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こんにちは。

心理学を勉強する前から、そういう所はあったのですが・・・・・・。

例えば、友人が不登校やニートの方達に対して
「甘えだよね」と言っただけでも胸が苦しくなるんです
それは、私が真っ向から友人に対立するという問題でもないですし、いつでも対立できるわけではありません。
聞き流した方が楽なことが多いのは分かっています。
でも苦しいです。

 私の友人は心理学を勉強したくて心理学科に入ったわけではなく(滑り止め)今でも興味がないようです。
「イジメられる子って特徴あるよね」と言う言葉は流石に諭しましたが、やはり苦しい。
 どもりのある方のビデオなどを見て「はっきり言って雇いたくないよね」「もっとヤル気のある障害者の方を雇いたいと思うよ」と言っているのを聞くと本当に苦しいです。
 街中で子どもが泣いているのを、宥めているお母様が
「躾がなってないから」と影で言われてるのも凄く辛い。

相手には相手の考えがあるはずだし、思ったことを言うことが出来るわけでもないので、苦しんでいるだけ損だと思います。でも苦しいです。

心理学を勉強されていて(されていなくても)こういう想いをされている方って他にいるのでしょうか。
また、そういう方は、どう気持に整理をつけたり、落ち着かせているのでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

例えば殺人者=悪人とはいいきれない。

もちろん人ひとりの生命を奪うことの罪はないわけですが、殺人にいたる背景、過程というのは「結果」がある限り「原因」も必ずあります。「惨劇は突然起きるわけではない、それは日々周到な準備をされて待っている」わけです。
社会的法的な悪というのは他人を攻撃することだけではなく、自分を攻撃すること、自傷行為をするということも差別的偏見的に扱われますよね。そういうのをひっくるめて逸脱行為としましょうか。とかくマイノリティーは性質(つまりそこに至る道理)を理解されず量的なもので斬り捨てられやすい。
しかし誰にとってもその萌芽はあるし心を持つ限り普遍的なことなんです。心が大きくダメージを受けると、その傷を他者への共感や投影をもてれば「やさしさ」「思いやり」に通じるのですが、ネガティブなベクトルに通じることもある。つまり他者を攻撃する場合だってある。それは心の作用で憎むべきは「人」ではなく「罪」にある。・・・(こういう問題については話がどんどんそれていきますのでここらへんにしますが)

そしてそういう違和感や感じ方を理論的に解明してくれたのが私にとっての学問でした。
当方もご質問の中にあるようなイジメや不登校、そういう社会的な諸問題はひととおり経験してきて克服&克服中ですが、そのように人に恵まれず、となれば逆に人の心理なるものに興味がでて、そんな事情のために遠回りして、この齢になって心理学を学んでいます。

そこで何を知ったか、というのは心理学では自分の問題の解明にはなるけれど、起きたことの慰めにはならないということでした。もちろん想定どおりでしたけれど、学ぶことは大いにありました。

例えば家族の問題。私が悶々と悩んでいた家族の「機能不全家族」と専門用語がつけられていることを知りました。すると自分だけの問題かと思っていたのが、逆に論文になっているほど問題化、一般化されていることを知るわけです。(ANo.9さんの気持ちと同じです)
権威主義者の父親と、男に依存するしかない生き方の母親。「異分子」を見て「学習」する妹。という構図でしょうか。
その母親も「娘が母に反抗して自主性を打ちたてようと望むことは・・・母から見ると、これはいとわしい忘恩なのだ。・・・自分の生き写しが<他者>になるのは承知できない」とボーヴォーワールの言葉と共に、(心理学的に)命の根源でありすべてを受け止める大地のようであると共にすべてを呑み込む闇の部分を持つ母性、の概念、というのを知ると、あぁ確かに彼女から私は生まれでたが、女として自立できていない彼女は男にすがるしかなかっただろうから父親ばかりの肩をもってきた。それにも増して、またそれ以前に「女」という性をもつ限り、私を確かに「呑み込もうとした」。だから幼い頃から過保護と見捨てとを繰り返してきたのだな、と「敵について学ぶ」わけです。

