7件)

↓に当時を知る人のインタビューが載ってますよ。


http://www.nikkatsu.com/times/column/staff/volum …
↓も参考になるでしょうか。
http://www.nikkatsu-romanporno.com/roman/shiraka …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B4%BB% …

リンクが開かない場合は、↓からどうぞ。

参考URL:http://pcsoft.okwave.jp/kotaeru.php3?q=2183853

この回答への補足

不適切な回答、質問が多いということで停止処理を行うと通知が来ましたので今後お礼は書けなくなってしまいました。
中途半端で終わってしまい本当にすみません。
ありがとうございました。

補足日時:2006/05/31 12:36
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この回答へのお礼

こんにちは。
なぜかまだお礼が書けますので遅くなりましたが書かせていただきます。
日活ロマンポルノとピンク映画は違う・・・という位置づけの説明は興味深く拝見しました。
サイトのご紹介ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/04 14:57

この回答への補足

不適切な回答、質問が多いということで停止処理を行うと通知が来ましたので今後お礼は書けなくなってしまいました。
中途半端で終わってしまい本当にすみません。
ありがとうございました。

補足日時:2006/05/31 12:36
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この回答へのお礼

こんにちは。
なぜかまだお礼が書けますので遅くなりましたが書かせていただきます。
参考サイトのご紹介ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/04 14:58

私が日活という言葉を初めて聞いたのは、高校生くらいだったと思うのですが、そのころはいやらしい響きで見ていました。



最近石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、吉永小百合などの全盛期のDVDが発売され、レンタルもされていますが、私はこれで初めて裕次郎などの映画をたくさん見ました。昭和30年代は裕次郎、小林旭、吉永小百合など日活スターの全盛期でした。映画全盛の時代で、5社協定があり、東映・大映・東宝・松竹・新東宝で俳優を独占していました。しかし、徐々にテレビの方が娯楽の中心に位置し、昭和40年代くらいは映画会社各社とも生き残りをかけ、安定収益のある成人映画に路線変更を余儀なくされたようです。日活がロマンポルノで有名になっていますが、実は東映、松竹などの後を追って路線変更しているようです。

http://www12.ocn.ne.jp/~nacky/roman/roman0001.html

この回答への補足

不適切な回答、質問が多いということで停止処理を行うと通知が来ましたので今後お礼は書けなくなってしまいました。
中途半端で終わってしまい本当にすみません。
ありがとうございました。

補足日時:2006/05/31 12:40
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この回答へのお礼

こんにちは。
なぜかまだお礼が書けますので遅くなりましたが書かせていただきます。
新東宝というのはどういうスターが在籍していたのでしょうか?
どんなマークだったんでしょうか?
他の会社と一緒で直営館を持っていたのでしょうか?
すっごく興味深いです!
貴重な情報ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/04 15:01

横道にそれますが。

 
 それぞれの映画会社の得意分野があるようにおもいます。東映は昔からやくざ物が得意分野ですが 時代によって清水次郎長や森の石松など
江戸時代のものから 人生劇場・吉良常とかの明治・大正・昭和初期ぐらいの博徒ものに替わり これがだめになったころ 仁義なき戦いがヒットして 昭和・戦後の物が作られ それから現代やくざ物に移ってきたと思います。
 東宝はサラリーマン物(森繁)・青春物(加山)・特撮もの(ゴジラ) 日活も青春もの(吉永)とかウエスタンもの?(小林)が作られなくなってからは 高橋英樹主演の男の紋章などの博徒物が作られましたが東映ほどうまく行かず 日活ロマンポルノにいつたのではないでしょうか。ピンク映画は二流映画館で上映したが日活系の映画館での上映でしたから 少しは入りやすかったのでは。
 

この回答への補足

不適切な回答、質問が多いということで停止処理を行うと通知が来ましたので今後お礼は書けなくなってしまいました。
中途半端で終わってしまい本当にすみません。
ありがとうございました。

補足日時:2006/05/31 12:39
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この回答へのお礼

こんにちは。
なぜかまだお礼が書けますので遅くなりましたが書かせていただきます。
やはり日活、大映は路線変更というか独自の路線を作れなかったんでしょうね・・・
他の回答いただきました参考サイトを見ますと日活ロマンポルノとピンク映画の位置づけが違うと書かれているのが興味深かったです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/04 15:07

