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お金がないと、困る事は何ですか?

A 回答 (16件中1~10件)

#7さんへの補足を拝見して感想が浮かんだので再びおじゃまします。



お金を必要とする度合いは、その個人が目指す立脚基盤によってかなり異なってくるような気がします。
ここまで貨幣経済の浸透した現代において、お金に全く関与しないで生きることは難しいでしょうが、それでもあえて昔誰かが言っていた【辺境最深部に速やかに退却】することによって、その影響を最小限にすることは可能であろうと思われます。
それはともかくとして、可不可論として、貨幣の創造される以前の状況を想像してみます。

よくはわかりませんが、ともかくある段階で非常な不自由、あるいは不便さを感じたはずです。
逆に言えば、それまではその不自由さ・不便さに気付かなかった、あるいは物々交換のような形態で価値の交換が行なわれることに安住していた時期があった、ということになるように思います。
ある段階でそれに満足できなくなったのは「無駄」に気づいたからとも言えるでしょうし、合理性を追求し始めたとも言えるでしょう。

ここで2つの問題が浮上するように思います。
ひとつは、
「この【合理性】は、人としての本能的欲求に基づいているのか(a)」
ということです。
これがYESの場合は、「持って生まれた能力」ということになりそうで、Aを選択するしかないのかもしれません。
もうひとつは、
「その合理性を求める本能的欲求は人を幸せに導くか(b)」
という点です。
このaとbにはそれぞれYES/NOの可能性がありますから、それを人類レベルで、または個人レベルで組み合わせることによって「どちらとも言えない」を含め18通りの解と、そこから派生する種種の新たな課題が表面化してくるように思います。

一つ試してみれば、
aはYESで、bはどちらとも言えない。
可能性の追求は本能として備わっているので貨幣の創造は行動領域を広げる意味で必然であったが、広げたつもりの可能性によって、根本的に重要であった可能性が相殺的に失われていく危険性にどの程度留意できるかによって答えは違ってくる、ということです。

bを限りなくYESに近づけるために、
「金は多ければ多いほど良い」から「金がなくともできることが多ければ多いほど良い」という発想の転換が求められている(誰に? )ようにも思います。
基本的にはこの姿勢で、最低限の「生物的存在欲求」は満たされるはずだという考えもありますが、
何をもたらすのかもわからぬ「社会的順応欲求」も体に一部染み付いているのも完全に否定はできないわけで、「金がない」と何とか均衡を保っているそのバランスが崩れて大変なことになりそうな予感もあり、『ひよっとすると、それが困るかもしれない』などと思われるわけです。

私はaがYESであるのは必然であると考えますので、Bの「貨幣を無くす事は可能」ということには否定的です。
また、「貨幣の役割を代替」したとしても「価値無きものに価値を持たせる」ということになるでしょうから新たな弊害が発生するだけではないか、と単純に思ってしまいます。
また、「貨幣の役割が不要な状況」に変えるためには、
人類が遥かに進化して他者の価値を全て記憶し、その場に応じて即座に意識化できる能力を獲得していることなどが必要になるような気がします。
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この回答へのお礼

再度のご回答、有難うございます。

ご回答を読み返していると、一番役に立つのは、違っている事ですね。正しくないとは別です、誤解をしませんように。
不思議な事ですが、違っている事が有り難い、考え直す事が出来ます。

歴史と哲学は違うと申しますが、貨幣を一つの運動として、発生から消滅を考える。

ご回答と関係ない発想のようですが、起源に関する説明から出て来たのでしょうか。
補足の2)Bより、客観的に考えられるかもしれません。

「貨幣の不必要な状況」に関しては、家族の内でお金は必要ないですね、貨幣は共同体の外延で発生する、と言う有名な説がありますが、内と外に関する考察も貨幣を無くす可能性を僅かばかり残しているような気がします。

長くならないように、最後に一つ
幸福は、私には良く分からないんですね、私が考えている事は、良くない事を減らす。
この様な考えも、経済発展のおかげかも知れませんが。
貨幣なしに経済発展は不可能、これもまだ考える余地があるのでは。勉強になります。

お礼日時:2006/08/26 19:26

申し訳ない。

釘を刺したつもりはないです。fishbowl66さんの質問には私を含めファンもいると思いますので。「貨幣を中心とした経済の哲学も限界が来る」と書きましたが、「貨幣経済の永続的な成長はいつか資源の枯渇や環境問題により限界が来る」といったニュアンスのつもりで書きました。どうもすみません。