また心理学だけでは単位がとれませんので社会学も選ぶわけですが、教育社会学的には「高度経済成長期」という時代を背景に「偏差値教育」があの頃働き盛りだった自分の親だけではなく、あの世代ほとんどの親たちをもつ子供は苦労してきたんだ、と知るわけです。
その「偏差値教育」ももともとは18世紀のドイツが官僚任用制度のための競争試験を日本が導入した結果、「『学歴社会』は学歴という新しい身分に囚われた硬直化した社会に急速に変じていく」ことに至ったわけです。

ニートは「自己」を守るための密かな抵抗、であり、イジメは学歴社会のフラストレーションからくる弱肉強食の露呈である。・・・

ひとつの問題や課題というのは例えば心理学という狭義の学問領域のみならず多領域に渡っている。個人的にはもっともっと他分野同士が仲良くしあわなければならないと思っていますけれど、自分の心の傷は癒せないが、問題のメカニズムを知ることで、救われたというよりも、自己再発見ということになったでしょうか。

だって不登校やニート、イジメ問題なんて星の数ほどの論文、書籍がでているくらいな「問題」「課題」なわけですよ。それを「甘え」ひとことで片付けるなんて!あなただけではない、私も憤ることはたくさんありますよ、今の世の中で。自分が経験してきた問題を理解されないことはもちろん、他人の問題でもね。共通していることは「人の痛みを理解できない」他人に対してです。

つまり学んで生き辛くなったというよりも、それ以前のあなたの自然な気持ちなのでしょうね。こういう言い方は好きではないのです。だって「やさしい人」が傷つき悩むというのがこの世の不条理だから。「やさしい人」なんです。正常な感覚をもっている方です。個人的には非常に嬉しく感じます。そしてそれを単に「やさしい人」と個人に還元してはならない問題というのが、上で述べたようにステレオタイプ的な見方しか見れない社会的心理なんです。

やっぱり相手に問題を提示すること、批判精神が必要だと思います。よく「人はいろいろな意見をもっているんだから相手の意見を尊重しなければならない」と言う人がいますがバっカかじゃないのって思いますね。時に批判し、それについて素直になり、互いに影響しあう、それが文化の創造でありイデオロギーの発展につながるのではないでしょうか。
例えば第二次世界大戦後の思想界で世紀のカップルと伝説になっているサルトルとボーヴォワールのカップルは、互いに実存主義者でした。互いの著作を互いに最初に見せ合い、批判しあい、書き直し、吟味されて世にでるという過程をとりました。つまり創造しあう刺激的な関係はそのまま作品に反映されているわけです。
だからのらりくらりと、快楽主義だけに生き、個人の問題にだけ目を向け、その個人にとって決して無関係ではないことを試されるように日々呈示される社会的な問題に対しても無関心な人は、個人の人生の創造はできても、社会的文化的にとっても無為な人という感じがしますね。知り合いに一人いますが(笑)、酒と美味しいものだけを食べていれば幸福なんですって。それって幸福ではない、本能が満たされただけのレベルだと思うのですが、「人には色々な考え方があるからいいじゃないの」って。だから人としても男としても魅力を感じられませんでしたけれど(笑)。

説得するにはこちらも知識を持っていなければならない。でもそれは「うんちく」とは違います。「うんちく」は知識のひけらかしで、逆効果になります。だから大切な場面で、必要な場合のときに武器になるもの。「その日本人特有といわれている甘えのメカニズムとこの問題とはどうリンクするか?」とかね。でも理詰めで追求したら逆効果ですよね。本当は個人個人の「気づき」がいちばん効果的なんですけれど。

繰り返していいますけれど、あなただけじゃありませんよ。そのことには希望をもってくださいね。
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私は、その人の言動や行動は、その人の体験してきたことであると捉えています。



また、その人の言動や行動から感じた苦痛は、その人がそのように言われて感じた苦痛と捉えています。

このように、それをその人との共有体験と捉えることができるようになってからとても楽になり、伝えたいことが伝えられるようになりました。
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よく大人達は不登校やニートに対して甘えだというけれど、これは大人達が無知&責任転嫁なだけです。


このような世の中にしてしまった大人達にも責任があります。
強く言い換えれば、大人達が私腹を肥やすために子供達の精神を搾取しているといっても過言ではありません。

>イジメられる子って特徴あるよね
特徴あったところで、イジメること自体が犯罪にあたることがあります。自殺幇助、傷害、名誉毀損…etc などが挙げられます。イジメられる方が悪いという考えは間違いです。むしろイジメを行った方が悪いです。場合によっては精神がまともではありません。電車で痴漢を行って捕まり、ミニスカートをはいてる奴が悪いといってるようなものです。

