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「いじめ」で自殺した人についてですが
どれほど調査しても「きもい」などの言葉だけで、恐喝や身体的な暴力はなかったようです。
「きもい」「うざい」「死ね」なんて、日常的に使われている言葉です。
そんな言葉を言われ、部活動で仲間はずれにされたくらいで自殺するのは普通ですか?

私も学生のとき「いじめ」をうけていました。
「うざい」「きもい」「死ね」などの言葉はもちろん、持参していた本に書かれたり、鞄を隠されたり、囲まれて蹴られたり、投石されたり。
証拠物を持って担任に相談しても、やはり「評価」が気になって何の対応もしませんでした。
仕方がないので、自分でなんとかしました。

身体的な暴力を振るわれたわけでもなく、言葉だけなのに自力で状況を改善しようともせず、誰かに相談することすらなく自殺するのって弱いとは思いませんか?
この件では、「身体的な暴力はなく、言葉だけ」ということに注目して、それだけで自殺するのは、精神的に弱いのか、普通なのか、またどう思うか、皆さんのご意見を伺いたいと思います。

個人的には、学校側が「自殺の原因はいじめ」と結論付けなかったこと(調査直後)は正当で、認めざるを得ない状況に追い込まれて無理やり認めさせられたことをおかしいと思います。

A 回答 (15件中11~15件)

正直言いまして、弱いと思います。

自殺する人も、他殺に走る人も。同等です。
キモイウザイと言われることに慣れている人は、それなりの人間に成長し、我慢や謙虚さも生きている中で学習し、自分の生き場所で落ち着いていくわけですが、
ぬるい環境で生きてきた人というのは「キモイ」と言われただけで逆上して猛烈に怒り出すか猛烈に落ち込んでしまうらしい。らしいです。

綺麗、可愛いと言われてきた人が怒り出す様はすごいらしいですよw
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ぬるい環境で生きてきた人というのは「キモイ」と言われただけで逆上して猛烈に怒り出すか猛烈に落ち込んでしまうらしい。らしいです。
ぬるい環境が弱さを生み出すのですかね。
日常でよく使われる言葉(「きもい」など)なんて、挨拶程度と受け流せないほど弱くするのですね。
確かに、近所の子供や町で見かける若い人たちを見ていたら「ぬるい環境にいるな」と思います。
環境が変わるといいですね・・・。

参考になりました。

お礼日時:2006/11/02 12:04

肉体的な一過性の苦痛だけなら、人は案外耐えられるものですよ。



代表的なものには格闘技の練習や試合などがあると思いますが、それに限らず、真剣に部活動をしたことのある方なら、非常な苦痛というものは体験したことがあると思います。

一方、絶え間なく続く苦悩は人の精神をむしばみます。

水滴の拷問ってお聞きになったことはないでしょうか。
そのまんま、一定の時間間隔で額に水滴を垂らすだけで、暴力は伴いません。しかし、長時間続けられると、次の水滴が落ちて来るまでの時間に耐えきれず、精神に異常を来すそうです(真偽は不明ですけどね)。

いじめによる自殺も似たようなものではないでしょうか。

例え暴力は伴わなくても、いじめによるストレスが一日中その人を苦しめるとしたら、そこから解放される方法を探し求めるでしょう。不幸にも解決策も逃げ込む場所もなかった時、自殺という結果を招いてしまったのだと思います。

kikyou-neonさんは、いじめを克服されたとのこと。そのことは賞賛に値すると思います。自力で克服できればそれが一番良いですし、人に相談することも有効だと思います。しかしそうできない人もいるのです。人を傷つけたり、悲しませたりするくらいなら、自分が我慢する事を選択する方や、選択する気力もなくなってしまう方が。

人の心って、本当に脆いものですよ。強い人なんてほとんどいません。一見強く見える人も、実は問題を直視してないだけ・・・なんてことは良くあることですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

学校での「いじめ」とは、言葉だけにせよ、身体的にせよ、一過性ではないのですか?
学校を卒業して、会うこともなくなれば終わるのですから。

>一見強く見える人も、実は問題を直視してないだけ・・・なんてことは良くあることですから。
直視したら克服できないなら直視しない・・・それもある意味解決策かもしれませんね。

参考になりました。

お礼日時:2006/11/02 11:59

僕は、身体的な暴力と、言葉による暴力は、同等だと考えます。


その上で、いじめで自殺する人は精神的に弱いのだと思います。
ただ、人は誰でも弱い部分を持っているわけで、そこから救ってくれるのは、最終的には身近な親しい人間ではないかと思っています。だからいじめについて相談できる友人がいないということが悲劇であり、そうした友情を育むことができない人間に育てた親の責任もまたあるのではないかという疑問も持っています。
なお、自殺それ自体ですが、自殺を考えたことのある人は多いと思いますが、実際に自殺してしまった人は、勇気があるのではなくて、その瞬間頭がどうにかなってしまったのだと思います。狂っていないと自殺なんかできませんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>身体的な暴力と、言葉による暴力は、同等
そうなのですかね・・・。
身体的な暴力は「暴行罪」などの法的な罪に問われますが、言葉は証拠に残らないので法的な処置はうけません。
そのためか「言葉<身体」と考えていました。
そう言われてみれば、同等かもしれませんね。

>実際に自殺してしまった人は、勇気があるのではなくて、その瞬間頭がどうにかなってしまったのだと思います。狂っていないと自殺なんかできませんよ。
私から見れば本当に軽度の・・・「いじめ」の前兆程度の「いじめ」でそこまで「頭がおかしくなる」「狂う」という弱さが理解できません。

参考になりました。

お礼日時:2006/11/02 11:51

うーーーん。

。。結果的に弱いのかな。。。。
でも「きもい 死ね…」キツイ言葉ですよね。

どっちにしても自殺は逃げることなので、弱さだと思いますよ。

「うざい」「きもい」「死ね」。。。。悔しさを羽根にする強さを幼少から教えなかった親に責任があると思う
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自殺は逃げること・・・そうですね。
「親に責任がある」とのことですが、この件では親は全面的に学校側に責任を押し付け、恨み辛みを言っています。
自分たちの非を考えて、認めなければなりませんよね・・・。

参考になりました。

お礼日時:2006/11/02 11:46

精神的には弱いと思います。


でも、自分はどんなにいやな事があっても
自殺を出来ないので勇気があると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自殺をできる=勇気がある、ですか・・・。
精神的には弱いけど勇気がある、ということですね。

参考になりました。

お礼日時:2006/11/02 11:42

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