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日本って神の国ですよね。でも仏様も多いですよね。

神社は、神様にお守り、見守って頂いてるイメージです。
お寺は、人の生き方を教えてくれるようなイメージです。

一般家庭にも、仏壇と神棚があったり、人が亡くなると仏様になると
聞きます。

あと、人生を見直すのに仏門に入るとか聞きます。
それに人生相談とか聞いてくれるのは住職さんが多いですよね。

でも、あくまで日本は神ですよね?
(1)それぞれ役割があるのですか?

(2)何故、神様には良い神様、悪い神様がいるのですか?

A 回答 (12件中1~10件)

神という概念の方が、仏という概念より大きい概念です。


キリスト教のある一派の方ですと、神様といえばキリスト様、仏様といえばお釈迦様と二つ並んで見えるかもしれませんが、イスラム教のひとにとっては、神様の教えはコーランに書かれていることですし、ヒンズー教の方にとっての神様はまた別です。中国なんかですと、神は霊のようなものを(肉体を持たないもの)を指すようです。
日本だと、人智の及ばないもの、人の力ではどうにも成らないことを「カミ」という傾向があります。悪政を行う領主様も、どうしようもない「おカミ」ですし、雨が降らないことを「日照りカミ」のせいだと思って諦めたりします(精神的にそう思うのがもっとも健康で居られるからなのでしょう)。
また、神業とか、英語でもゴットハンドなんてありますが、人間離れした行為にもカミという言葉を使います。
世の中の全ての物質は原子から出来ているのであれば、それの活動が世の中になっているわけで、その法則のことをカミと捕らえるとわかりやすいでしょうか。そして、その法則を悟った人間が仏です。中国だと仙人ですね。その法則を悟るなんて一般人には出来ないので、悟った人のいうことを聞いてるのが一番というのが、大乗仏教です。
ということで、全世界の法則(難しいので一般人には絶対にわからない、ただそれに触れたときには神々しい感じを持つことは出来る)が神様で、それを教えてくれるのが仏教では仏様って所でしょうか。
悪い神様というのは、人間に都合の悪い自然現象というか、自然界の法則です。自然界は人間に奉仕するために存在するのではありませんから、人間を尺度にすると、都合のいい法則と都合の悪い法則(もしくは自然現象)があります。それを良い神様、悪い神様といっているのです。
蛇足ですが、日本の神棚に折られる神様は昔「おカミ=為政者」だった人を祭っているんだと思ってますので、神の代表というよりも、意味的には枝分かれした端っこの方の神だと思います。ちょっと前の人が天皇陛下のお写真を飾っていたのに近いものです。為政者というのは、人民には選挙のときを除いて(選挙でも働かずに税金を得ている官僚たちを排除することはできないですが)どうにもならないもので、為政者の作ったきまりや気まぐれで民は動かされているという意味では、まさに神なんです。
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No.10です。

  No.11さんの考えは間違っていません。  日本の古代人は他の国と同様に自然を神として崇拝していました。  生活の頼りにするもの、不可思議なものです。  その中でも古代エジプトの太陽神と同じで「日の神」が最も大事な神でした。  (太陽神信仰はタイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどの東南アジアの諸国にもありました)。
古代人は死を穢れと考えて遺体は住居から離れた所に安置しましたが、次第に祖先崇拝になるにつれ、住居近くに墓を置き守り神とするようにもなりました。  
皇室の祖先の「皇祖神」と「日の神」という全く別の神格を統一して「天照大照神」として伊勢神宮に祭ったと云われています。  実在の大王(格か)を祖先として神と祭った神道の始まりのようです。
神道の形成はまつりごとというように、政治と関係したと云われていますが、特定の人物によるものではないようです。
記紀にあるように、いにしえは死は穢れとして、死者は黄泉(よもつ)国に行くように考えていましたが仏教では穢れとしていません。
ほとけと祖先を敬い、現世も後生も幸せを願える仏教が急速に広がったのは当然でしょう。
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>でも、あくまで日本は神ですよね?



はい、八百万の神々の国です。

私は八百万の神々=自然のことを言っていると思っていました。

八百万の神々ということで多神教だと思っていたのですが、最近の読書の結果でいくと、日本は多神教ではなく一神教だったのか! となってしまいました。

しかも日本人は八百万の神々=自然を敬っていたわけじゃあないとわかってきて、青ざめてしまいました。
途中ですりかえられて、遠い異国が崇拝していた神を崇拝させられてしまっている。

でも、元を辿ればやはり自然崇拝だな。。。と思えるのですが。


(1)それぞれ役割があるのですか?