こんばんは。

倒産の経緯そのものについては詳細はわからないのですが、「作品そのものの問題」「専属スターの離脱」「直営館を含む不動産関連の問題」などが複雑に絡み合っているとは思います。当時は東映・松竹・東宝が確固たる路線を確立し、経営的にも本業の映画以外に多角的なビジネス展開をして成功しており、そういう意味では経営的にも大映・日活の2社は立ち遅れた感もあります。(その中でも本業の映画では東映が一人勝ちの状態でしたが)。また、当時の日本映画は11日間サイクルでの2本立て上映が主体(プログラムピクチャー)でしたが、ロマンポルノ移行直前に大映と日活は営業面で一度手を組んでいます。配給面で収入効率を上げようという目的で、大映と日活の共同出資で「ダイニチ映配」という配給専門会社を立ち上げ
両者の直営館を統合、一部売却を行い、ダイニチ映配直営の映画館では大映と日活の作品を2本立てで上映するようになりました。しかしそれでも業績は回復を見ないまま1年もしないうちに先に大映が倒産しました。注:その後の「大映」ブランドは配給を行わない純粋な製作プロダクションとして徳間書店グループに買われました。現在の「大映」は角川書店グループです。
残された日活はご存知のとおり、時々は一般映画を撮りながらもロマン路線に移行し生き残りをかけました。一時はそれも成功を収めました。ポルノということで監督も安い新人を使えるし、女優のギャラも安い。(とはいえ、そこから現在では巨匠と呼ばれる大物監督やスター俳優も多数輩出しているので映画人の登竜門の役割も果たしました)一般映画の平均制作費が1億円の時代に5分の1の予算で製作できたと聞きます。経営的にも直営館などの不動産をすべて売却したため利益も上がりました。しかしこれも栄枯盛衰。
ロマンポルノ出身の監督や俳優で実力をつけた才能が離脱をはじめました(監督では村川透・和泉聖二・周防正行などの錚々たる面々、男優では風間杜夫など)
ロマンポルノに翳りを見せ始めた日活は、新規一転社名を「株式会社にっかつ」と平かなに変えたりしました。その後一瞬ですが大作路線をもう一度とばかりに
「ロッポニカ」という社名に変更し一般映画への帰還を目指しましたがこれが見事におおコケ・・・。また日活に社名を戻したものの、映画を作る余力は消え果てて単にわずかに残されたスタジオなどの不動産管理だけを行う会社になり、そのまま倒産・・・といったシナリオだったと思うのですが。
ちなみに現在の「日活株式会社」はナムコを経てインデックスグループの傘下にあります。

この回答への補足

不適切な回答、質問が多いということで停止処理を行うと通知が来ましたので今後お礼は書けなくなってしまいました。
中途半端で終わってしまい本当にすみません。
ありがとうございました。

補足日時:2006/05/31 12:38
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この回答へのお礼

こんにちは。
なぜかまだお礼が書けますので遅くなりましたが書かせていただきます。
ダイニチって聞いたことあります!
どんなマークだったんでしょうね?
大映と日活の共同会社とは全然知りませんでした!
「にっかつ」で復活しようとしたのは有名な
「落陽」(超大作)でしょうか?日活が復活をかけた大作で「落陽」だったのだけどそのタイトルどおり「落陽」になったという話は聞いたことがあります!キャストは豪華ですが映画としては失敗作と思います(ビデオで見る機会がありました)。
もう日活時代の大作や名作、青春映画などを製作するノウハウがなかったのかもしれないですね・・・
ロッポニカも聞いたことあります。その後また「日活」に戻っているんですか・・・
今は「アローン・イン・ザ・ダーク」や「ブラッド・レイン」など配給をやっているようですが・・・・・
当時の貴重なお話ありがとうございました。
もっともっと聞きたいし知りたいです。
本当にありがとうございました!

お礼日時:2006/06/04 15:33

まだ回答も書けますね。

他の方の回答に対する記述で失礼かと思いますが、新東宝について解答します。
1947年に東宝の労働争議によって有志が独立し設立したのが新東宝です。(ちなみに同じような理由で「第二東映という会社もあったんですよ)
当初は文芸大作や戦争映画を主に製作していましたがだんだん経営が傾き、建て直しのために大蔵貢という人物を社長に迎えました。そして1950年代後半には、ポルノではありませんが、エログロや怪談路線に転じ会社は持ち直しました。この時代、新東宝出身の大物俳優はたくさんいます。男優では丹波哲郎・天地茂・菅原文太。女優では三ツ矢歌子・池内淳子など。
しかし大蔵社長の超ワンマン経営がたたり、新東宝も1961年には倒産します。(新東宝は直営館は持っていなかったと思います)
その後、新東宝は国際放映というTV製作会社になり、大蔵社長は新たに「大蔵映画」という会社を設立しました。国内初のポルノ(当時はピンク映画と言った)映画専門の製作配給会社で今も健在です。
また、新東宝というポルノ映画会社が今もありますがこれは、元々の新東宝とはまったく無関係の会社です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
すごく興味あるので回答を拝見して当時の映画界を想像して楽しいです。
新東宝は東宝と関係あるんですね!でもキャストが東宝と全然違いますよね?
結局別会社というような位置づけだったんでしょうね。
ちょっと調べましたら新東宝超大作「戦艦大和」という作品があって見てみたいです!
同じ新東宝というアダルト映画会社もあるんですか(メモメモ)
第二東映は全然知りませんでした。
すごく勉強になる回答ありがとうございました!
また是非教えてください!!!

お礼日時:2006/06/17 00:32

ロマンポルノが儲かったからです。



テレビの普及やレジャーの多様化で映画が娯楽の王様ではなくなり興行収入が激減し、経営基盤があやしくなるのが1960年代です。
この減少はハリウッドでは、日本より十年ほど早く現れています。

有効な対策をとる事のできなかった大映が真っ先に倒産しました。
東映は、任侠路線から実録やくざ物へと鉱脈を掘り当てましたし、東映マンガ祭りも稼ぎましたのでしばらく生きながらえました。
松竹は、とらさんなどのコメディー系、東宝は、なんといっても怪獣映画が集客力を持っていました。

なぜエロチック路線を選んだかという理由は様々な要因が絡んでいると思いますが、確信が有ったわけでなく、初期の何本かがヒットしたので「行ける!」と判断したのでしょう。

日活ロマンポルノからは有能な人材が輩出しましたが、周防は、助監督はしたかもしれませんが作品は撮っていません。デビュー作『変態家族兄貴の嫁さん』は、ピンク系です。

関連本が何冊も出ていますから立ち読みでもしてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
東映まんが祭りや東宝の怪獣映画が集客できたのですか・・・・
最後の「ゴジラ」は集客が悲惨だったそうですが時代が違うのですよね!
関連本があるとは知りませんでした。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/17 00:36

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