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よくあるような課題ですが、故事を学習心理学の立場から述べよとの課題がでました。下記のようなものです。
「馬を水辺に連れて行くことは出来ても、水を飲ませることは出来ない」←これを学習心理学の立場から論じろ

故事のことは調べましたが、学習心理学の立場からというのがネックになりどのように論じていいのかわかりません^^;
なにか対策はありますでしょうか?

A 回答 (7件)

ことわざが正しいという前提での回答が多いようですが,


批判的立場から論じても良いのではないでしょうか?

というのも
行動分析の視点から考えると水を飲ませることだって可能ですから。
そのためには水分補給を一定時間断てば良いのです。
このような手続きは確立操作(establishing operation)と呼ばれます。
実際,私はこれを生活の中で実践しています。

わが家の犬(ラブラドール・レトリーバー3歳♀)は
夜中に1時間半ほど私と散歩するのが日課ですが,
帰宅すると足を洗う代わりに一緒にシャワーを浴びることにしています。
この犬種は一般に水浴びが大好きなのですが,
わが家の犬はどういうわけかそれほど好きでないようです
(水に飛び込むという行動のオペラント水準が低い)。
そこで脱衣所から浴室に犬を誘導するのに
蛇口を開けて浴室の床に水を流し“water”とか“お水”とか声をかけて尻を押していました。

ところが
あるときから散歩の後半で水分補給をせずに帰宅するようにしたところ,
声かけや尻押しを待つまでもなく
水を流すだけで自ら進んで浴室に入って水を飲むようになったのです。
そのタイミングを見計らって私も浴室に入りシャワーを浴びます。
犬は飛沫を浴びながらおとなしくおすわりして自分の番を待っています。

わが家の犬の場合,水分補給を断つという確立操作なしには
水を飲ませるどころか水辺(浴室)に連れて行くのも難儀になるということです。
現実にある事例として引用していただいてかまいません。
もっとも
ことわざ本来の意味から逸脱したこのような批判的論述は
採点者の注目を引きやすいとは思いますが,
評価が高くなるか低くなるかは賭けですね。

参考URL:http://www.douaikai.com/ronbun/machinato1.htm
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可能要因と不可能要因を織り交ぜてみては?

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#5です。



確立操作に関するわかりやすい事例が
某大学応用行動分析学ゼミのブログに掲載されていました。
人を水辺(学食の自動販売機)に連れて行き水(冷たい缶コーヒー)を飲ませる話です。
参考まで。

参考URL:http://simamune.cocolog-nifty.com/narutoaba/2006 …
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学習心理学では、「動機付け」の視点から捉えるのが良いと思います。


動機付けには、外発的動機付けと内発的動機付けの2種類があります。

http://www.chs.nihon-u.ac.jp/pe_dpt/mizuochi/spo …
http://www.i-partner.co.jp/03column/column07.html
http://www.s3wam.net/mental-health/glossary/gl_x …

これを具体的に掘り下げるには、例えば、「日本型教育」と「アメリカ型教育」の違いを考察すると面白いと思います。

(1)日本型教育: 減点法(悪いところを矯正する。集団主義的。)
(2)アメリカ型教育: 加点法(良いところを伸ばす。個人主義的。)

http://eishun-4119.at.webry.info/200608/article_ …
http://www7.airnet.ne.jp/jaa/jaa-hegl_jhs/annai/ …
http://tmin.ac.jp/fukyu/news/2000/180/news180a.h …
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たとえば、


手綱を引かれたら引かれた方へ移動しないと叩かれる、などの
「損か得か」という事柄は学習できても、
「快・不快」に関する本能的欲求を学習によって制御することは難しい、といったような観点から論じれば面白いのではないでしょうか。
#2さんご指摘のような、人間同士の関係に敷衍して展開するとさらに良いレポートになるかもしれません。
 
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こんにちは。



この馬が「学習」することができるのは、人間との関係・人間に対する感情だと思います。
人間に導かれて歩く安心感を学習し、人間との信頼関係を作ることはできるけれど、
人間が、馬に、「のどが渇いた」という「不満」を発生させることは不可能ですし、
「水が飲みたい」という「欲求」を発生させることも不可能だと思います。
それは、その馬の中に、自然に発生するものだからです。

子どもを、午後8時に、布団に入らせることはできますが、
私の意思で、子どもを眠らせることはできません。
「眠い」と感じるのは、子どもだからです。

子どもに、「ありがとうは?」「ごめんなさいは?」と要求すれば、
その通りの言葉を発することはできると思いますが、
それだけで、子どもに「感謝の気持ちを表現したいという欲求」を発生させたり、
「謝罪の気持ちを表現し相手の怒りを受け取ろうという気持ち」を発生させたり
することは不可能だと思います。
相手の好意に「喜びを感じ」「それを相手に伝えたいと思う」のは子どもですし、
悲しみや痛みや怒りを持った相手と、また仲良くしたいという欲求を持つのも
子どもだからです。

自分に対して「勉強したいという欲求」を発生させようとか、
「善をほどこしたいという欲求」を発生させようとするのも至難のワザだと思います。
他人に対しては、なおさら・・だと思います。
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水を飲む=習得する、とすれば、強制しても習得させることは


できない、という心理でよいのではないでしょうか。
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