No.1
- 回答日時:
ベルサイユ宮殿にトイレが無かったことは有名な話ですよネ。
舞踏会のときも紳士淑女たちはダンス場の隅や庭で用を達していたのですネ。トイレは屋外のどこでも自由ですし,室内では‥
少し以前の中国の上海が近い状態だったのではないでしょうか?
一般家庭にはトイレはなく,バケツに用を達して,それを窓から外にぶちまける‥
これが普通だったのではないかと想像できますネ。
日本の感覚は世界で最も清潔好きだと考えてよいでしょう。
入浴にしても中性ヨーロッパなどでは週に一度入浴するのは「清潔好き」と見なされていたようですから。
川で沐浴,シャワーを浴びる‥それだけですよネ。
以上kawakawaでした
No.3
- 回答日時:
何年か前に「やんごとなき姫君たちのトイレ」という本を読んだのです。
そしたら、長いドレスのまま・・とかお城のなかのあちこちで・・とかいうのがでてたような記憶があります。また、お城が湖のそばにたっているのは、トイレで用を足すと湖に落ちるようになっているから・・とか。他にもいろいろ、トイレ事情だけじゃなくて性事情(?)なんかも載っていたように思います。
ほかにも「やんごとなき姫君たちの寝室」とかシリーズがあるようでしたよ。今も売ってるのかな?
もしかしたら同じ本を読んだのかもしれませんね。
No.4
- 回答日時:
屋外の場合は、その場で。
屋内の場合は、何かにいったん収納したあと、そとに捨てる。
城砦の場合、戦闘に入ることも考えてか、場内にはトイレがあったもよう。
城砦の図に、今のに近いのを見たことがあります。ただ、もちろん水洗ではなく、穴が開いていて、下にストンと落とすだけの形でした。
中世ヨーロッパにおいて、トイレ事情は問題大有りで、病気の蔓延にもつながり、そのあとになって改善されたみたいです。
もっと詳しいことがお知りになりたい場合は、以下のようなサイトや本が参考になると思います。
http://www2.health.ne.jp/library/3000/w3000576.h …
http://www.toto.co.jp/tips/2000/01/05.htm
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/intro/se …
「やんごとなき姫君たちのトイレ 」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
その他の参考文献リスト
http://www.toto.co.jp/aqua/master/info/contents/ …
No.5
- 回答日時:
ちょっとご質問の想定からははずれるかも知れませんが…
カルロス・チポッラというイタリア人の衛生史研究家が、ペスト大流行の背景調査のなかで、1620年頃のフィレンツェの衛生状況について書いています。
それによると、当時およそ人口8万人だった同市では、排泄物によるすさまじい悪臭に満ちていた、とされています。各家にはそれぞれの家の「糞尿溜め」(要はバケツ様のもの)があり、修道院の場合には特に通りに直接つながる排水溝がある場合もあったそうです。
職業としての「糞壷さらい」と呼ばれる人々が、金をもらってこの糞尿溜めから排泄物を汲み取り、「固形物」と「液体分」に分け、前者を肥料として農民に売り、後者をそのまま川に捨てていたそうです。捨て方が悪く、橋の欄干が汚れて悪臭が漂うこともしばしばあったといいます。
当初、糞尿の引き取り賃は家主の負担だったそうですが、後に借家人の負担となると、貧しさ故に引き取りを依頼できず、糞尿溜めを溢れさせてしまうことになり、その結果井戸を汚染してしまう例がかなりあったそうです。
風呂について特段の記述はありませんが、排泄物の臭いに加え、染物屋や皮なめし業の臭い、場の臭い、滅多に体を洗わない人の臭い、家畜の糞の臭い…などで都市の悪臭はかなり耐え難いものであったように描写されていますから、風呂に入らないものがかなり居たと考えていいのでしょう。
