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涙を流すと、どうして気持ちが落ち着くのでしょうか?。
それとも、気持ちを落ち着かせる為に涙を流す、ととらえた方がいいですかね?。
もちろん落ち着かないこともありますが・・・、生理学的にみて、涙ってどういった役割なんでしょうか??。
もちろん、生理学的な回答じゃなくても良いですヨ。(^^)
『涙』や『泣』という字の意味なんかも、主観で良いんで回答をもらえたら、大変うれしいです!。

A 回答 (6件)

 えーとですね、何年も前にテレビ番組の中で涙の分析実験をやっていました。

 
 涙の中にはさまざまなストレス物質が含まれていると言うことでした。
 感情の起伏、つまり涙を流す原因-怒り、喜び、悲しみという感情は、脳から出る興奮物質とかストレス物質とからみあって起きるらしいです。
 で、その物質が過剰になると、それを減らすための作用=泣く、という作用によって余計な物質を排出するらしいです。
 だから、泣くと言うことは極端に言えば生理作用の一環じゃないですか?
 私もよく自信がない…ごめんなさい
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この回答へのお礼

こんばんは。kuwakochanさん。
涙には、ストレスなどに関わった、物質が混じってるなんて、今回初めて知りましたよ!!。
ちょっとびっくりしました~!。(^^ゞ
大変貴重な情報をいただきまして、kuwakochanさん、本当にありがとうございました!!。

お礼日時:2002/05/12 19:03

涙を流すという行為には「自浄作用」っていうのがあるんです。


まさに「洗い流す」という意味です。しかも自分自身で出来る方法です。
ひとしきり泣くと、「冷静な自分」が取り戻せたりもしますので
なかなかいい方法だと思います。
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この回答へのお礼

carlton1967さん、こんばんは。
(お礼遅れてしまって、すみません。)

そうですね。涙を流すことって、自分自身でなんとか出来ることですよね。
そうすると、下手に我慢してないで、泣きたい時には思いっきり泣いた方が、
身体にも精神的にも、大変良いのかもしれませんね。

>「冷静な自分」が取り戻せたりもしますので

たしかに、仰るとおりだと思います。自然に、我に返りますもんね。
これからは、一人の時は、思いっきり泣こうと思います!笑(^^ゞ。

carlton1967さん、大変貴重な話を聞かせて頂きまして、本当にありがとうございました!。

<みなさんへ>
実はこの質問をするのはとてもためらったんですが、みなさんからたくさん貴重な回答を寄せて頂いて、本当に嬉しく思っております。
そして、僕が思う「泣く」という意味ですが、たまたま2,3ヶ月前に、NHKの「視点・論点」という番組で、この字について話してたのを見たんですよ。
それは女性の方だったんですが、
「『涙』という意味は、涙を流して自分に“戻”る、我に返る。
そして、『泣』という意味は、泣いて、また“立”ち上がる。」
というようなことを語っていました。
今でもとても共感してますし、僕はこれが一番のお気に入りです。
みなさん、回答して頂きまして、本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/05/24 20:37

>『涙』や『泣』という字の意味なんか


これは僕の守備範囲ということになるのでしょうか(漢検取得者)。お答えしましょう。

『涙』ですが、これは「戻」の部分には意味はありません。ただ「ルイ」という音を借りただけのものと考えられます。
しかし、言い得て妙なのは、涙というのは、何粒か落ちるものであるということです。
(一滴だけ落ちることもあるんですが、一度っきりでもう絶対に涙しないということはありません。「涙くんさよなら」などは文字からして嘘っぽいです)
だから、一生のおつき合いをするものなんですね。涙って。

「行春や鳥啼き魚の目は泪」というのは奥の細道の最初の方にある句ですが、この『泪』も「なみだ」という読み方をします。これは、見た通り目の水ですね。これも音読みが「ルイ」なのは意外なところです。
ところで、やはり涙は春に似合うかもしれませんね。卒業・入学、そして花粉症。

ボロボロこぼれる涙に対して、ひとすじつうと下るのが、『涕』です。これも「なみだ」と読みます。次第に下るという意味がつくりにこめられていますが、形成文字であり、音読みでは「テイ」です。「涕泣」とか「涕泗」とかいう表現があります。『泗』にも「なみだ」の意味がありますが、それよりも「はなみず」の意味が強いですね。
泣き終わると、「なみだ」か「はなみず」かわからなくなることがよくあると思いますが、おそらくその感覚だろうと思います。

