準・究極の選択

日本は第二次世界大戦を原子爆弾の投下によって終戦を迎えましたが、この戦争を日本の勝利で終える事、またはこの戦争自体に参戦せずに済む事が出来る可能性があったのはいつ頃なのでしょうか。

A 回答 (9件)

その質問に答えるにはどうしても、


”勝利”の概念について考える必要があるでしょう。
勝利とは何か、勝利とは絶対的な到達点ではなく、
極めて相対的な地位に過ぎないからです。
だからどうすれば勝利できたか、を考えるには
どういうものを勝利とするか、という勝利条件を
考慮しなければなりません。
これなくしては勝利は存在しないとまでも言うことができます。
それがどういうものであれ、勝利条件を満たせば
勝利と考えうるわけで、
それをミニマムに捉えれば、
国体の維持だけを条件とすることもできるし
絶対国土防衛圏内の領土、
あるいは日本固有の領土だけの保全と定義することできる。
逆にチャーチルが主張したような絶滅戦争と定義して
終戦を対戦国を無条件降伏を強いるまでと条件付けることもできます。
これら勝利条件によって、いかにすれば勝利できたか、も違ってくるのは当然で
どこまでが可能で、どこまでが不可能かも見えてきます。
よく出口戦略といいますが、勝利とは何かを正しく見つめ
明確なプランを持っていないと、戦争の出口を見出すことはできませんし、
それは勝利で戦争を終えられないということです。

その意味において、日本の戦争は、全く出口戦略を考慮しないもので
そればかりか、宣戦布告なき戦争である、事変として始まったことから
1931年から戦争中であるという現実すら国内外に偽っていました。
こういう事実に基づかない考えというのは、だいたい敗北に直結する道です。
戦争がどういう形で終われば、勝利かを定めていないわけなので、
日本が勝利にたどり着くこと不可能であって、
それは相手が誰であれ、どんな戦い方をしても同じことです。
さらにいえば、日本の相手が例え中国だけであったとしても
勝つことは不可能だったといえます。
それは軍事的に達成不可能というのではなくて、
政治的に何を求めるかがはっきりしていなかったからなのです。

このことは参戦せずにできるか、という質問ともからんできますが
政治的なゴールをなんとするか、何を求めるかを明確にしてなければ
何を避けるか、何に加わるかの指針がわからないので、
戦争を避けることは不可能ということになります。
はっきりとした目標がないので、時流に流されるということです。

満州事変がおきたときに、軍人たちを処罰する必要があったわけですが
政治的理由で日本ではそれが不可能でした。
それはともすれば根本的な問題が国内にあったことを示していて
どうころんでもうまくいくことはなかっただろうことを示唆しています。
例えば、日中戦争を終結させ、連合国との戦争を回避できたとしても、
日本の問題は何一つ解決されていないので、
日本は戦後みせたような成長は到底ありえず、
ミヤンマーやインドネシアのような、軍が幅を利かす最貧国になった可能性が高いということです。
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>日本の敗戦はどの時期であれば免れる事が出来たのでしょうか。



ぼくは満州事変から満州国を作っての2~3年の時期と考えます。
石原莞爾が関東軍を去る時・・

満州国は欧米も認めない、むろん蒋介石も認めない、という状況
の中で国際連盟脱退という事態になったのですが、この脱退事件
が問題と思います。近年の北朝鮮の対米外交手法やイランの国際
外交を見ても分かる通り、「無理を通せば道理が凹む」のです。
また「ノラリクラリ外交」も効果があります。当時の日本の状況
は確かに軍部が先走りの真っ只中にありましたが、余りにもマジメ
な考え方~武士道~が多く、国際関係に秀でた人は少なかったの
です。日華事変・上海事変はやり過ぎで、そして宣戦布告なき
日中戦争へと突入します。

満州国は昭和20年8月で消滅しましたが、その手法・存在の
是非はさておき、我々の先輩が血と汗によって作り出した国です。
現代から考えてもなんとスケールの大きい作業でしょうか。
偽装事件、マネ~ゲ~ム、イジメと・・満州国建国に比べたら
なんとチマチマでしょうか・・。

確かに原爆投下まで引っ張った軍部の責任は免れませんが、それを
許した・・また許容した国民性にも問題はあります。真珠湾奇襲攻撃
の新聞報道に日本国中、拍手喝さいし歓喜に酔いました。

いずれにしましても、関東軍の石原莞爾が去るまでに手を打っておけば
勝利に終えたと・・。
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補足として


アメリカのカラーコード戦争計画は、アメリカとの戦争が起こりうる全ての国との戦争計画を国ごとに色分けしたもので、イギリスと開戦した場合のカナダやアイルランドへの侵攻すら検討されています。
有事に対する心がけの見本のようなものですね。
で、対日開戦時の計画がオレンジ色とされていました。日本だけを狙っていたわけではありません。ただし、対日開戦が現実味を帯びるにつれ、オレンジは具体性を増していきましたが、その原因は日本側のアクション(仏印進駐など)によるものです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9% …
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アメリカは日露戦争後は日米の対決の時代がくると、オレンジ計画により日本を追い込むように着々と計画をたてて進めているのに対して日本は石油を止められると戦争が出来なくなることが判っていながら対策を


