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現在、兄が大学生です。経済学部ですが、教職課程もとっています。
かといって、教員になりたいわけではなく、資格の一つとして、とっておこうという程度で、大して教育に興味がある様子もありません。
兄を見ていると、こんな適当な気持ちの人に、教員免許を与えていいのだろうかと疑問に思います。

たしかに、免許はとれたとしても、採用試験に受からなければ教員にはなれないのは知っていますが、ペーパーテストと2度の面接だけで、人を見抜くことは難しいと思いますし、そもそも免許自体の重みをもう少し考えてもいいのではないかと思っています。

そこで考えたのですが、教員免許は、専門の教育学部を出た学生のみに与えるようにするわけにはいかないのでしょうか?
6年制ぐらいの大学にして、実地訓練を豊富にし、向き不向きを厳密に判断し、篩いにかけていくのです。
つまり、入学はできても、進級、卒業、免許取得は、そう簡単にはできないという形にするのです。
少なくても、この方法ならば、一度や二度の試験で判断するより、人間性を重視して教師を養成することができると思うのですが・・・。

ただし、これも、今のような隠蔽体質や、馴れ合い体質のままでは、不正に免許を与えてしまったり、ぬるま湯の中で養成することになると思うので、外部からの目が必要だとは思います。

みなさんは、今の普通の大学を出ても教職課程をとれば免許が貰える制度をどう思いますか?
教師は専門の大学で養成すべしという考えどう思いますか?
視野が狭くなる可能性がある、単一的な教師が増えてしまうのではないかなど、反対意見も含め、ご意見お寄せください。

A 回答 (7件)

文系の人は結構もっている印象が強いですね。


理系の場合、私もそうですが教員免許なんて別にいらないと思って取得しませんでしたし、ほとんどの人がそうだったと思います。(実験が忙しくてそんな余裕が無かったのが本当の理由…)

結局片手間で取得できるうえ、安泰な職種なのでとりあえずとろうということがまかり通ってしまうのがそもそもの問題点なんですね。

教員になりたければ、学士取得後修士のような感じで、あと二年いかないと取得できないといったように、なりたい人しか取ることができない制度に変える必要があると思います。

また、教員が増える問題については私見ですが、ダメダメな人も多く教師になっていると思います。そのような人を間引けばいいだけです。免許の更新でも付け加えていけば人数ならうまくいくような気がします。
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この回答へのお礼

>学士取得後修士のような感じで、あと二年いかないと取得できないといったように
なるほど、そうするというのもいいですね。
勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/07 14:30

 #3です。


 お礼欄の内容が興味深かったので再登場させていただきます。

>今の親の方が大変なように思うのです
 たしかにそのとおりですね。
 昔は放っておいても子供が育つ環境が整っていましたが、今の社会は複雑になりすぎましたからね。

 しかしながら、だからと言って自分の仕事の一部を先生に押し付けていいとは思いません。
 先の、先生がイジメに加担したために子供が自殺した件で、ワイドショーでは、親が先生を攻め立てるシーンがありました。

 でも、嫁さんと2人で1年半ほど子を育てた経験から言うと、あそこまでガナリ立てる資格があの人にあるのかな……と俺は思うのです。もちろん程度の問題ですけどね。
 自分の子が自殺を考えるほど悩んでいれば、毎日顔を見ていれば何となくは分かったはずです。もし分からなければ、分かるように努力をすべきです。
 そんで、「なんか悩みでもあるのか」とか話しかけてやれば、もしかしたら糸口くらいは見つかったかもしれません。

 無論、彼ら夫妻が自分の子に対して何もしなかったとは言いませんが、自殺のトリガーに無意識的にも気づいていれば、「死んでから怒鳴る」などという展開にはならなかったはずなのです。
 これはあくまで俺の主観ですから、本当は違うのかもしれませんけどね。

 世の中が複雑になって大変になったとか、そんなことは関係ないんです。
 親が責任を持つべき「子供の情操教育」に関する事柄を、現代の親は大変だからといって無条件に学校の先生に押し付けていいことにはなりません。
 でなければ、自分の子が自殺寸前なのにそれに気づかない、なんてことになってしまうのです。
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教育学部卒で、高校教諭一種免許取得しています。


教員採用試験は受けたことはありません。

教育学部でたくさん勉強しても、多人数の児童・生徒を相手にするノウハウは学べても
人格そのものが良くなることはありえません。
結局、児童・生徒に慕われたり、尊敬されたり、一目置かれるのは本人の持っているものであり
教育学部にいたからと言って身につくものではありません。
教育学部のみで教師を養成するのは、教師という名のコピーロボットを生産するようなものです。
それよりかは、他学部で専門的に研究をして、豊かな人生経験を持つ方が、教師になるとしても役立つかと思います。
中学・高校の免許を取りたいと相談されるなら、私は他学部へ進むことを勧めます。
あとは、一般企業での社会人経験を持つ人を教師にするとか。
要するに、色々な経歴を経た人材がいた方がいいと思います。