躾がなっていても泣かない子供の方が異常です。

この様に、苦しんでいる本人だけを責めるような人を見たら、この人は他人を思いやる気持ちが欠如している可哀想な人なのだなと考えればよいかと
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はじめまして。



ものすごく共感します。私も心理学を学びたくて大学を選びました。もっとも、途中から教育や社会学方面(ジェンダーや差別など)に移行しましたが。
多分こういった言葉に抵抗を持つのは元もとの性格なのだと思います。ただ、学んだことによって苦しさが増した部分もあります。

私の場合、「周りの誰も気にしないような(少なくとも受け流せるような)“些細な”ことを気にしてしまうのは自分がおかしいからだ」と思っていました。けれど学校で学んだ知識によって「そう感じるのは自分だけではないんだ、これは正当な怒りなんだ」と思えるようになりました。
それは自己肯定につながった反面、どうしても理解してくれない周囲と折り合いをつけることを難しくしました。

それでも少しでも自分と似たような考えの人がいるとわかれば多少楽になるので、差別系の本を読むとちょっと救われます。理論武装もできるし。といっても実際に言える機会は少ないのでもっぱら心の中で反論していますが(笑)

ちなみに私も一部の友人にだけは討論をふっかけます。ある友人は私の考えに影響されてくれたらしく(他の面では私も影響されているのでお互い様ですが)一定の理解を示すようになってくれました。少なくともこれを言うとコイツは怒るな、と思ってセーブしてくれるようです。そこにいくまでに4年かかりましたが。信頼できる相手なら長期戦もありですよ。

お互いもう少し楽に生きられるようになるといいですね。
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#7です。

たびたびすみません。

妙なブレーキをかけてしまったかな、と思い戻ってきました。
(しつこくするつもりはないのでもう来ません。)

その苦しさは、間違いじゃないと思います。大切にしてください。
きっと方法があると思いますので、損だと思わずに頑張って下さい。
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こんにちは、おじゃまします。



よくはわかりませんけど、あなたの強い思いと目の前の現実がぶつかって苦しい・・・ということでしょうか・・?

苦しい、苦しい、といっぱい書いてあるんですけど・・・苦しそうですね・・・(笑)
これはやっぱり自分で解消するしかないんだろうと思います。
それで、やっぱりみんな同じようなところはあるんだろうと思います。
強い思いのようなものも・・・あると思いますし、決して逆向きなものではないと思いますが・・・
ただそれもやりようがあるんだろうと思います。
極端な考えや方法は、それは危険なものへと変わるかもしれませんし、そうなっては本末転倒になるんだろうと思います。
で、個人的には友人の言葉などは実に率直ともとれるのではないかと思います。
自由で率直な考えや行動の中には、悪い点もあるかもしれませんが、何か鋭いものがあると思います。
それはそれで、何かとても大事なことだとも思います。
また、誰でも完璧ではないと思いますし、弱いところダメなところ、穴だらけ・・・じゃないかとも思います。

だらだら長くなりましたけど・・・・それではこの辺で失礼します。
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こんにちは。


質問者様の生きにくさは、心理学を学んだこととは、あまり関係が無いように思います。
質問者様は、自らの手で、ご自分を、正論の縄で縛り上げ、理想の檻に閉じ込めている上、
そこに他人まで連れ込もうとしているように感じます。

>「甘えだよね」
>「イジメられる子って特徴あるよね」
>「はっきり言って雇いたくないよね」
>「躾がなってないから」

:質問者様に、このような感情が湧かないのであれば、心を痛めることはないと思います。
質問者様は、このように感じることは「良くないこと」だとお考えなのですね。
そう考えることは、質問者様の自由ですが、他人が質問者様とは異なる感じ方をするのは
仕方のないことですし、質問者様の力でそれを止められるものでもないと思います。