『泣』の他にも「なく」と読むのは以下の文字です。
『哭』:口2つと犬。これは人の死を悲しんで獣のように大声でなくこと。
『欷』:むせびなくこと。希望が欠けるのではなく、キーキーなくという解釈もあるらしい。
『喞』:なげく、かこつ、の意味。なんと「喞筒」で「ポンプ」と読む。
そして、『泣』の意味ですが、これは「水」+「立」であり、この「立」は大地にたつ人、を意味することが辞書を見てはじめてわかりました。要するに人が流す水→なみだ(を流す)ということらしいです。他の液体には他の漢字がありますからね。(例:「尿」)
この文字からも学べることがあると思います。「泣くことは人間の特権である」と。もちろん他の動物にも感情はあるでしょうが、涙を出す動物というのは人間だけだ、という漢字作成者の意図があるんだと思います。魚の目に浮かんだ泪はそれだけに見立てとしての味があります。

ここまでは文字の上の話。ここからは僕の経験上の話です。

僕は子供の頃非常に多感だったので、よく泣きました。徳光さん並みに泣いたと思います。こういうのを文学的な言い回しをすると、「滂沱と涕泣する」なんてなことが言えるのでしょう。

今はそのせいで落ち着いたのかというと、どうやらそんなことはないようです。涙というものは絶対に枯渇しないものだな、というのが僕の感覚で、涙腺が前よりは強くなった今でも、やはり落ち着きのある人間では決してありません。むしろ、前の方が「涙にはストレス物質が含まれている」ということを書いていますが、逆に涙を流さずにストレスをためこんでいるのかもしれませんね。

ここで一段落だけ脱線しますが、「女の涙は武器だ」ということを言った人がいますよね。涙=ストレス物質であるなら、女が涙することは、男に対してでなくストレスに対する武器と見なした方がいいのではないかな、とふと思いました。これが性差別発言だと思われた方には申し訳ないですが。むしろストレス処理能力がある女性はいいな、と思ってしまいます。でも、フランスのジャック・オーベルディという人は「女の涙は男の心にカビを生えさせる」ということを言っていますし、やはり男が対象なのかな。

そんな僕でも、ある極短編だけはいつ読んでも涙が出てきて、ついつい嗚咽が止まらないものがあります。芥川龍之介の「白」というものです。ここで僕が話しても伝わらないかもしれないのですが、筋だけでも書いておこうと思います。
犬の白はある時、隣の家の犬(黒)が犬殺しに狙われているところを目撃しました。臆病者だった白はその黒が捕まるのを見捨てて逃げてしまいます。ところが、家に戻ると、家の人は白のことをどこの犬だろうと言います。驚いたことに白の全身が真っ黒になってしまっているのです。飼い主の家を追われて黒くなった白は、どこを見ても映る自分の黒い姿に精神をかき乱されます。姿を映すもののないところまで逃れたところで、泣き叫ぶ犬の声が聴こえます。その声に黒の鳴き声を思い出した白は、一瞬逃げようとしますが、その声が「臆病者になるな」と鼓舞するようにも感じられ、その泣き叫んでいた犬をいじめっ子から救い出します。その犬との会話で「白と云ふのは不思議ですね。をぢさんは何処も黒いぢゃありませんか?」と言われ、胸が一杯になりますが、「それでも白と云ふのだよ」と答え、去っていきます。その後の白の善行が短くまとめられ、最後に身も心も疲れ切った白は、元の家に戻ってきます。空の月に対して「黒い自分を殺したくなったにもかかわらずどうしても死ぬことができない。苦しさのあまり自殺をしようと決心したが、心残りは飼い主の顔を一目でも見たいということです。お月様、もう一度飼い主に会わせて下さい」と独白します。翌朝、「お父さん! お母さん! 白が又帰つて来ましたよ!」という言葉を聞き、気づくと自分の身体が白くなっています。