立てられず開戦せざるをえなかったわけです。
どの時点で要求を受け入れていれば戦争を避けられたか、そんなことは
一時的に回避できたとしてもアメリカの目的が太平洋の覇権とシナ大陸
の市場占有を目的にし、日本がアメリカの覇権を認めないかぎり戦争になります。現在敗戦国日本で平和教育で育っている国民だからアメリカの要求もある程度認めれば丸く収まっただろうと考えるのは戦後の日本人で、戦前の日本人は覇権を握られることを容認できる国民ではありません。アメリカと戦争を回避する方法は外務省が有能な人間を派遣して
アメリカのマスコミを使い日本と戦争になれば大変なことになるぞ、と
大衆に訴えれば戦争をさけられたかもしれません。中国はその手をつかって南京虐殺をデッチアゲてアメリカを味方につけたわけです。
日本が敗戦しなかった方法は日本人が一番苦手としている宣伝戦に掛けるしかないでしょう、世界相手で沈黙では味方はできません。
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日本の敗戦は、避けられなかったでしょう。


戦いに勝利するためには、地の利、人の和、天の時が必要だといいます。
日本は、後方地域たる満州に中華民国軍、中国人民軍、軍閥、極東ソ連軍という敵を抱えながらアメリカ・イギリス等と戦端を開いています。
つまり背腹に複数の敵を作るという最悪の選択をしているのです。
これは地の利を活かしていないということになります。
日本は、陸・海軍、政府共に明確な政策ビジョンを欠き、5.15、2.26両事件を適正に処置することもできず、ひたすら派閥の勢力拡大に努めた。
これでは、人の和を図ることなどできはしない。
日本の大陸進出自体は、あくまで帝政ロシア・ソ連邦の南下政策に対抗することが大前提であり、朝鮮半島や満州におけるインフラ整備や産業振興は、南下政策に対抗するためのものであり、侵略行為ではなく、帝政ロシア・ソ連邦による侵略を食い止めた代償と食い止め続けるための策源地として国際的に認知されていた。
しかし、南京大虐殺に代表されるように、対外宣伝活動の敗北、宣戦布告の手交遅延に代表される外交政策立案・遂行能力の欠如、日本の外交・軍事暗号はほとんど解読されていると暴露本が発行されていたのに、その存在すら感知できなかったインテリジェンス能力の欠陥。
これでは、天の時を作り出し、利用することなどできはしない。

ターニングポイントは、日露戦争です。
日露戦争に勝って日本はおかしくなってしまった。
負けていれば、イギリスは、日本に肩入れすることとなり、また、変に増長することなく、堅実な政策を採ることとなったと思います。
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 他の回答者の方の意見を見ると、ハルノートを受け入れれば対米開戦を避けられたかのような事を言っていますが、おそらくムリでしょう。


 イラクも大量破壊兵器の査察について国連(主にアメリカ)から明らかな国権の侵害の屈辱的な条件を突きつけられ、開戦やむなし、といったムードになった時、フセイン大統領はその条件を受け入れました。
 その結果大量破壊兵器やその痕跡は発見されませんでしたが、さらにアメリカから隠蔽を図っていると言いがかりをつけられ、フセイン大統領の国外退去が命ぜられ、開戦にいたりました。
 当時の日本もハルノートを受け入れることは百歩譲って可能だったかも知れませんが、天皇陛下を国外追放せよ、と言われては黙ってはいられないでしょう。
 そもそもelle1retttさんは第二次世界大戦の敗北をもって”日本の敗戦”と考えているようですが、それは少し近視眼的な考え方だと思います。
 確かに第二次世界大戦の戦闘行為においては日本は敗北しました。しかし、そもそも戦争というのは戦いに勝つことが全てではありません。ロシアも過去、フランスやドイツに攻め込まれ、敗戦に次ぐ敗戦を繰り返しましたが、最終的には冬将軍の力を借りて国を守ることが出来ました。この場合戦闘には負けていますが、国防という戦争目的を達成していますので、ロシアは勝ったと言えるのです。
 確かに日本は第二次大戦という戦闘では大敗を喫しましたが、あの帝国主義の植民地時代において、日本は明治維新から第二次大戦までの数々の努力で国を守りきり、ひいてはアジアの開放のきっかけになったのです。
 国を守りきった日本と、植民地を手放さなければならなくなった欧米と、どちらが本当の敗者でしょうか。
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張作霖を殺さなければ、奉天派が国民政府に降伏しても、蒋介石との交渉によって、満州を日本の勢力圏にできたでしょう。


前の方も御書きですが、満州事変を起こしてしまえば、日中戦争は不可避で、もう勝てません。もしハルノートという外圧を利用して、中国から撤退できたなら、日中戦争に敗北しただけで済んだでしょうけれど。
なお、日本政府にまともな政治・外交能力があったなら、いかにアメリカが欲したとしても、国際連盟の常任理事国であった日本への宣戦布告は、まず不可能です。
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アメリカは米西戦争でフィリピンを獲得後、邪魔な日本を排除し中国を獲得することを国是として動いています。

そのため日本が開発しようとした石油資源を、ことごとく横槍を入れて奪っていきました。大国アメリカの長期戦略で邪魔者とされてしまった以上、主権国家として独力で生き残ることは不可能であったと思います。
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戦争に参戦しないで済むためには、まず1931年の満州事変を起こさない事だったでしょう。



次のチャンスとしては1941年のハルノートの通告を受け入れる事。

開戦後に勝利のチャンスはありませんでした。
海外に生活物資・軍需物資を頼る日本は戦争になった場合、その物資の輸送ルートを守るだけの海軍力も構想も持ち合わせていませんでした。
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