『自分のしなくて良いことをしてしまう』
『自分のするべきことをしない』
時々こうならざるを得ない人間くささも無視しなくて良いとは思うのですが、それが習慣
になってしまうと、自分も隣人も、生きにくくなってしまいます。
質問者様がするべきことは、お友達を諭すことよりも、ニートさんや、いじめられている
人や、障害者や、子どもに手を焼いているお母さんが、困っているのを見かけたときに、
「力になりたいのですが何か私にできることはないですか。」と言うことだと思います。

もうひとつ、これは、私の憶測ですが、上記のような発言を平気ですることができる
友人に、質問者様が「嫉妬」している、という可能性はないですか。
そうだとしても、少しもいけないことではないと思います。
ご自分が狭い檻の中に閉じ込められていれば、平原を悠々と動き回る者たちを羨ましいと
思うのは当然ですから。

質問者様に必要なことは、「こうあるべき」という固定観念から解放されること
ではないかと思います。

↓この本は、参考になると思います。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
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質問者さまはもともとしっかりとした正義感をお持ちなんですね。


心理学を勉強したことで、輪郭しか捉えられなかったことが
論理的に解釈、理解できるようになり、尚のこと正義感が強くなったのでしょう。

私も大学で心理学を学んでいます。
私の場合、心理学を学びたくて大学を選んだので、
いろいろな心理学の講義を受けて、朝起きてから夜寝るまでの全ての行動が
心理学に関連していることに感動し、さらに興味を深めましたが、
質問者さまのご友人と同じく、滑り止めで入学した人たちは
さほど心理学に興味があるわけでもなく、講義も聞き流してるようです。

逸れましたが、
>相手には相手の考えがあるはずだし、思ったことを言うことが出来るわけでもないので、苦しんでいるだけ損だと思います。
自覚なさってるようですが、事象に対する受け取り方は人によって違うので、
皆が皆同じように捉え、考える必要はないし、そんなことはできないのです。
たしかに誰かと共通する考えがあるとうれしいし、自分に共感してもらえると安心できます。
だけど相手も意志を持った人間ですから、思い通りにはなりませんよね。
「自分は自分、他人は他人」でいいじゃないですか。
また、質問者さまが「つらい」と感じることは事象に対する「心理学的視点」でしかないのです。
確かに全ての行動に心理学的意義はありますが、それ以外のものの見方もありますよね。
ひとつの概念だけでものを見ようとすると、どうしても視野が狭くなり、考えも固定化してしまいます。

 と言いながらも、質問者さまのような方が「痛みのわかる」心理士になっていくのかなと思いました。
もっと物事を多面的に見られるようになるといいですね。
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「甘えだよね」


「イジメられる子って特徴あるよね」
「はっきり言って雇いたくないよね」
「躾がなっていないから」
このような言葉を聞いて「>苦しいです」とおっしゃるのは、
kororo23さんご自身の中にあった同様の気持ちがまだ完全に処理しきれていないからではないでしょうか。

「>心理学を勉強して生きにくくなった気がする」のではなく、
「心理学を勉強して以前の認識の間違いに気付きだしたが、心底からの理解に至っていないためにその認識がまだ確立しておらず、結果として明確に断定できずに葛藤する局面が以前より増え、そのせいで生きにくくなった気がする」
ということでしょう。
つまりkororo23さんは今、脱皮の真っ最中なのだと思います。
もはや「【幼】虫」ではないが「【成】虫」になれたわけでもない。
以前の自分と同様の幼虫を見てヤキモキしている、といったところではないでしょうか。

友人がそのように言う理由はおわかりですよね。
結局、彼らの弱さ(と友人が思い込んでいるもの)と自分の弱さを同一視しているわけでしょう。
一種の錯綜で、本来的なコンプレックスと言うこともできると思います。
つまり、その友人の方は、自分の弱さを自分で乗り越えていないまだ「幼虫」なわけです。
脱皮の様子を見られる、その友人は幸せですよね。
堂々と胸を張って見せてあげましょう。
多少の摩擦熱が生じることもあるでしょうが、精神的な葛藤が0のところにはいかなる進展もあり得ないはずです。
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私は人生を上手に生きにくい人間です。



ただ、学生時代、心理学で「内観療法」を学び、ちょっと、新しい世界を持ちました。ご存知でしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%A6%B3% …
恩師、三木善彦先生の元です。
http://www.nara-naikan.jp/naikan/things.html
たった、これだだけ療法ですが、こころが穏やかになるそうです。
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