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こんばんは。

国語学や文法のご専門の方にお聞きしたいのですが、最近TVやラジオで、やったらと

★「さっそく、そのお店にはいってみることに・・・」
●⇒⇒⇒⇒はいってみることにしました、じゃないの?

★「さっそく、試してみることに」
●⇒⇒⇒⇒試してみることにしました、じゃないの?

前から耳障りだったのですが、最近某国営放送でも「さっそく、楽屋にお邪魔してみることに・・・」と始まっちゃったので、疑問は沸点に達し、投稿させていただきました。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (8件)

専門家ではないですが、


単に端折っているだけではないですか?
「おつかれさまでした」ときっちり最後まで言わず「おつかれ」で
済ましていることなど、深く追求するとたくさんあります。
NHKは国営ではありませんが、国営放送があったとしても放送には万事に完璧な日本語ではないと思います。
時代に柔らかく応じているように思います。

この回答への補足

NHKを国営と呼んだのは、単なる「揶揄」ですが、実質的国営放送です。
誰でもが納得する「ウィキペディア」によると・・・。
==============
日本で唯一の公共放送を運営する特殊法人。放送法が設立の根拠となっている。その条文とは、以下の通りである。「公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内放送を行い又は当該放送番組を委託して放送させるとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び委託協会国際放送業務を行うことを目的とする(同法第7条)」特殊法人である。
==============
とあります。上記7条はすべて日本放送協会の項目であり、(回答者さんのご指摘とは違い)「良い放送番組」を作成する義務があります。
日本放送協会の番組(除:ドラマなど)では「おつかれー」や「やばい」などの表現・発音はしていません。その日本放送協会が使用している現状を憂いているわけです。

補足日時:2006/07/17 01:33
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この回答へのお礼

ごいけんありがとうございました。

お礼日時:2006/07/16 18:31

私もTV等の言葉遣いには 敏感に反応するほうですが 例に挙げられた言葉は別に違和感はありません。

この回答への補足

違和感、ありませんか・・・。そうかぁ。私だけなのかなぁ。

補足日時:2006/07/17 01:45
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この回答へのお礼

ごいけんありがとうございました。

お礼日時:2006/07/16 18:31

同感です!本当に不愉快な表現ですね!知性や教養の高さを感じません。

ごくたまに、あるいは短くするためにやむを得ず使われるならまだしも、これが当たり前のように出てくると、書き手やナレーターのレベルを疑ってしまいます。そのコーナーや、ひいては番組の信憑性も無くなります。

それが「気にならない」という人がいるのにも驚きました。

○HKでも、ニュース番組にアクセントの怪しいアナウンサーが出てきてうんざりしています。お手本に出来ないような全国放送では困りますね。メインキャスターを務めていた方はやっと交代したのでほっとしていますが、定時ニュースにはまだまだたくさんの方がいらっしゃって、ただでさえ暑い季節がよけいに不快になります!

この回答への補足

「全然大丈夫」のように「一人歩き」を始めはしないかと心配です。回答者さんと同様「不快」だからです。

日本放送協会の「義務」については、#1さんの補足部分をご覧いただくとありがたいです。

補足日時:2006/07/17 01:47
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この回答へのお礼

ごいけんありがとうございました。

お礼日時:2006/07/16 18:32

そこまで気になるなら、


★「さっそく、そのお店にはいってみることに・・・」
●⇒⇒⇒⇒はいってみることにしました、じゃないの?
■⇒⇒⇒⇒⇒入ってみることにします。
★「さっそく、試してみることに」
●⇒⇒⇒⇒試してみることにしました、じゃないの?
■⇒⇒⇒⇒⇒試してみることにします。
でしょうね。
この言葉の伝えようとしているのは、いままさに【入ろうとしている】【試そうとしている】ところでの発言ですから、「入ってみることにしました」などとは異なるものを伝えているのです。

このように、この言葉は主としてリポーターなどが、現場に足を運び、様々な事柄と現場の空気を伝える時の表現だと思います。
「さっそく入ってみることにしました」という言葉が伝えるニュアンスと、「さっそく入ってみる事にします」のニュアンスと、「さっそく入ってみることに・・・」のニュアンスは微妙に違うことにお気づきだと思います。

最後の「さっそく入ってみることに・・・・」が伝えるニュアンスは、【リポーターが、これから初体験する現場に恐る恐る、また好奇心と期待の思いで歩を進めていく様子が窺われるのです。その現場で何が待ち受けているのか、どんなことが起こるのかを視聴者や聴取者に期待させる意味合いを込めてのレポート発言なのです。

いわゆる中継の気分を盛り上げる演出発言なのですから、NHKのリポーターまでが・・などと騒ぐ問題ではないと思います。

この言葉が文章として出されたのであれば少々おかしな文章になりますが、あくまでも話し言葉、それも現場中継の演出となれば問題は無いでしょうね。

この回答への補足

お礼は下欄でいたしましたので、ここでは単刀直入に書かせていただきます。

>そこまで気になるなら
●⇒⇒⇒⇒というのは、何が基準なのですか?「そこ」ってどこ?という感じです。

もう一つ。
回答者さんは誤解されておられます。
「~してみることに・・・」
には、一貫して「中継を盛り上げるアナが言うこと」と仰いますが、私はむしろ「伊○家の食卓」で「どうやっても落ちなかった汚れ、裏技をさっそく試してみることに・・・」あたりが嚆矢だと思うのです。どうも「以降」は「・・・することに」が乱発・乱用されていると思うのです。伊○家の食卓は、回答者さんご指摘の「(実況)中継」ではありませんよね?

