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日本の不幸は日露戦争に勝利した事から始まったといわれます。
当時、戦勝を祝って旗行列や提灯行列で日本中沸き立っていたといいます。
このような認識の落差はどうして起こったのでしょうか?
日露戦争の実態は今日かなり情報操作があったとされる疑いがあるようですがそれは事実でしょうか?

A 回答 (9件)

既に出ている回答はおしなべて適切だと思います。



ただ、情報操作という点では、日本政府だけでなくイギリス・アメリカを始めとする先進国の意図も多分にはらんでいた点は理解するべきだと思います。

日露戦争は、先進国間の代理戦争と言われるように、極東まで手が回らないイギリス、アメリカが日本に肩入れしていた戦争です。

日本政府は、外債募集のために目先の戦いに勝ち続けて、それを大きく宣伝し続ける必要がありました。同様に、イギリス・アメリカも政府レベルから国民レベルまで(日本の外債購入を暗に支持して)肩入れした日本に勝ってもらわないと、投資した金が回収できないため、中立というよりは明らかに日本を味方する立場にありました。

当時、フランスはロシアと仲がよく、ドイツは中立という立場でしたが、英米にとっては、フランス・ドイツがロシアを応援しないよう、世界全体に対して日本有利という報道をし続ける必要がありました。

こうした意図があって英米の報道機関も日本よりだったので、戦争中から「ロシアは本当に大丈夫なのか?」というのがヨーロッパ全体で共通した認識でした。

また、こうした援護射撃のおかげで、バルチック艦隊はバルチック海から日本海まで世界を半周する長い行程の中で、マダガスカル以外ではほとんど寄港できませんでした。

戦局日本有利が伝えられる中、日本を応援するイギリスに楯突いて貧乏くじを引きたくないという意識がフランス・ドイツにも働き、イギリス領はおろか、ドイツ領やフランス領の港でも船員の上陸や十分な補給ができず、冷たくあしらわれることが多かったのです。

こうした英米の応援もあって日本の戦勝がある意味世界的に吹聴されてしまったので、当の日本国民が浮かれてしまったのも仕方ない側面はあったのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答でバルチック艦隊が疲労した状態で日本海海戦に望んだ経緯がわかりました。

日本が世界の注目を引いたためにそれまで目立たなかったのが次第に危険視されるようになったのが、その後の日本の大国意識の一因となり、背伸びしてしまったのですね。

有り難うございます。

お礼日時:2006/07/29 17:57

為政者は常に自分の業績を過大評価するよう仕向け、そう言ったパーフォーマンスが実力を見誤る原因になります。

日露戦争は局地戦争で、同盟国の英国のバルチック艦隊妨害工作等の支援があり、国内騒乱の問題が起きたロシアが譲歩した訳ですが、講和を纏めた小村外相は、実情を知らない国内を説得するのに苦労しました。
最近のサッカーの事例に準えれば、ホームのWCで初勝利・準決勝進出し、サッカーの神様を監督にした全日本チームの実力を、多くの人が勘違いした事に似ていますね。
きっかけは同じ対ロシア戦ですが、国際政治の中の勘違いは笑い事では済まないですよね。
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質問者が仰るような日露戦争の勝利により日本の不幸が始まった、と言ふ解釈があるとは知りませんでした。

仮にもし負けていたのなら如何なっていたか、戦争せずにロシヤの朝鮮半島侵略を放置していたら、二とうりの選択があります、その場合ロシヤは遼東半島、朝鮮半島、中国東北部はロシヤ領となり悪ければ北海道もロシヤ領になっていたかも知れません。戦争の勝利が不幸の始まりと言ふ考えなどそれ以後弾圧を受けた勢力が主張することでありまともに取り上げることではありません、
それ以後に弾圧を受けた勢力とはいかなる事か考えてみてください。
勿論他の方が論じられているように国民は戦勝国でありながら賠償金も
取れず不満で一部暴動までおきましたが、当時のマスコミは新聞だけですラジオも無い時代です、一つの新聞記事だけで国民は判断していて戦争するための財源など知った事ではありません、その40年後の太平洋
戦争の時初めて新聞にラジオ放送が加わり、日本海軍は無敵海軍である
と盛んに朝日新聞は囃し立てていました、朝日新聞も本当の海軍の戦力は判らないはずです、戦艦大和など敗戦後に知った事です、当時一般国民は海軍が負けるなど考えてなどいません、何時の時代も本当のことは国民は知らないのです、国民の出来る事は本当の指導者は誰かしか選択肢はないでしょう。
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この回答へのお礼

日露戦争に負けた場合は論議になりません。
勝ったが為に日本が国内でも争論が起こり、対外的には予想以上の疑惑を抱かせて、黄禍論の渦に巻き込まれる素地を醸しだしたとおもわれるという論議があります。

しかもその後の日本の行動はその疑惑を立証する事になりました。

これは当時一部の人が気付いただけでした。

国民全体として一方的な意図的な情報操作があったのではないでしょうか。

ご回答有り難うございました。

お礼日時:2006/07/29 18:18

追伸


当時、日清戦争で多額の賠償金を獲得し、国内が大いに潤ったという先例があったのが、余計庶民の不平を煽ったのです。
「今まで我慢していたのだから、見返りがあるはずだ」と。
後、国内を取り締まろうにも、その余力もないし、取り締まった結果、外国で国債が売れなくなると困るという現実もありました。
当時のマスメディアは比較的豊かな財力を持つものが対象でしたので、国内居住の外国人、外国マスメディアの特派員等、情報を母国に送信可能な人達が多数存在した現実もあるのです。
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もう一つ。