正しくないかもしれませんが、神社は神が住んでいるところで、人々は神に会いに神社に行き、お寺は祖先を供養し敬う場所と私は認識しています。
神社は墓を持っていなかったと思います。

人は変化を嫌い、変化することを穢れると考えていました。
従って生まれるとき、死ぬときを穢れと考えていたようです。

それで子どもが生まれると、穢れを清めるために神社に詣で清めの儀式を行うようになった。
死者が出た家は一定の期間穢れるので、その期間は神社に出向いてはいけない。


お寺の役割は生きていく上での知恵を人びとの授けるところでもあれば、亡くなった人を供養する場所でもある。

神社に奉られている人は神とみなされた人たち。
かなりの超人的な権力者だった人は、もはや人間ではなく神だったとされただけ。


>(2)何故、神様には良い神様、悪い神様がいるのですか?

一つには人の認識によって勝手に良い神・悪い神と変化するから。
例えばバアル。
ウガリット神話に登場する最高神エールの息子がバアル。
エールは後にユダヤ人の神ヤハウェになっていきます。
ウガリット神話ではエールは年老いた神とされ、事実上の主神はバアルとされた。
世代交代で、バアルが最高神となり崇拝されていた。

エールはいと高き人(わが主)という意味があり、神の名をみだりに唱えてはならなかったので、エールとなった。
バビロニアに捕囚されたある民族は、バビロニアの宗教の影響を受け、神をエール(エル)とし、我が主として、神の名を唱える代わりに使うようになった。
捕囚されたことで、逆に選民主義を生み出し、ユダヤ教を作ることとなった。


と、横道にそれましたが、ヤハウェ=バアルなのですが、キリスト教はヤハウェを神としていますが、バアルは悪魔としています。
同一のものを一方で神とし崇拝しながら、他方で悪魔ともしている。
不思議な現象です。

自然がそうだからだと思えます。
太陽は恵みをもたらせば、干ばつももたらします。
恵みも度が過ぎれば<人間にとって>邪悪なものとなる。

人間は恵みをもたらすものを神と考え、度が過ぎたら別の神だと思うことにしたんじゃないかと。
人間が別の神を創って、矛盾を解消しようとしたんじゃないかと。


人間の能力を超えるエネルギーに対して、人間は敬ったり、とりなしたりするしかない。
自然に対して人間は無力なんです。

祈ることしかできない。
何かをせずにおられなければ、祈ったり静まってくださいと願ったり祈祷したりして右往左往するしかない。

ある意味 人間の叡智を超える対象を認識しようとして、その人智を超える対象の法則を見つけ出そうとしたので、宗教という知恵が生まれ、宗教儀式というものを確立していく結果となったんじゃないかと。

また人智では計り知れない自然(無常)に対し、無抵抗主義を創造し、結果、仏教が生まれたのかもしれない。
悟ることで、変化・予想外の出来事に動じなくなるというか・・・


別のアプローチ方法は科学となって宗教とは別な発展をしていった。
こっちは神 つまり 自然を認識して克服したり・利用できることは利用し、災いは回避しようとする道。
が、結局 宗教も科学も同じものが原動。


良い神と悪い神がいるとされる。
誰がいると思っているのか? 人間です。
人間の都合です。

人間の叡智を超える存在。 自然です。
人間の思惑など全く関心なく一方的に存在するものが自然。
これを人は自分の都合によければ良い神とし、悪ければ悪い神と<人間>が決めているだけにしかすぎない。

と、このように私は理解しています。
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神道と仏教の役割


いにしえの日本人は神道でした。  ここでいう神は古代エジプトの太陽神や、全知全能の神でなくご先祖のことでした。  八百万の神々とはご先祖達のことで、我々が今あり現在の暮らしを出来るのは、ご先祖様のお陰で今後もお守り下さいと祭ったのです。  現世の守りを願ったのです。   神は普通の人の死後の霊魂のようなので、良い神様も悪い神様もいるわけです。
他方古代の人の恐れに死がありました。  この恐怖から逃れるすべを求めていて、中国から伝わった仏教にすがりました。  死後の極楽浄土の教えは現世の苦しい生活に耐える救いにもなりました。  つまり神道と違う後生の守りです。
神道では男は死ぬと××のみこと(命)になります。  神社の祭神もみことです。   乃木神社は乃木さんが祭神です。  神道の神は普通の人です。
佛教では仏様はお釈迦様のように普通の人もいますが、  大日如来のように全知全能のほとけもおります。   人は死ねばほとけになりますが、後生を大事にする仏教では、悪人も死ねば救われて良いほとけになります。  
現在では神社でもお寺でも、現世の幸せを祈る人がほとんどでしょう。 古くからの役割の違いは消えかかっています。
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神と仏をごっちゃにしているのは日本人の宗教的無節操さ(寛容さではなく)の表れです。


元来の仏教は無神論です。キリスト教のような世界創造の神のみならず、自然現象を司る人格的神も認めません。
森羅万象はそれ自身の法則で成り立っているのであって、何か超常的な存在が介在しているという考えも一切しません。
仏も一神教や多神教の神とは全く違います。
仏というのはこの世の真理を悟った人間の事です。
言い換えれば”聖者”とも言えると思います。
偉大な人物ではあっても、別に人間の運命を左右したりご利益を与える力はありません。
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>でも、あくまで日本は神ですよね?