というわけで、新しい場所を紹介する・それを(実況)中継することを全て「・・・ことに」の例にされるのは、少なからず大雑把であると思うのですが。

私は右でも左でもありませんが、「日本放送協会のリポーターが使っても問題ではない」は違うと思います。日本放送協会は「正しい日本語を放送する義務」があるからです。#1さんの補足の条文をご覧戴ければ幸甚です。

補足日時:2006/07/17 02:04
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この回答へのお礼

ごいけんありがとうございました。

お礼日時:2006/07/16 18:30

番組を見ていないので、想像ですが、「さっそく、そのお店に入ってみることに・・・」という言い方は、恐らく、その番組にふさわしい表現だったのではないでしょうか。



というのは、言語表現の良し悪しは、言語表現単独で決まるのではなく、その言語表現がどのような場面や情況で語られたかによるからです。例えば、葬式で、遺族の方に、「何だ、アイツ、もうくたばっちゃったのか」と言うのは、ふさわしくないですが、故人と親しかった仲間内で、飲みながら言うのであれば、かえって親愛の情が表現できるかもしれません。

従って、質問者の方が憤慨すべきは、「さっそく、そのお店に入ってみることに・・・」という表現ではなく、この表現がふさわしいような覗き見主義的・大衆迎合的番組を国営放送(じゃないかな?)が作ったということの方ではないかと思います。

この回答への補足

えーと。いやぁ、その、、、、特定番組ではないのですよ。
私は余程のことがないと(ニュース以外は)TVを観ない人です。言い換えると、身近にもいますが、「TVがついていないと嫌」という人ではありません。

TV嫌いの横にTV好きがいて、観ている。その横で聞こえてくるのが問題の「・・・することに」なんです。「多いなー」と思ってはいたんです。そうしましたら日本放送協会でもたまに「それ」を流し始めたので「え?」と思ったわけです。

付け加えますと、別に「お店」に限らないようですね。
・・・入ってみることに・・・
・・・食べてみることに・・・
・・・作ってもらうことに・・・
・・・作ってみることに・・・
・・・試してみることに・・・
・・・実際やってみることに・・・
・・・休ませてもらうことに・・・
・・・泊めていただくことに・・・
気になりだすと、回答者さんのように「特定の番組」でなく、ひじょうに「お気楽に」使われているのが「耳につきます」です。
そう、しかもそれは、殆どが「ナレーター」が言っているわけです。

やっぱりここは専門家の方に「文法」を披瀝していただくことに・・・。

(笑)

補足日時:2006/07/17 16:18
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この回答へのお礼

ごかいとうありがとうございます。

お礼日時:2006/07/17 16:05

日本人の言語生活や態度には(1)最後まで言わない(2)遠まわしの表現 を好む傾向があります。


これは「察しの文化」といって世界でも独特の体系をもっています。話し手は言わなくても解ってくれるだろうという期待感があるのです。「言外の意味」「腹芸」というような言葉もあります。
もちろん誤解を受けることはあります。全部口に出さなければ気がすまない外国人にとっては理解できないでしょう。
 「どうも・・・・」という言い方はこの後に「ありがとう」「すみません」「失礼しました」などの文言がきますが「どうも」だけですませる人はあとは察してくれという態度ですね。
ずいぶん前にNHKの人気番組でそれも人気アナウンサーが「どうも、どうも・・」を連発していました。それ以来市民権を獲得しています。
最後まで言わなくて途中できってしまうのは、聞き手の想像力にまかせたり、期待感を利用するということで、ある点で効果的なやり方です。この言い方日本語話者にはよくあることで、文法や語法がまちがっているのではありません。
日本人の極力いらないことは言わない傾向から日本人独特の文学が生まれました。俳句や短歌ですね。
これには余韻という要素も入ってきます。
「あっ、チャイムがなりました、これで。」日本人同士の会話ならこれでいいのです。
この後に「失礼します」「さようなら」「またお会いしましょう」などは必要ないのです。

この回答への補足

うーむ。

芳賀綏さんですか。。。。

文化論を芳賀綏(養老先生のように)さんのように政治学者が語られるというのもどうかと思います。これは芳賀綏さんを軽視・反対視しているわけではないのですが、そこまで大所高所に立って論じる問題なのか、という気がしています。

「全然平気」という句が、どうやら「どっちでもOK」になってしまったように、この「早速・・・してみることに・・・」も、ある種の市民権を持つようになるかもしれません。ただ、(質問欄にあるとおり)文法の専門家の方に「ご高説を賜りたかっただけ」なのです。