この超短編、こんな長々と筋を書いたらほとんど何もないように思われますが、僕がやむをえずカットした良い部分もあるので、できればぜひ一読を勧めます。この作品は小説性よりも物語性の方がむしろ強いかもしれません。物語というのは「救済」という予定調和が当たり前となっていたりする類のものですが、この突然黒が白に変わるという「デウス・エクス・マキーナ(戯曲などで、最後に登場して主人公の難局を解消してしまう機械仕掛けの神)」のしらじらしさにもかかわらず、僕は涙してしまうのです。ひそかに小学生か中学生の国語か道徳の教科書に載せてほしいものだな、と思っていまいます。決して子供だましではないと思うのですが。
もちろん、こんなもんは個人差ですけどね。それよりかはよっぽどタマネギをみじん切りしていた方が泣けるという人もいるかもしれません。

人間は誰でも、「涙の数だけ強くなれる」という、「酔拳」ならぬ「涙拳」の使い手なんじゃないかなぁ、というのが僕の考えです。もっとも、年を取ると涙もろくなるとは思いますが。これは涙腺の機能低下のせいでしょうね。

あなたがいるから頑張れます、という言葉も込みで、今回は求めていることより主観が多すぎるので、自信なしですね。
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この回答へのお礼

nabayoshさん、こんばんは。
お礼遅れてしまってすみません。

>だから、一生のおつき合いをするものなんですね。涙って。

『涙』というものに対して、そういう見方もあるんですね~。
これは初めての感覚です。

『涙』の種類もそうですが、『泣』の種類も結構あったんですね。
『泣』、『哭』、『欷』、『喞』など。
特に、この『哭』とい字は、とても印象的でした。。。
人の死を悲しんで泣くという『哭』、こんな字も存在してたんですね。

>そして、『泣』の意味ですが、これは「水」+「立」であり、この「立」は大地にたつ人、を意味する
ことが辞書を見てはじめてわかりました。要するに人が流す水→なみだ(を流す)ということらしいです。

感慨深いの一言に尽きます。。。

>僕は子供の頃非常に多感だったので、よく泣きました。

たしか僕も、小さい頃は、結構泣いた方だと思いますよ。

>涙というものは絶対に枯渇しないものだな、というのが僕の感覚で、

言われてみれば・・・、全く仰るとおりです。
だから一生付き合うものなんですね。。。

>逆に涙を流さずにストレスをためこんでいるのかもしれませんね。

全くそうだと思います。泣きたくたって、そう簡単に涙を流すことは出来なくなってきてますもんね。
だから、外に流す涙ではなく、他人からは絶対に見えない涙、つまり、内に涙を流しているのかもしれませんね。

>「女の涙は武器だ」について。
本当に悔しくて、胸いっぱいになって泣いてしまった涙と、
記者会見で発表し、泣くところにきてシナリオ通り感情を高めて泣き、あとはすぐケロっとしていた人がいましたね。
しかしまぁ彼の涙は、汚い涙でした。ちゃんと手洗ったのかな~?(笑)。

それと、nabayoshさんのお勧めの『白』という本ですが、今すぐというわけではないのですが、いつか、機会があったら読んでみようと思います。

>人間は誰でも、「涙の数だけ強くなれる」という

とても自信が付く言葉ですネ!。あとの言葉も、ひしひしと伝わり、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。
ここまでたくさん調べてもらい、また貴重なお話を聞かせて頂きまして、nabayoshさん、本当にありがとうございました。
心に染みます。。。

お礼日時:2002/05/23 23:29

こんにちは。



皆さんがお書きになっているように、
泣くということは
怒りや、悲しみや不満やストレスの感情の高まりの結果として
おきる場合が多いですよね
(あくびをしたり、くしゃみをしたりして涙が出るのは涙腺が押されるからですが)あるいは嬉し涙も、感情の高まりの結果ですよね。

特に怒りやストレスの結果として泣くのは、感情を出すことで、
ストレスを解消するらしいです。
http://www1.odn.ne.jp/k2/counsering/j/kougi/0112 …
によりますと、言いたくていえなかったことをカウンセラーに伝えたり(別にカウンセラーではなくてもいいんですけど)
泣いたりして、中にあるものを出して、すっきりすることをカタルシス(浄化作用といいます。)そして、自分の中で消化していくようです。