少し、SF的な世界を夢想してみますか。貨幣のない世界。それは言葉のない世界と同じようなもの。人間は遺伝子組み換え技術により偶然テレパシーが使えるようになったとしましょう。テレパシーが発達したため言葉を発することもなくなった。もちろん、貨幣も使わなくなった。テレパシーによって頑張っている人には信用があることを判断できるからだ。

しかし一つ問題があった。いわゆるサトラレ問題である。考えていることがすべて他人に分かってしまう。こうして、人類はテレパシーを廃棄するために、言葉を発するようになった。今現在、幻聴が聞こえたり、電波系と呼ばれる人がいるのは、テレパシー時代を過ごした祖先の名残である。実はこの私の妄想も、テレパシーによって書かれたものである。
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この回答へのお礼

わざわざ有難うございます。私にファンが居ると言うより、お金に関して疑問を持つ人がたくさんいるってことの錯覚だと思いますよ。

サトラレ問題って確かに面白いですね、理解できすぎても困ってしまう、絶滅したネアンデルタール人はホモ・サピエンスより脳の体積が大きかったとか、SF空想も楽しいのですが、この地方でもわずかなお金が目的で少年が犯罪に染まってしまいます。最近の少年はお金がないと遊ぶこともできないのでしょうね、困った事です。

先ほど、社会有機体説を非科学的と否定的に書きましたが、本当はこの説に社会契約説より可能性がないのか探りたい気持ちもあるんです、そうすると人間の事をもっと詳しく知らなきゃならない。そこで、手当たり次第に本をよんだり、ここで色々ヒントを頂いている次第です。

環境問題に関する経済学は最近盛んなんですが、もう一つぴんと来ない、例えば、二酸化炭素の排出権を商品化したりして市場経済に乗せるのが、本当に合理的なのか?確かに競争によって技術が革新されるのでしょうが、何かわからない「不安(ふぁん)」があるんですね。(笑

お礼日時:2006/12/24 05:15

貨幣の増加と熱力学の法則がでてきましたが、将来的なエネルギー資源を考えると、早晩、貨幣を中心とした経済の哲学も限界が来ると思います。



熱力学の第二法則に、エントロピーの法則というもがあります。秩序はほうっておけば乱雑へと向かいます。しかし、自然界は太陽の恵みを使ってエントロピーを減少させています。

文明は高度な秩序を保っていますが、その秩序の源は石油資源などのこれまで地球が蓄えてきた貯金とも言うべきエネルギーです。つまり、いつかは財政破綻が来ると思います。今は無駄遣いの放漫経営に基づいた文明です。

エントロピーの法則は秩序よりも乱雑さの方が容易に達成できることを示した物理量です。しかし、自然界には、このエントロピーの法則を駆動力とした現象に自己組織化があります。

重量によって、太陽系が構成されているように、細胞膜もエントロピーの法則に基づいて、自己組織化により形成されています。そこで、私は、社会秩序のエントロピーを制御するための「複雑系社会」の哲学のようなものを夢想しているところです。

社会有機体説を再検討する試みとして最先端の科学の知見を生かさない手はないと思います。生体や自然界の自己組織化のアナロジーとして、いかに文明の秩序を構成できるかが解明できれば、持続可能な社会や環境問題に対するヒントになるようなものが出てくればいいなと私は考えています。
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この回答へのお礼

細胞膜がどうしてできたかは、謎ですね。
内と外を分ける細胞膜も哲学になるかもしれません。

社会有機体説は、ともすれば、非科学的のそしりを受けそうで、
>貨幣の増加と熱力学の法則がでてきましたが、将来的なエネルギー資源を考えると、早晩、貨幣を中心とした経済の哲学も限界が来ると思います。
うむ~つぎの質問予定に、釘を刺しに来たのですか。
利子のこと以外を考えなければならない、困ったご回答
有難うございました。

お礼日時:2006/12/23 19:45

#2ですが、まだ閉めていなかったのですね


とりあえず、質問に答えます。
1)歴史的な発展の事実は、それ以外の方法による発展の可能性を、否定できるのか?
 可能性としては何事も否定できないと思います。思いつくのは、原始共産主義のままで社会が発展していく様子です。バータでは資本主義に相応するような社会を想像するのは私には困難です。