現行のまま、採用試験や仮採用を経ながら、児童・生徒とともに、教師も育てていくしかないように思います。
そして質問者さんの仰るとおり、今のような隠蔽体質や、馴れ合いやぬるま湯を捨てて、
外部からの厳しい目に晒されながら、教師として向上していく、または不適格者をふるいにかけていかなければならないと思います。

ただ、今の教師は多くを求められ過ぎていると感じます。
教材研究、学級運営、校内分掌、その他。
それらの仕事をこなしながら、一人一人の児童・生徒を丁寧に相手をするのは、不可能に近いかと思います。
家庭内での教育や躾、学校以外に子どもの居場所を作ることが求められていると思います。
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この回答へのお礼

>それよりかは、他学部で専門的に研究をして、豊かな人生経験を持つ方が、教師になるとしても役立つかと思います。

そうですね。さまざまな経験を積むということは、大変重要なことだと思います。
ただ、現在の大学という括りの中では、専門知識以外で、他学部に行くことで、教育学部に行くことよりも学べることというのは、それほど多いでしょうか?
兄や他の大学に行っている友達を見ると、人間関係や人生経験といった意味では、学部の差は感じないのですがどうなのでしょうか。

>外部からの厳しい目に晒されながら、教師として向上していく、または不適格者をふるいにかけていかなければならないと思います。

そうですね。勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/07 15:02

人間性を磨くのだったら、一度、社会に出てもらったほうが、いいと、思います。


経験則では、社会人を経験した、先生のほうが、人間的に勝っていると思えたからです。
免許剥奪を簡単に出来るようにしたほうが、効果的では、ないかと、考えます。
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この回答へのお礼

>人間性を磨くのだったら、一度、社会に出てもらったほうがいい

そうですね。視野を広げるというのも重要なことですよね。
勉強になります。ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/07 14:55

>6年制ぐらいの大学にして、実地訓練を豊富にし、向き不向きを厳密に判断し、篩いにかけていくのです。


>つまり、入学はできても、進級、卒業、免許取得は、そう簡単にはできないという形にするのです。
日本の大学がそんな制度じゃないから難しいのではないでしょうか?
何処の大学も入学したらよっぽどの事が無い限り卒業できちゃいますよね?
実際、俺の行ってた短期大学校は普通にやれば2年で卒業できるのですが、俺の行ってたD科は異常に進級率が悪く、30人中5人が退学、5人が3年かけて卒業しました。(20人が同時に卒業)
レベルが低いというのもありますが、科の方針が厳しいんです。
1年のころ他の科のJ科と同じ時間、同じ教師、同じ教室で数学の授業があったんですが、その数学の教師が厳しくて単位が取れない生徒が多発し、J科の教師からも苦情がでたらしく後期からJ科の数学はJ科の教師が担当する事になりました。
しかし、俺らD科の教師陣は何の抵抗も無く受け入れたようでしたし、実際その先生だけが厳しいと言うよりはD科からすれば普通の厳しさでした。

どのように厳しいかと言うと、例えばテストありますよね?
まず赤点取ったら生徒から先生にお願いしに行って交渉します。(行かないと必修であれ普通に単位くれません)先生は普通に「やだ、もう一年頑張れ、諦めろ」などのジョークを連発します。
どうにか交渉が成功すると再テストを受ける為の条件を出されます。
その条件ですが、良くてレポート30~40枚、普通に100枚です。
これでようやく再テストが受けられます。当然又赤点なら再々テストの交渉ですが、レポートの枚数は急増します。最悪で600枚とかの人もいました。
悲しいのはレポートを受け取ろうとしない先生も居るんです。
「そこの箱の中に入れといて」と指差された先を見るとゴミ箱があったり・・・。

そんな苦労して卒業したにもかかわらず、科と関係のある職場に行った人は3~4人です。

他の大学に行った事が無いので良く分かりませんが、J科よりは厳しいとしても代返とか聞くと結構甘そうな印象です。
また、もっと厳しいのを望んでるんですよね?果たしてそんな学校に行きたい人は居るんでしょうか?
道楽で行ってる訳ではなく、一つの資格として大学に行く人が多いと思います。適正が無ければ卒業できないような学校に行く人はいますかね?
特に文系は高卒時点で進路を決めてる人は少ないと思います。
せいぜい医師や看護士のように人の命を扱う職業と同等の厳しさじゃないと難しいのではないでしょうか?
また、そこまで苦労して教師になりたいという人が世の中にどれだけいるか?というのもあると思います。給料は決して良いわけではないみたいですし。

 

この回答への補足

すみません。一番大切な、御礼が抜けていました。
いろいろ勉強させていただきました。
ありがとうございました。

補足日時:2006/11/07 15:02
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この回答へのお礼

>日本の大学がそんな制度じゃないから難しいのではないでしょうか?