政府自身も「大勝利」というマスコミの煽動を押さえることができなかった、ということがあります。
実際、徳富蘇峰の出していた国民新聞は、政府の、いわゆる外交を支持したため、誤用新聞扱いされ、暴徒に襲撃されています。

政府が情報操作できるなら、むしろ日比谷焼き討ち事件などは起きなかったでしょう。

参考URL:http://www.tokyo-np.co.jp/120th/henshu/gekidou/g …
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この回答へのお礼

徳富蘇峰が当時の数少ない先見の明があったとはしりませんでした。
私は彼を単純な国粋主義者と考えていましたので開眼です。

でも多数意見にならなかったのは残念です。
せめて数十年先を考えられる人材が日本では育たない運命かも。

ご回答有り難うございました。

お礼日時:2006/07/29 12:57

情報操作というより、マスメディアの無責任な扇動のためです。


いうまでもなく、日露戦争は日本の全国力を傾注してようやく停戦に持ち込めた、というのが真相です。
日本としては、戦費の大半を国債しかも外債で賄い、そのために国内外のマスメディアに対しても「日本有利」「日本の国債を買っても安心だ」というように発表せざるを得ませんでした。
実情は、海上は兎も角、陸上においては相次ぐ激戦で現役兵力の大半を使い果たし、停戦発効時は最前線を維持するにも後備兵を使う有様でした。
この段階で、ロシア軍の反撃を受ければ、日本軍は総崩れとなったことでしょう。
まさに「首の皮一枚」で助かった、というのが真相です。
惜しむらくは、日本のマス・メディアに携わる人材のレベルが低いということです。
軍は努力して辛勝し、政府は資金・武器弾薬・艦艇を確保すべく努力を傾注して、失敗もありましたが、概ね成功し、情報・後方撹乱作戦にも成功し、大国ロシアをして講和に応じさせることを得ました。
しかし、日本のマスコミは、現在でもそうですが自分達で情報の確認を取ることをせず、政府の外国向け発表を鵜呑みにして、政府を「弱腰外交」と非難したのです。
つまり根本的な原因は、外国から資金・資材を得るため粉飾決算したが、自分の身内も粉飾決算を「現実」と誤認してしまったことが原因なのです。
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この回答へのお礼

大変わかりやすいご回答有り難うございます。
外債を募る為の宣伝はやむを得なかったのですね。

ただ事後にそれを正す事が出来なかったことが弊害の原因だったとは返す返すも残念でした。

お礼日時:2006/07/28 20:35

日露戦争自体は、(一応)優勢な状況で講和できたので大勝利です。


ただ国民は大勝利と思ったかどうか・・・ポーツマス条約の結果、日比谷焼打事件などの暴動や、講和反対の大集会などが起こりました。太平洋戦争中に極端な情報操作(大本営発表等)を行なったのは、この時の反省を踏まえてらしく、この時期に政府が大規模な情報操作を行なっていたとは考えにくいです。
ただ日本の不幸は、日露戦争終了後も軍事費を大幅削減できなかったことに起因するでしょう。
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この回答へのお礼

戦闘経過を見る限り確かに戦闘には勝利していますが日露戦争後の分析で外力がなければ勝てなかった実情など伏せられたのは情報操作と見るべきではないでしょうか。

以後の神道支配への傾斜、富国強兵政策、教育方針は軍国化を辿りました。 世界的傾向ではありましたが・・・

回答有り難うございます。

お礼日時:2006/07/28 12:00

ポーツマス条約で、領土の割譲(南樺太)や、満洲の租借地(旅順、大連)、南満洲鉄道の利権などを得たのですから、勝ったことは確かです。



ただ、国民はこの程度の戦利では満足できず、もっと大勝利したと勘違いしたのです。日本海海戦の大勝利が目を晦ませたのでしょう。やはり、国民の民度が低く世間知らずだったのです。新聞も冷静に勝利の内容を判断できませんでした。
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この回答へのお礼

戦争の実態、勝利の結果の分析が不十分であった事は理解できました。

確かに世界的知識にかけていたと思います。
その咎めが今日でも続いていますから。
有り難うございました。

お礼日時:2006/07/28 11:44

いちおう戦闘には勝っていましたから勝利といえないことはありませんが、実際にはあれ以上戦争が続けば軍事的にも財政的にも破綻していました。


しかしながらそれを国民には隠して勝った勝ったという報道がされたのがその後の転落へのスタートだといえます。
しかしながら、まだその時代には政府も軍も上層部はかなり無理をして勝った戦争だということをしっかり認識していましたから無謀な戦争には引きずり込まれるようなことはしませんでしたが、そういう世代が去ったあとの政府や軍の上層部が歴史をふりかえらなかったのが問題でした。
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この回答へのお礼

マスメディアの報道を放置したのはやはり情報操作と見られないでしょうか。

明治人指導層は理解していたというお説は納得ですが
彼らは後世に警告を残していたでしょうか?

歴史に学ばなかったのは同感です。

有り難うございました。

お礼日時:2006/07/28 11:37

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