2)ある事物の発展に必要だった道具が、発展の程度によって、もはや必要なくなる可能性はないのか?
 同上、可能性としては何事も否定できないと思います。貨幣の定義をまず限定しなければ、答えるのは困難ですので勝手に定義します。交換対象となる全ての文物の共通価値となるもの、と定義します。すると交換が必要ない時代になるしかないのではないでしょうか。水道料金を画家がどのように支払うか、という問題に対し水道料金をただにするという答えしかないように思えます。
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この回答へのお礼

>#2ですが、まだ閉めていなかったのですね

本当に、とっくに締め切ってもいいのですが、
次々と新しい質問をするのも少々懲りていてて、
今回の「お金がないと困る」は
極端において考えてみる、を志向していたのですが、

現実的には、モーゼス・ヘスの様な、貨幣廃絶論は流行らないのでしょうね。

なかなか突破口が見つからず、悪あがきしている質問です。
お付き合いを頂、本当に有難うございます。

来年早々、質問を締め切って、一年間締め切らない質問を検討しています。
うまくいくか判りませんが(笑。

お礼日時:2006/12/23 17:39

参考URLから抜粋です。



ロシアのセルゲイ・イワノフ国防相が、新たな通貨単位を発明した。その名も「言ってはいけない通貨単位」だ。

ロシア議会では、「ルーブルという通貨単位が使えるにもかかわらず、ドルと言ってしまった大臣には罰金を科す」という法律が近いうちに制定される。このため、ベネズエラに対する戦闘機供給契約について記者にコメントを求められたイワノフ国防相は、「契約総額は“10億言ってはいけない通貨単位”だ」と答えた。ドルを使わずに話すのは難しいようだ。

ルーブルは駆け足のインフレで、ここ数年間で世の中では忘れ去られた通貨単位となってしまった。多くのロシア人が多額の金額を表現するときにはドルを使用しており、ロシア政府はルーブルの地位を取り戻そうと必死になっている。

参考URL:http://sekaiichi.seesaa.net/article/21517826.html
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この回答へのお礼

面白いページのご紹介有難うございます。
>「契約総額は“10億言ってはいけない通貨単位”だ」
ロシア語ではきっともう少し通貨単位らしい表現なのでしょうね。

日本でも、戦国時代から幕末にかけては、石高、両・銭と出来るだけ数字を少なくする事と、市場の特異性が別の価値尺度を並立させたのでしょう。私には見当がつきませんが、農業の方面では、坪より反の方が分かりやすいらしいですね。
イワノフ国防相の詳細は分かりませんが、
言葉も貨幣もそれで通じるから、使われるのですね。

件のページは、良く解らないので、パス
まぁ、バカでも世界一に成れれば大したものだ。
ご回答有難うございます。
お金や貨幣に関する事は、質問文に関わらず、
どんな事でも歓迎します。

お礼日時:2006/10/26 18:27

こんにちは♪



みなさんの回答に難しい言葉ならんでいるので
不安でございますが無謀にも挑戦してみます。

「お金がないと、困ることは何ですか?」という質問は
「火がないと、困ることは何ですか?」や
「車がないと、困ることは何ですか?」や
「民主主義がないと、困ることは何ですか?」と
同じものに思えます。

貨幣だけを特別に考えることがちょっと分からないところです。
火事の理由になるからと言って火を否定する必要はありませんし
交通事故が多いから車を否定することにもなりません。

あくまでも人が作り出した道具であるので
便利さが不便さを上回っているうちは使われ続けるだろうし
不便さが便利さ以上のものとなればなくなるでしょう。
そして便利・不便は人が感じるそれぞれ価値観であり、
客観的に計測することが不可能です。

人が社会性を持って生きる以上、貨幣を捨てるときは
(民主的な社会においては)
その社会の多数の人々が貨幣に不便さを便利さ以上に感じた場合
ありえるでしょう。

こんなんではダメでしょうか(T∇T) ウウウ
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この回答へのお礼

最近、gooさんも、ブックマークが出来ました、最初の登録完了。
このサイトは、個人的なやり取りを禁止していますが、少し緩和されたのかな。

此れ位にしないと、ヤバイかな。
さて、ご回答の結論、私も同感です。
最近は、社会契約説より、社会有機体説(変換がすぐ出来ない)に関心を持っていますし。

なんで「貨幣」
熱力学の第一法則に逆らって増殖するからです。

もう、「カマトト」(笑。


あれ?