ここにも載ってます。
http://www2.famille.ne.jp/~nikiniki/cry.htm

ということでした。
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この回答へのお礼

UmenoMiyakoさん、こんばんは。

>泣いたりして、中にあるものを出して、すっきりすることをカタルシス(浄化作用といいます。)そして、自分の中で消化していくようです。

カタルシスって、今まで漠然としかとらえてなかったのですが、こういった浄化作用という意味だったんですね。
そして教えてもらったHPですが、「生徒指導で泣かせてから帰す・・・」と載ってましたね。
僕は、ストレスを溜めさせて泣かせるというより、感動させて泣かせる、という意味にとらえました。

大変貴重なHPを教えてもらいまして、UmenoMiyakoさん、本当にありがとうございました!!。

お礼日時:2002/05/13 22:31

こんばんわ。


ちょっと自信がないんですが、ソレって
「感情を開放(解放?)した」ッて事だと思います。

『泣いちゃダメ』とか『大丈夫なフリ』でなく、もう、
ワーっと気持ちを出しちゃえたから、落ちついた、
ってコトじゃないかな。。。

もんもんと悩んでいる時に、ふっと分かってくれる人がいたりすると、泣きながら、全部さらけだせたりしますよね。

カウンセリングの世界では(あまり詳しいわけではありませんが)
“答え”は自分が元から持っていて、でも気がついていなくて、他人に気持ちをさらけだし、きいてもらえることで段々にその“答え”に気付く、というような考え方があるようですよ。

だから、涙は心を落ち着かせる手段ではなく、
心を解放する瞬間のオマケ的なものだと思います。
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この回答へのお礼

oponnpoさん、こんばんは。

>もんもんと悩んでいる時に、ふっと分かってくれる人がいたりすると、泣きながら、全部さらけだせたりしますよね。

自分のことをわかってくれる人がいると、何でも話ししたくなっちゃいますもんね。
たった一人でも、そういう人がいてくれれば...

>「きいてもらえることで段々にその“答え”に気付く、というような考え方があるようですよ。」

他人と話すことによって、これはそうだなとか、いやこれはちょっと違うなとか、いろいろ考えることが出来るので、
それで自分のことがわかってくるというのは、ホントありまかすからね。

>「だから、涙は心を落ち着かせる手段ではなく、
心を解放する瞬間のオマケ的なものだと思います」

オマケ的なもの・・・。
というと、涙って心を開放した人、心が動いた人の証になるのかもしれませんね。
だから、『感動』すると自然と涙が出ちゃうだな~

貴重なご意見を聞かせて頂きまして、oponnpoさん、本当にありがとうございました!!。

お礼日時:2002/05/13 22:18

一般に、「出す」ものは気持ちがいいと言われています。

うんこなども、したくなったときに、近くになくて、ようやく見つけたトイレで出すときの気持ちの良さとともに、気持ちが落ちつきます。おしっこでもおなじです。
精液でも、睾丸に貯まってくるとそわそわしますが、出してしまうとスッキリとして、気分も落ちつきます。鼻水でも、同じでしょうし、サウナで汗をかくのも同じように思います。
体から出すものには、癒しの効果があるのかも知れません。
何かの本か雑誌で、このような説を読んだ記憶があります。

よく、何を食べようかと、毎日、思案していますが、そのときは、古代だと狩猟にいくのとパラレルです。現代だからこそ、ゆったりとお酒とともに食べたりして、気分が落ちつくように感じられますが、キャンプなんかにいって飯を食べるときは、気分が高揚しているはずです。

ただ、専門的なことは分かりませんが。
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この回答へのお礼

仰るとおりですね~!。身体の中にたまったものを外に出すことって、ほんとスッキリしますし、
もう「助かった~」って、言ってもいいぐらいです!!。
ある意味、毒みたいなもんですしね。

>体から出すものには、癒しの効果があるのかも知れません。

今、改めて、そのとおりだと思いました。
だから泣くことだって、我慢してばかりいれば、身体を壊してしまうかもしれませんね。
泣きたい時には、泣こうかななんて、つくづく思ってきました。
(現実にはそんなわけにはいかないですけどね。)

大変貴重な回答をして頂きまして、jun95さん、本当にありがとうございました!!。

お礼日時:2002/05/12 19:16

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