また、貴族階級でもシラミやノミのもたらすペストの被害と無縁でなかった事から見て、入浴の程度はさほど庶民とかわらなかった、と言えるのではないでしょうか。
フィレンツェ衛生局は、これら糞尿の処理問題に加え、不潔に根ざした伝染病との死闘を長期にわたって強いられたそうです。
何故排便をそのままにしたのかかなり不思議ですね。
細かく教えてくださってどうも有難う御座います^^
雑学とか大好きなのでとても面白かったです★
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
まず、西欧の中世で、長いドレスを纏っていたのは、王侯・貴族・富裕階級の人々で、庶民はそんな豪華なというのか、脱ぐのに手間のかかる衣服は着ていませんでした。
日本の中世・古代の貴族などのトイレは、大別、「かわや」という一種の水洗トイレと、もう一つは「容器」を使っていたようです。「かわや」というのは、一般庶民も使っていましたが、川の上に小屋などを造って、そのまま流れるようにしたもので、貴族の邸宅のかわやは、人工の流れを造って、それを利用したようですが、主流はやはり、「容器(おまる)」であったようです。
西欧もこれと同じような感じで、かわやはなかったと思いますが、「穴」が空いていて、という方式と「容器」で、この両方とも、ターゲットがはっきりしていると、かなり厚い衣服を着ていても、その部分だけを露呈して、穴なり容器のなかに落とせばよい訳で、特にドレスを脱ぐ必要はなかったと云えます。また、「下着」というのは、いまでいう女性ならショーツの類ですが、ああいうものは近代以降で、昔は、下着もスカート状で、ショーツを脱ぐ手間もなかったのです。
「穴」の場合は、その先はどうなっていたかというと、大体、地面にそのまま落下のようです。蓄積設備や、下が川になっているなどの例もあったかも知れませんが、あまり、そんなことは考えていなかったようです。衛生概念が大分違うのです。
匂いを消す香水は、日本でも中世貴族などは、香を炊いていたりしていたようですが、西欧の場合、二つか三つの事情があります。一つは、日本は亜熱帯気候で、湿度や温度が高く、頻繁に身体を水や湯で洗わないと、汗などで、どろどろになって来たり不快感がきわめて大きいのです。しかし、西欧は温帯または亜寒帯にも一部入っており、温度も夏でも低いですし、何よりも「湿度」が低いので、汗をあまりかかず、結果的に、風呂などに入る習慣がなかったとも云えるのです。古代ローマ人は、温泉や大銭湯(カラカラの浴場)などを造って、風呂好きでしたが、イタリアは地中海性気候で、西欧(フランス・イギリス・ドイツなど)と少し気候が違っていたのと、文化風習の違いがあったのでしょう。ただ、イタリアの方が風呂に入る必要があったのは気候的に云えます。
西欧中世人は、風呂に入らないし、身体もあまり拭わないので、垢がたまって来て、身体から異臭が漏れて来るのですが、これを防ぐために、西欧の上流階級では、香水・香料をかなり頻繁に使いました。体臭を消すために使っていたのです。
もう一つ、西欧はキリスト教文化で、また衛生概念や病気の治療などについて、古代ローマよりも後退していました。キリスト教文化では、たてまえ上「清貧」を美徳としたので、贅沢をしている一方で、清貧も守るというおかしなことになり、外見の衣服は贅沢であるが、下着は、半年に一度着替えるだけだとか、おかしなことをしていました。カトリーヌ・ド・メディシスだったと思うのですが、1年間交換せずに着続けて、真っ黒になった下着を、清貧の証だと、人々の前に示し、人々が感銘したという話もあります。
事実かどうか確認していないのですが(そういう記述を読んだのですが、本当かと思ったということです)、ベルサイユ宮殿にトイレがなかったのは有名ですが、「容器」を使って、中身を棄てればよい訳で、もっと簡単には、庭などで、貴婦人はドレスをまとったまま、小の方はしていたというのがあります。そのため、高い靴の方が、はねかえりがかからないので、異常に高い靴が、貴婦人のあいだで流行したというのですが、これは真偽不明です。
