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楽しいとは何ですか?(´・ω・`)?

A 回答 (10件)

基本的には快楽を選べるという可能性の自由を持てることです。


生理的な欲情的快楽(食欲、性欲などの受身感覚)を味わっている間はですが、それへ向かう助走も、そういった将来が簡単に選べるという自由と期待も楽しいという気分を起こさせます。
快楽には他に上昇感覚、移動感覚、飛行感覚などもあります。これらは身体的自由感覚ですが、他に拡大的自由感覚があり、これは他人が自分の手足になって動くことで自身の自由度が拡大する(期待感)も含まれます。社会的欲望という人間に特有の欲望がありますが、これは自分の権力が大きくなっていくことによって自身の肉体的自由度が拡大していくということでしょう。楽しいとはそういったことの様々な自己実現による快楽感だと思われます。
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augmydt様、こんばんは。




「自己有能感」かなあ。
(ゆえに、未熟でもあるのか)
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 ワクワク感だと思います。

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>楽しいとは何ですか?


正確に解説するなら、【以下の1~3段落化(=許可済み引用)した、No.4回答者様の回答】で充分でしょう?
++++++++++++
1:生物とは、環境のエントロピー増大を淘汰として、進化したものであり、エントロピー増大(カオスへの崩壊)に抵抗しようとする=生きようとする方向性を有する。それは脳の発達による環境認識の発生において、意志となりその達成の感受における充足感を生じる。

2:また、その“生”の単位が、個体から社会生命へと組織化・分業化が発達する上で、個体の生存に社会全体の順調な営為が必要となり、肉体的な短絡的快楽とは離れた、社会的義務が生じ、生きる事が“労働”と“遊び(=楽しみ)”に遊離したのだ。

3:それは、より深い認識に基づく社会生命的自覚化において、自己存在の本質に基づいた自律的社会行動=愛による助け合いとしての労働において、生きる事自体が充足となり、最大の認識における最大の充足による最大の生存=人生を通算した最大充足は可能になるのだ。
++++++++++++

ええっ!! 意味が理解できない読者様もいるもんなんですね。/ものすご簡単に言い換えたら【生命であるはずなのに、生きているのがツマラナイなんて、生命としてオカシイよ!】とも言えるし、【そもそも、遊びと仕事の区別なんて、無いのが普通だぜ!】 なんなら、アフリカ原住民のマサイ族の古い村にホームステイすればよい。基本的に『ダラダラしながら時間が過ぎるのを楽しむ』楽しみ方を、日本人などより詳しく知っている。/かなり不定期な【「遊びに特化した、朝方まで続く祭り」で、踊っているだけで、生きる喜びが堪能できる(妙な薬草で、僅かにハイにもなれる)】。/もちろん、狩猟採集にも行くが【毎日じゃない】。私はサラリーマンとして日本で働きすぎて健康を害した。/世界人類は【経済の奴隷じゃない】(ちゃうか~~?)。我々人類の祖である、アフリカ式ライフスタイルじゃないと正直キツイんよ~~【生物学的に】。私は【独自の技でアフリカ式を、そこそこ成している】・・・秘密裏にね!

/まぁまぁ、元気を出せよ、俺たちゃ【富も持たないスーパー極貧貴族や!】、せめて、俺の右手が勝手に描いた(モノホン大天才!)、下の処女作マンガ絵でも見てくれや! ブサメン猫やけど、結構、女性陣にはウケてたぜ~名刺の裏で・・・(笑)ハハハ!!!^^//

参考URL:http://p.twipple.jp/6XIAi
「「楽しい」とは何ですか?」の回答画像7
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 こんにちは。



 《たのしい》というのは 自分が主導権をにぎって何でもすらを出来るような状態にあることを言います。

 余裕があり まわりの人や情況のあり方がすっかり自分の手のとどくところにあり 手を打てば何とかなる。そういう状態にあることです。
 
 これが 日本語のたのしいの意味です。
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私の場合、ですが私にとっての「楽」は幸せには直結しません。


そもそも「楽」とは瞬間的なものであり、刹那です。
また幻かもしれない。たとえば「楽しかった思い出」を振り返ると、それを共有したはずの人は自分にとっての真の敵であったりします(私の経験から)。
当時感じた感情(楽しさや嬉しさ)は今でも生々しくよみがえりますが、当時の私が真に幸福だったのかを考えると不幸だったことに気付き愕然とします(無知だったからということもその理由の一つ)。

また「充実」とも違います。「楽しい」より充実しているほうが幸せに近いかもしれない場合もあると思うんです。
充実を得るには苦と共存しなければなりません。幸福のために自分で選択したものは楽ばかりではありません。むしろ苦のほうが多い。でも幸福を得るために苦を乗り越える過程で感じる充実感のほうが私にとっては心地よい。

楽しいことの数や時間が増えれば幸せになるのかと思うとそうでもない。
何も考えず、何も関わらずにただ浮世にぷかぷか浮かぶ落ち葉であればよいというよりも、あえて浮世に潜って真実を求める人にとっては「楽」より「苦」が待っている。
でもその苦が、自分にとって真の幸福を得るもののための過程であると希望するのならば、あえてそうする人もいる。もし産まれてから楽しいことばかりだったらぷかぷか浮かんでいることに何の疑問も感じなかったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
強制的に与えられたことは心から楽しめるでしょうか?強制的に与え、選択する自由や考えを停止させているものは今の時代、いくらでも目につきますが。つまり誰しも右に倣うだけで創造する楽しさを知らないのです。創造それ自体がもっとも幸福なことであるかもしれません。創造もまた楽ではありませんが、充実感は楽な仕事で得られるものではありません。

もちろん「楽」があるからこそ「苦」もまた我慢できるものです。
しかしその「楽」に規模は関係ありません。ささやかでも自分にとっての楽(幸せ)ならば規模に質が勝るでしょう。
「楽」より「苦」が多くなってもその道を引き返すことをしない人こそ(信念の人)が、私にとって尊敬に値する人です。
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生物とは、環境のエントロピー増大を淘汰として、進化した


ものであり、エントロピー増大(カオスへの崩壊)に抵抗しよう
とする=生きようとする方向性を有する。
それは脳の発達による環境認識の発生において、意志となり
その達成の感受における充足感を生じる。
また、その“生”の単位が、個体から社会生命へと組織化・
分業化が発達する上で、個体の生存に社会全体の順調な
営為が必要となり、肉体的な短絡的快楽とは離れた、社会的
義務が生じ、生きる事が“労働”と“遊び(=楽しみ)”に遊離
したのだ。
それは、より深い認識に基づく社会生命的自覚化において、
自己存在の本質に基づいた自律的社会行動=愛による助け
合いとしての労働において、生きる事自体が充足となり、最大
の認識における最大の充足による最大の生存=人生を通算
した最大充足は可能になるのだ。
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楽しい=調和   です



だから 音楽とか楽園 等  調和のイメージの熟語があります
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辞書的な表現になってしまいますが、何かを自分からでも受身でもして、幸福感を得る事、心が満たされる事、これからもまたそれをしたいと思う気持ちですかね。



経済学ではお金を払ってもしたいこととか、時間や労力を使って得た金銭を使っても惜しくないものとか、そういう事を表したりします。

生物学的には本能を満たすものと表現したりするでしょうか。
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退屈しないこと、人生の敵は退屈です。

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