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日本国憲法第66条第2項には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」とあります。
しかしそもそも日本国憲法では軍隊の保有を禁止しているのですから、
タテマエ上では日本には文民しかいない事になるのではないのでしょうか?
この場合の文民とは何をさしているのでしょうか?
また逆にいえばこの条文を根拠に、憲法はいかなる種類の軍備も全て
禁止しているわけではなく、自衛のための軍隊に所属する軍人の存在は容認している
という解釈も有り得るかと思いますが、自衛隊の合憲違憲の論争で
この条文が持ち出された事はないのでしょうか?

A 回答 (2件)

憲法66条2項の「文民」の解釈としては、


(1)旧憲法下で職業軍人の軍歴のないもの
(2)自衛官の職歴のないもの
(3)思想信条の点で軍国主義的思想に染まっていないもの
のうち1つまたは2つ以上の組み合わせで議論されています。
66条2項はそもそも平和主義の理念を実質化させるための規定とされ、保安隊・警察予備隊が無かった憲法制定当初では、ナチ支持者の残党が西独で政治活動を再開したように旧軍人が政治活動をして政権をとることを阻止する点に力点があったのでしょう。しかし、その後警察予備隊は自衛隊として恒久的存在となり、平和主義を脅かしうるものが旧軍以外にも想定しうるようになると、軍国主義者の排除という趣旨から「自衛官は除こう」あるいは直截に「軍国主義者以外のもの」という主観的要件を加えようとする見解がでてきました。
実例では、羽田内閣で元陸上幕僚長(永野法相)、三木内閣で元陸軍中尉(名前は忘れました)が閣僚になった例がありました。官邸の言い分としては彼らは「職歴はともかく軍国主義者ではない」として野党の批判に反論した経緯がありますが、このような解釈論が66条2項の拡大解釈ではなく縮小解釈に使われた事例といえましょう。

>逆にいえばこの条文を根拠に、憲法はいかなる種類の軍備も全て
>禁止しているわけではなく、自衛のための軍隊に所属する軍人の存在は容認
「鶏が先か卵が先か」的な議論になりますね。
もともと大日本帝国憲法改正のときに憲法9条の趣旨を進展させるために66条2項が草案に追加された沿革もあり、戦後の憲法解釈論はまず平和主義の根本をうたった基幹規定としての9条2項より禁止される「戦力」とは何かを解釈の上で66条2項の「文民」とは何かを解釈してきました。その平和主義の解釈の課程でもともと(「旧軍人の公職追放」的な趣旨での)追加に過ぎない66条2項を持ち出すと、後で66条2項を論ずるときにトートロジー的な論理的甘さが出てしまうため、現状では質問者のご指摘のような観点はあまり支持を得ていないのではないでしょうか?特に学説として体系的理解を試みようとするとどこかで理論破綻を起こしそうな気がします。
しかし、将来憲法9条2項が憲法の平和主義概念の構築に対して有する意義が相対化されたとき、たとえば、かの新総理のもとで自衛隊の憲法上の地位を明記すべく憲法改正が実現されたような場合、「66条2項の趣旨にかんがみれば現行憲法○条○項の自衛隊(当時の時点では「国防軍」か「人民軍」かもしれませんが)統制に関する規定の趣旨はこう解するべき」、というような逆の論理展開が提言されて注目されることもあるでしょう。
いずれにせよ、戦後61年たってクローズアップされる可能性が出てきた潜在的論点であり、個人的には面白いと思います。
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 いわゆる「文民条項」は憲法原案にはなく,衆議院において書き加えられた条項です。


 この「文民」の対語は「武官」です。帝国陸海軍を解体したのですから,憲法制定当時には武官は居ませんでした。しかし,わざわざ「文民」という文言を入れることによって,その対語である「武官」が存在することを暗示しています。つまり,将来的に日本が軍隊を持つことを想定した憲法である。言い換えれば,現行憲法は,軍隊の創設を容認しているということを後世に残すために,原案を修正したのだと,修正案を強く押し進めた議員が明言しています。
 自衛隊合憲論の論拠のひとつにもなっています。しかし,憲法制定時には,終戦前の軍部大臣現役武官制(陸軍大臣と海軍大臣は現役の武官でなければならないという規制)の否定であると,修正案を提案した議員が(真意が別であったにせよ)言っていますので,論拠としては弱い面があります。
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