中世のパリでは、一般にトイレは常設設備としてなかったはずです。容器にして、それを貯めておく桶のようなものがあって、回収業者が集めていたというのはあるかも知れませんが、こんな制度がきちんとあれば、パリの衛生状態はもっとよかった訳で、実状は、容器に出して、中身は、窓から、外の街路に放り投げたというのが一般でした。中世(17世紀、またそれ以前)のパリやロンドンなどの大都市の衛生施設はこういうものなので、道路は、排泄物がいたるところにあり、生活廃物も道路に棄てたので、牛馬の糞なども混じって、悪習芬々たるありさまで、足下をよほど確保しないと、パリなどの道路は、歩けなかったという事情があるようです。また、道路には、馬車の車輪の幅に応じた窪みがあり、馬車が道路を通過する時は、この窪みに轍を乗せて走ったのです(これは古代ローマの道路もそうでした)。(雨が降ると、道路は汚物が流れる川になったという話もありますが、西欧は雨自体が少ないのです)。
都市ではなく、田舎の場合は、いまも世界の非常に貧困な差別されている人たちがしているように、衛生施設などなく、その辺りの野原などで、用を足していたか、容器を使うかしたのでしょう。人口密度が小さいので、あまり不衛生にならなかったのでしょう。
風呂は、基本的に貴族などは、自家用を持っていたかも知れませんが、あまり入浴しません。シャワーというか、お湯を沸かして身体を拭うこととか、お湯を大きなたらいの浴槽に入れて、そこで入浴していたようです。これは貴族や富裕な者の話です。(庶民は、お湯や水で身体を拭っていたのでしょう。冬季の場合。夏は、川などで泳いだり、行水すればよいのです)。
パリなどでは、「風呂屋」があったという記録があります(大浴場ではありません。また日本は風呂屋は、江戸時代ですが、結構たくさんありました。夏は個人は行水ですが、冬になると、なかなか、風呂を沸かすのもたいへんです)。個人個人では、なかなか湯を沸かすのでもたいへんなので、銭湯のようなものがあったということです。風呂が沸くと、それを告知して風呂屋の者が、声をかけに街に出て、住民はそれに応じて風呂に出かけたようです。田舎だと、燃料にそれほど困らないので、お湯を沸かすというのも、結構あったでしょう。ただ、全般的に、現代もそうですが、西欧人は、風呂には頻繁には入りません。気候が乾いているというのがその理由でしょう。
中世では、色々な意味で生活施設や衛生施設が整っていたのは、修道院で、例えば、修道士は、一人一台の寝台で寝る権利がありました(逆に言うと、庶民は、藁の上に布などをかけたもの、またはそれもない藁の上で、みな雑魚寝していたのです。寝台がある場合でも、二人・三人・四人と一緒に寝るので、窮屈で仕方なかったと言います)。修道院は、古代からの知識を蓄積していましたし、衛生思想や医療知識にも豊かで、修道院は風呂(風呂というのは、水を入れて、下から熱するのではなく、普通には、容器に湯を注いで、そこに入るのです)を設備していましたし、普通、医療所なども備えていて、付近の住民が修道院の医療を頼みにしていたというのもあります。修道院の場合は、トイレの施設もそれなりのものを準備していたようです。
(これは、文庫クセジュだったと思うのですが、『中世の生活』とか、「生活の世界史」の『中世西欧』の巻だとか、その他、色々な本で読んだことを元に記しています。日本や古代ローマの話は、別の出典があります。……なお、大都市の記録はあるのですが、それ以外は資料が少ないのです。西欧の中世大都市は、人口密度が高過ぎて、生活の利便性や衛生などへの配慮が追いつかなかったのです。また大都市には、貧困層が流れ込み人口が増え、余計に不衛生になったのです)。
少女漫画や西欧小説でトイレのコトが書かれていないのは美しいという理想像を壊すため書かれていなかったのですね。
とても参考になりました^^
どうも有難う御座います
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