お礼日時:2006/10/15 18:14

お金がなくなると、北朝鮮の偽札作りが意味がなくなるから、逆に北朝鮮にとっては痛手かもしれない。

最近はお財布携帯とか流行っているし。実態としての紙幣はなくしても大丈夫なのかな?

それにしても、北朝鮮製の偽ドル紙幣(スーパーZ)は、精巧なものらしい。「偽札の哲学」は北朝鮮から学べそうですね。とにかく、偽札によって、本物の価値(信用)が下がる。贋作が多いのは骨董の世界ですね。古銭が趣味の人もいるし。テレビならやらせの哲学、演出の哲学…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E6%9C%AD
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この回答へのお礼

なるはど、北朝鮮、あそこは通貨はあったっけ?
で、調べたら、労働券のようなものではなく、通貨が有るようです。
http://jinminhei.com/Ryogae.htm

ゲスト用の「ウォン」と「人民ウォン」の二重通貨制ですか?
あの御国では、別の力学が作用しているから、どうなんでしょう。
きっと花火を打ち上げる前に、日本の市場で、空売りしてるかも。

偽札の哲学はともかく、テレビは哲学に出来るかも、有難うございました。

お礼日時:2006/09/03 16:44

補足文を拝見させていただきました。


(no2様へのお礼文より察しは付いていましたが。)
とてもとてもfishbowl66様を助けることなどは私には不可能です。

>貨幣の役割を代替するか、貨幣の役割を不要な状況に変えなければならない。

fishbowl66様が仰るところの弊害についてなんですが、貨幣を偉大な発明とよんだヘーゲルがこんなことを言っているんです。
「しかしあらゆる欲望の対象という意味を持つこの貨幣は、それ自体では直接的な<物>に過ぎない。貨幣は個人のあらゆる特殊性、あらゆる性格、あらゆる巧みさなどを無視したものである。」
しかし逆にまたこんな風にも表現しています。
「価値は鳴り響く硬貨としてある。ここに理性の形式的な原理がある。」

ヘーゲルの言葉にあるような貨幣の両義性をどう捉えるかが問題になるかと思いますが、貨幣の持つ先に述べさせていただいたような肯定的な面を守りつつ、弊害だけを取り除くといった制度が可能なのか。
マルキシズムは一体どうなったのか?

>ア)貨幣の形式は、人間にとって、必然。

個人的な歴史観では人類史に物理法則のような発展法則はないと思うので、人間が社会的動物であるという
前提に立てば貨幣形式の発明は蓋然性が大きかったとだけ言えるかと思います。
発展法則があるならば必然的(決定論的)かと。

>私は、習慣の方に一票を投じたいのですが、学者様の意見も無視できませんし、

私が生まれた時にはもう貨幣制度が在りました。なので経験による習慣というより既にその制度に
組み込まれてしまっているという感が強いです。
しかしアプリオリなものではないと思いますす。


>貨幣は共同体の外延で発生する

レヴィ・ストロースによると原初的な共同体の間では女性が交換されたそうですが、
その交換が共同体の維持には不可欠だったらしいですね。
(この場合明らかに女性は財の機能をはたしていたかと。)
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この回答へのお礼

お世話になります、大変助かりましたよ(笑。
>レヴィ・ストロースによると原初的な共同体の間では女性が交換されたそうですが、
へぇ~知りませんでした、インセントスの回避と積極的な財、これが、違いか変化か、興味深いですね。
そうすると、クロソウスキーの「生きた貨幣」は先祖帰りになりますね(笑。

二点とも、貨幣の廃棄に可能性を示唆していただいたようで。
常識では誰も考えない事ですから、暫く貨幣の廃止に関して考えてみたくなりました、
無用の用・確認の為の確認で、貨幣の廃棄が不可能な事を逆説的に確認しようとして、まだ考えてみる事ができそうだとわかりました。

貨幣の両義性は現時点のベースキャンプみたいな場所ですね、此処からどうするかですね。

マルキシズムは一体どうなったのか?
私も専門家じゃありませんから、詳しくわ知りませんが、
古典的なマルクス主義は、殻に閉じこもって重箱の隅をつついている、
最近、分析的マルクス主義が、マルクスの理論に、ロックの所有権の肯定がありこの辺りを批判しています。
私的所有権は契約でしかなく、労働で得たものの所有権も根拠が無いとの説もあるみたいです。

