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先日スカパーの「アンネ・フランク」を見て疑問がわきました。
父オットーの友人はガス室で処刑されて、アンネはチフスで病死、母は餓死したそうです。
何故アンネと母はアウシュビッツに着く早々、ガス室送りにならなかったの?

A 回答 (3件)

アウシュビッツ絶滅収容所は”処理”能力を越える


ユダヤ人を受け入れて満杯になったので、
労働可能とみなされたユダヤ人は
他の強制収容所に移されたのです。
アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られます。
ここはガス室のない労働目的の収容所ですが
環境劣悪のためにチフスで死んだとされます。

アウシュビッツのガス室は悪名高いですが
一日で2~3百人しか殺せず、効率は非常に悪い処刑道具でした。
死体の処理はさらに手間がかかるので、
延べ150万人ともいわれる収容者を絶滅させるには
少なくともさらに数年が必要だったはずです。
だからゲシュタポも多くのユダヤ人は
餓死や病死するままに放置させるほうを選んだというわけです。

ちなみにアウシュビッツにはソ連軍が迫っており、
アンネは1944年8月から10月までいたことになってますが
その二ヵ月後には解放されています。
アンネが移送されたベルゲン・ベンゼンはドイツ国内の
ニーダーザクセン州にあって、ソ連軍の脅威を避ける
という意味合いもありました。
ナチは連合軍が解放するまえにユダヤ人の絶滅処理だけは
済ませたかったわけです。
父親のオットーが助かったことでもわかるように、
もしアンネは移送されなければ、ソ連軍によって解放され
助かっていたと思われています。
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アウシュビッツに着くと列車から出てくるユダヤ人は選別されます。

子供とその母親、老人、病人はガス室行きに。働けそうなものは強制労働の列に並ばせられます。

アンネは当時12歳か13歳でしたが、彼女は大人っぽいコートを着ていたました。それで、子供と判断されずに強制労働の列に入れた…だったと思います。

なんにしても酷い話ですよね。
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おそらく、強制労働させられていたようです。


即刻ガス室に送られるのは、老人や子供などで、労働力として使えない人々をガス室に送っていたようです。

また、残った人々も強制労働中に病死したり、十分な食料を与えられずに餓死することが多かったようです。

いろいろと、検索エンジンでしらべると出てきます。
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