はい、私も今のままに当てはめてとは考えていません。
制度自体を変えてもいいのではと考えた次第です。

>適正が無ければ卒業できないような学校に行く人はいますかね?

私は片手間で取れるような中途半端なことよりも、プロ育成としての位置づけをハッキリさせた方が、かえって挑戦しようと考える人が出てくるように思います。

>そこまで苦労して教師になりたいという人が世の中にどれだけいるか?というのもあると思います。給料は決して良いわけではないみたいですし。

これもあくまで、今のことですよね。
専門性を高めるのであれば、当然給与面も改善していいと思います。

お礼日時:2006/11/07 14:54

 えと。


 仮に、質問文中の法案を単純に提出し、そして単純に可決されたとすると、おそらくほとんどの教育学部生は過労でぶっ倒れます(^_^;

 なぜかってぇと、「人に勉強を教える」ことと「子供を正しく導く」ことは全く次元の違う話で、本来、先生という仕事は前者のみを受け持つ職業だからです。

 学校というものがこの世に生まれた当初は、先生は後者の仕事を行う必要はありませんでした。
 なぜなら、それは本来、親の仕事だからです。

 ところが時代は流れ々々、「学校に任せておけば大丈夫」という安易な考えが現代の親達の間に蔓延しだしたため、「学校の教育責任」などという妙なものが問われ始めたのです。
 ま、はっきり言ってしまえば、親の半育児放棄状態が当たり前になったわけですね。

 もしあなたの言うような専門機関での先生の養成を行えば、そこにかよう学生は「学校の勉強」と「子供のあやし方」の両方を同時に、しかもパーフェクトにこなさなければならず、落第者は続出し、日本はあっという間に先生不足になるでしょう。

 ゆえに、ただでさえ激務である先生という仕事に、それ以上の負担をかけることがあらかじめ定められているような法案であれば、俺が議員なら反対します。
 ただし、質問文中の法案に、さらに「専門分野によって先生のワークシェア化を明確にする」という一文があれば、賛成するかもしれません。
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この回答へのお礼

>おそらくほとんどの教育学部生は過労でぶっ倒れます

短時間で詰め込むのではなく、それなりの時間をかけてもダメでしょうか?

>本来、先生という仕事は前者のみを受け持つ職業だからです。

なるほど勉強になります。

>はっきり言ってしまえば、親の半育児放棄状態が当たり前になったわけですね

はたして、今の親は昔の親より本当に怠けているのでしょうか?
私は言うなれば「現役の子供」ですが、そうは思わないのですよね。
祖母や曾祖母の話を聞くと、経済的には苦労も多かったようですが、子供の面倒をみるという点では、今の親の方が大変なように思うのです。
うちの母は、子供のころ商店街の娘として育ちました。母方の祖母も同様です。
子供の面倒は、近所の人やお年寄り、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんが見てくれるので、親は悪さをしたときに叱るぐらいだったと曾祖母は言います。
今の親は、このご近所さんの役も、お年寄りの役も、年上の友達の役もしなければいけないんですよね。
これは大変なことだと思います。
親が育児を放棄しているから、教師の役割が重くなったのではなく、近所付き合いやお年寄りとの関係などがなくなり、親以外の大人との付き合う機会がなくなったために、数少ない大人との接点が、学校、教師ということになり、影響力が強くなったのではないかと考えます。

どのような仕事、商売でもそうですが、時代やお客のニーズに合わせて、変化していくものですので、教師のあり方も、変化するのも致し方ないことなのではないでしょうか?

>専門分野によって先生のワークシェア化を明確にする

そうですね。今のままでは、教師の荷が重過ぎると思います。
それぞれ専門分野に特化したプロを配置し、分担する必要があると私も思います。
いろいろ勉強させていただきありがとうございました。

お礼日時:2006/11/07 14:46

あ~、私も思います。


大学を出た人なら実感していると思いますが、教育とは全く関係ない学部を出ていても、中学高校の教員免許ってとれちゃうんですよね。
なんとなく教育者って、それを目指して、専門の勉強をして、それなりに選ばれた人みたいに、思われるところありますが、大学出てる人なら、割に持っている資格だったりするんですよね。
たしかに、学生時代単位数は多くなるけど、実地は教育実習だけだし、授業も出席していればなんとかなるぐらいのもんだったし、こんなんでいいの?と言われれば、その通りだと思います。

ただ、大学進学時、18歳ぐらい?にすでに人生の道を決めなければいけないってのは、ちょっと難しいかなと思うので、一般大学の教職課程を取った人が、編入できるシステムもあってもいいかなとは思います。
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この回答へのお礼

編入システムはいいですね。
他で学んで、終盤、プロとしての養成をすると。
勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/07 14:29

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