参考になりました、有難うございます。

お礼日時:2006/08/27 05:29

「お金」は「メディア」だと思います。

何かを媒介する手段だと思います。

科学の世界では、素粒子の相互作用を媒介する粒子として「ボース粒子」というものがあります。具体的には、光子などがあります。

光子は、電磁波と呼ぶこともあります。最近はITの発達により、光通信なども行われるようになっています。携帯電話も、電磁波(光子)の一種である電波により情報のやり取りを行います。

光そのものの存在は、相互作用を通してのみ知覚することができます。太陽が眩しいのも、光受容細胞が光と相互作用するためです。

私にとって、有り余るお金は、光と同じように非常に眩しい存在でもあります。
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この回答へのお礼

これはこれは、難解なご回答、ありがたく頂戴いたします。

消化不良になりそうですが、貨幣は、質とは無関係な、量を媒介するメディア
と言う理解でよろしいでしょうか。
頭の中の電圧が上がりすぎ、久々の午睡、ふぅスッキリした。

お礼日時:2006/08/26 19:18

お礼文ありがとうございます。



>不便と言う事と、出来ないとは違います。

人間の欲望としてはやはり不便より便利な方に価値を置くのではないでしょうか。
no2さまのご回答にある「社会」も人間の欲望の弁証法の結果としてあるのではないかとも考えたりします。

>そもそも、なぜ客観的等価は必要ですか
ギリシャの戦士は、金の鎧と、銅の鎧を交換したと聞きますが。

戦の道具としての使用価値は金の鎧の方が高そうですね。
(より有能な戦士が金の鎧を与えられということでしょうか。)
しかしこの場合の交換はひとつの風習のようなものではなかったかと想像します。
つまりここではこの交換するということ自体に価値があったのかと。

>貨幣形式の消滅、なぜか?。

例えば人間とは丸で違った思考形式を持った異星人の世界で貨幣形式は存在するのか?

思考しているうちに形而上学的困難に陥ってきました。

この回答への補足

貨幣の哲学へ ようこそ。

私の質問に至る、思考の煮詰まり状況を、順を追って、平易に整理してみます。

1)貨幣の利便性ではなく、弊害が問題となるとき、どう解決するか。
2)そもそも、貨幣の弊害を問題とするなら、貨幣そのもをなくせば解決するのか。
2)A残念ながら、貨幣は無くす事は出来ない。弊害の原因を精査する。
2)B貨幣を無くす事は可能だが、貨幣の役割を代替するか、貨幣の役割を不要な状況に変えなければならない。

現在、2)から、A・Bの狭間で無駄な思考を繰り返しています。

ア)貨幣の形式は、人間にとって、必然。
イ)つまり、経験によって得た習慣か、経験に関わらず、もって生まれた能力かを検討、例えば、日本人の両親に生まれた子供は、日本で育てば、日本語を話すが、両親がアメリカに移住し、そこで育てば、英語を話す。日本語を話すか英語を話すかは、経験に依存するが、そもそも話せる能力は、経験に関わり無く、生物学的な次元で、正常な人間には与えられている。(脳の出産後の発達を経験としないことに問題があるかもしれませんが)
ウ)では、貨幣の形式と言うものがあるとすれば、習慣なのか、生物学的な本性なのか。

結論として、習慣なら変更は可能、2)Bへ。 生物学的本性は、一先ず変更不可、2)Aへ。

私は、習慣の方に一票を投じたいのですが、学者様の意見も無視できませんし、助けてください。
それと、この様な考え方自体に、無理があるのかもしれませんね。

補足日時:2006/08/26 05:12
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この回答へのお礼

>例えば人間とは丸で違った思考形式を持った異星人の世界で貨幣形式は存在するのか?
いろいろ、考えていただき、有難うございます。
ただ、異星人とか神などの、よく解らないものに、範囲を広げると、混乱の要因を増やすだけと言う不安があります、後ほど、補足欄をお借りして、現在の煮詰まった状況を、ご説明いたします。

出来るだけ簡単な言葉で、説明してみますが、お気づきになる事がありましたら、また教えてください。

お礼日時:2006/08/26 05:11

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