そうあってほしいです。
(1)それぞれ役割があるのですか?
日本における神の存在は、キリスト教を初めとする神の概念とは異なるものですから、同一線上で考えてはいけないと思いますし、一時期天皇問題でなされたような神代の国とも違います。
考え方としてはむしろアイヌやネイティブアメリカンなどの考え方の方が適切ではないでしょうか。
日本神話でも、たびたび外国からの渡来の神様が出てきますが、そう考えると、仏教も「神」の中に入ってしまいます。
神道と仏教の対立はあくまで政治的なものでしたから、あまり厳格に区別するのは、本来の「神代の国」の考え方からは外れていると思います。
(2)何故、神様には良い神様、悪い神様がいるのですか?
本来「神」は畏怖の対象であることが多いので、野党や盗賊でもその地を治めていると「神」として恐れられましたし、将門などのように日本には祟り神を崇めて抑えると言う風習があるので、神様にも様々なタイプがあります。八幡様や出雲大社も元は祟りを恐れて祀ったとの説もあります。
また、本来祟りの原因は人間にあるのですが、後に地獄思想から、悪さをする神という考え方が定着しました。
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この話は途轍もなく広がる種類のものなので、一方的な意見で単純な違いだけ述べます。


「神」と言う概念は本来は人と対立するもので、「人知を超えた」「世界の創造者」を指し、その後宗教間の競争によって、「全知全能」と言う様にパワーアップして行きました。
一方、「仏」は人と共に発生した存在で、存在の在り様が人間の様に現世に縛られていないと言う特徴を持っています。
神に関しては王権の後ろ盾として、王が神もしくは神の直系であるという形で始まった例が、エジプトから日本に至るまで多く存在しますが、仏は人が成仏してからなるもので、後先が逆ですね。
只、日本の場合は権力闘争に敗れて不慮の死を遂げた相手を、祟りを恐れて神にするという考えがあり、仏教が土着宗教の神を仏に吸収して日本に渡来してきた事と相俟って、両者の違いに混乱を生じていると思われます。
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明治政府がめちゃくちゃなことをしなければ.聖徳太子の頃から.神の化身が仏である(逆だったかも)とされていました。


明治政府がめちゃくちゃに下のです。

なにをもって「良い」「わるい」としているのか不明ですが.
すべての物事は裏と表があり.神の教えにそむけば災いとなるという考え方で.どちらも同じ物です。
礼としては.薬師如来とその取り巻きの化身が.閻魔大王と地獄のオに。だから「仏の顔も3度まで」
神(天皇)を使って民衆支配を行う上で津語うの良い考え方です。
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宗教法人の人です。



人が死んでも仏になるとは限りません。家の宗派が神道であれば、人が死んだら神になると教えられるはずです。
ですので、神道の家には仏壇は置きません。代わりに、仏壇に相当するものとして
御霊舎(みたまや)とか神徒壇とか呼ばれるものを設置して、そこで先祖を祭ります。

人生相談については、仏教が「生きていく上で直面する苦悩を乗り越えるための知恵」という側面を
持っているため、相談相手として適しているのではないでしょうか。

では質問のお答えをば。

1.役割というのは「神は○○のお働きをする」「仏は××のお働きをする」ということでしょうか?
神仏が習合していた時代には、「神は人智を越えた事、仏は人の事」と明確ではなくても
分かれていたようですが、今は特にそういう区分を感じる事はありませんね。

2.悪い神様というのは、ちょっと違います。神道は「自然と共に生きる」というところから始まっており、
自然を始めとするあらゆる物に神が宿ると考えられています。そのため、人智を越えた現象も
全て神の働きとしています。そこで、人間にとって不都合な(=悪い)ことに関しては、
「神様、あなたをお祭りしますから、どうかお鎮まり下さい」とお願いするわけです。
京都・八坂神社の牛頭天王(=疫病の神)が代表的なところでしょう。
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本地垂迹説



というキーワードで検索してみてください。

神道と仏教は本来は別の教えですが、中世以降、明治時代の
廃仏毀釈まではごちゃまぜでした。

悪い神様、とのことですが、それは神道の一つの特徴です。
ちゃんと神道を勉強されるしか理解する方法はないと思います。
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