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生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
という言葉がありますが、これは、日本の将兵のみに教育されたものなのでしょうか、それとも、日本国民にも公の機関(役所や国民学校,または軍など)から教育されたのでしょうか?

A 回答 (3件)

『軍事板常見問題』より


http://mltr.e-city.tv/index02.html
「第二次大戦 アジア・太平洋方面FAQ」から
http://mltr.e-city.tv/faq08c.html
【質問】
「NHKアーカイブス」見て思った質問。
日本軍では「生きて虜囚の汚辱を受けるべからす」と指導されてきたが、実際にはそういう状況で自決した奴は余りいないって聞いたけど、それ本当?
http://mltr.e-city.tv/faq08k02.html#00310

【回答】
 戦陣訓は存在として知ってはいても、読んだことがないっていう軍人もいた。
 昇進試験にでるのは軍人勅諭であり戦陣訓なんて『幹部候補生検定問題』くらいにしか出ないし。

 とある戦車兵は、
「一大臣ごときが道徳を制定するなど、神にでもなったつもりか」
と、この戦陣訓を批判している。

 また、火野葦平にも、それを裏付けるような記述がある。
 私たちが兵隊になつて、戰場に送り出されたときには、
「どんなことがあつても捕虜になるな。捕虜になるくらゐなら、舌噛み切つて死ね」
と訓誡された。
 そして、戰爭中、敗戰によつて眞相が暴露されるまで、日本兵には一人も捕虜がゐない、といふことがまことしやかに宣傳されたのである。

 しかし、兵隊として各地を轉戰した私は、多くの戰友が捕虜となつて敵軍中にゐることを知つて居り、戰場では捕虜たるべき状態は不可抗力であることも知つてゐた。
(「バタアン死の行進」.小説朝日社.1952/10/5.P24)
 特攻生き残りのつまり海軍航空兵だったおじいさん(エンジントラブルで着水⇒漁師に助けられる⇒終戦)に聞いたら、曰く、当時は読んだことはなかったが、それでみな死んでいったわけではない。
 戦陣訓によらず、国や家族を護るためならば死を厭わないというのは普通の考えであったし、それが侍だと思っていた、ということでした。

 もっとも、「戦陣訓」が全く影響を与えなかったというわけではなく、例えば1空事件のような悲劇も起きている。

1空事件
http://mltr.e-city.tv/faq08f02.html#07809
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>『軍事板常見問題』より



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http://mltr.free100.tv/index02.html
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この回答へのお礼

皆さんご回答ありがとうございます

お礼日時:2007/04/29 11:55

今、たまたま、図書館で、借りた関連の本があるので、詳しくないながらも、答える気になりました。


まず、軍部が、周知徹底するには、言葉の壁があります。
ウチナー口(沖縄弁)は、今でもそうですが、何を言っているのかわからず、ヤマト言葉を話せないお年よりもいます。
軍部は、ウチナー口を完全に禁止して、言葉の通じる村長などの立場の人にきつく、言い渡しています。
学生には、先生を通じたり、直接伝えます。
軍部には、琉球人に対する差別感があり、ふるまいの酷かったことは、知られていると思います。
しらゆりの塔で、語り部さんから、直接聞いたのですが、飯上げという、食料運搬を命じられた女学生に「掃射があったら、身体を張って飯を守れ」といわれその通りにした女学生が何人かいたということです。
「飯より、お前等の命は、軽い」と言っていることにも、疑うこともせず、言われた通りに死んでいったということです。
教育としてではなく、琉球人の命の軽いことは、身を持って知っていたと思います。
投降の時、米軍に笑顔で手を振った「白幡の少女」は、死ぬときは、笑顔で死になさいとお父さんに教えられていました。
味方であるはずの日本軍の仕打ちがこんなにひどいのだから、さぞや米軍は、鬼か畜生であるとは、思い込んでいたと思います。
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