「チャイムがなりました。これで」のあとは、何にも無しでOKなのですか?初めて聞きました。

補足日時:2006/07/17 18:47
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あなたはいろいろと問題を提起されて面白いひとです。


芳賀綏さんをご存知とはりっぱなことです。しかし芳賀綏さんや養老さんが政治学者というのはおかしいですね。特に芳賀綏さんは金田一春彦さんと行動を共にしていた純粋なる言語学者です。養老さんももともとは解剖学者です。
 文法にこだわっておられるようですが、言わなくてもすませる部分の文法はと尋ねられたら一たまりもありません。それが日本人の言い方だと言う以外にはないでしょう。文法学者であろうと日本人の心にまで踏み込むことはできません。
 前回述べたように外国人には理解できないのですから外国人向けの教科書には「言外の意味」を読み取らせるような教材は決して見当たらないはずです。このような事柄を扱うのは日本語がだいぶ上達して日本の社会に溶け込んだ段階で学ぶことがらです。
日本有数の言語学者で、文法学者の故金田一博士は著書のなかで次のように書いています。
日本語の簡略表現という項目で:
< 日本人は、初対面の人へのあいさつで「はじめてお目にかかります」と言って、それでおしまいにする。外国の人は、それはあたり前じゃないか、それでほんとうにあいさつになるかと言う。たしかに、その次に、「どうぞよろしく」というのがなければあいさつになりそうもない。しかし、日本人の間では、次にはそう言うものだということが、了承されている。つまり
言外に含まれているのだ。>と言っています。
「全然平気」ですが、普通は全然の後は否定がくるということが定説になっていますが明治時代の文豪夏目漱石などは「全然+肯定」をさかんに使っています。今になって言葉が乱れていると騒ぐのはおかしいのです。これは言葉というものは時代によって変遷するのだという範疇に属するのです。
しかし、古い昔から培ってきた「察しの文化」すなわち言外の意味、以心伝心、腹芸、阿吽の呼吸などは簡単になくなるものではありません。
それでは・・・・・

この回答への補足

何度もご登場いただき申し訳ありません。回答歴を見させていただきました。国語カテゴリーがご専門の一つでいらっしゃる由、大変生意気なことを書いてしまいました。

そこで、「○○してみることに」(入る・食べる・やってみる・出る・・・・)という言い回しが氾濫しているかのように私には「耳障り」なのですが、仕切りなおしでご高説を賜れれば幸甚です。放っておいて、私がやりすごせば(我慢)いいのでしょうか?

補足日時:2006/07/18 15:10
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございました。これはこれは初歩的なミスをしたものです。芳賀綏氏は言語学者でしたね。すみません。ただ、養老先生は私の書き方が悪かったのでしょう。「バカの壁」で一般ウケするミリオンセラーをお書きの解剖学者です。

お礼日時:2006/07/18 15:07

「そこ」とは、そんな些細なこと、そんな取るに足らないこと、を指しています。



「伊東家」で、「では早速試してみることに・・・」と言いながら、実際に何かを試し始める画面が映し出されて、そこには思わぬ光景、今までには無い効果などが映し出されるのですから、実況中継と同じ映像効果が演出されているのではないでしょうか?
野球やサッカーばかりが実況中継ではありません。

NHKが「常に正しい日本語を話す義務がある」と認識なさっているなら、この言葉は「正しい言葉」なのです。だって、NHKの職員が喋っているのですから。

日本語にはずべてを話さず、聞き手の判断に任せたり、聞き手の興味を湧き立たせたり、新たな好奇心を引き出したりする話法もあります。
ここから先に何が待っているか!という緊迫感を作り上げるのは、リポーターの話術なのです。

悲しい事故現場でも「これから先はどうなっているのでしょうか。ではもう少し入ってみることに・・・」と息をのむ話し方があると思います。
この時、聴いている人は、「えっ! どうなってるの?」と画面にひきつけられるのです。

このような聞き手の心理を把握した上での言葉遣いだと理解すればよいのではないでしょうか。

このような言葉が自分にとって耳障りだからといって、「そんなに問題では無い」という意見を述べる人に噛み付くのはやめましょう。皆が自分と同じ意見を持ってはいないのです。

あなたはご自分の耳障りな言葉を紹介したのです。しかし、多くの人は耳障りでは無いと判断しているのです。耳障りでは無いという人を、あなたの力で耳障りだと思わせることは出来ないのです。
したがって、「ああ、そういう人が多いんだ」と全体の傾向を掴み取るだけでいいのではないでしょうか。

また、NHKだけが正しい日本語を使う義務を負っているわけではありません。

それより「やったら」という言葉のほうが目障りでした。「やたら」⇒矢鱈

言語は生き物です。昨日までの誤った言葉が、突然市民権を得て一般化する事だってあるのです。
ご自分の価値判断基準だけを後生大事にするのではなく、大きな「言葉」の使われ方の流れにも目を向けてみては如何でしょうか?
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この回答へのお礼

ご高説ありがとうございました。
何だかお寺の住職の説法を聴いた後のような気持ちです。

「そんなことどうでもいいじゃないか」ということですかね。

お礼日時:2006/07/23 02:09

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