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第二次世界大戦中の南方での玉砕の悲劇を描いた、NHK-TV「ゲゲゲの鬼太郎が見た玉砕」を見ました。
この番組では、正式な玉砕命令があったわけではなく、
現地最前線の部隊長が玉砕を命令していました。
軍の正式な軍事活動で玉砕というものがあったのでしょうか?
それとも現地での自主的な玉砕があっただけなのでしょうか?
大本営は玉砕を容認していただけで、命令はしていなかったと考えてよいでしょうか。
番組でも触れられていましたが、玉砕などせずゲリラ戦をして敵を島に釘付けにしておく方が作戦としては利があったと思います。
玉砕を名誉の死と考えていたようですが、ゲリラ戦で死んでも名誉の死に変わりありません。
軍人の中で、強烈な滅びの美学が存在していたのでしょうか?
大楠公の名前が何度もでてきてました。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

ガダルカナルや、水木がいたニューギニアなどで


玉砕を行ったのは、戦闘継続が不可能な状況だったからです。
辻に代表される無能な参謀部のせいで、
前線への部隊への補給が全くなく、それでも戦えと命令されたため、
餓死するか、戦死するかの二者択一を迫られた結果です。
辻などはジャングルなら食べ物を探せばどこにでもあるかのような
馬鹿で無知な幻想を持ってましたが、
実際にはジャングルという土地は世界で最も痩せた土地の一つで
大規模な部隊が生活できるような環境ではありませんでした。
澱んだ水も汚染されているので、生水を飲んだ兵士達は
次々と下痢や赤痢を発症して衰弱死する有様で、
食べるものもなく、水すら飲めない現状では、もう降伏できないなら、
死ぬしかなかったのです。
ニューギニアはそいう状況になって戦死率が80%以上を超えたという
世界の戦史でも稀有の例となりました。

ガダルカナルとニューギニア戦線は、日本軍がいかに無能で
兵站を疎かにし、愚かなほど精神論偏重だったかという証拠といえます。
部隊の玉砕は自発的なものですが、辻から送られた軍の命令がそもそも
漢詩のような調子の抽象的なものだったり、実行不可能な攻撃命令だったりしたので、
前線の指揮官は、これは死ねという意味だと理解したのです。

ゲリラ戦をするには、戦闘地域と安全地域をもうけて
長期戦が行える環境があることが不可欠ですが、
日本軍の場合、そういう体制にもなく、住民の囲い込みも行われず、
ジャングル戦の訓練も受けていませんでした。
有名な小野田少尉は特務士官で、後方撹乱などを任務として
ジャングルでのサバイバル訓練を受けていたので長期の戦いに耐えられましたが、
通常の正規部隊では、そうはいきません。
彼らは火力支援下で銃剣をつかった肉薄攻撃を
基本戦術としていたので、そもそもジャングルの戦闘には不向き。
軍隊というものは、決められた戦術で戦うところで、
士官が軍の承認を得ないような戦い方を独創ですることはありません。
血の川決戦での大規模な万歳突撃を行わせるようなことは
全く馬鹿げていますが、士官は攻撃するならそれを命じるしかありませんでした。
少人数でならば抵抗を続けることも可能ですが、
兵団以上の規模ではゲリラ戦をするのは無理でしょうし、
沖縄の北部での戦闘のような陣地と遊撃隊とを組み合わせた攻撃になるはずです。
こういった防衛体制には事前の準備がいるし、土地勘も必要。
住民の協力も不可欠ですが、日本兵は略奪によって住民に嫌われており、これも望み薄。
特に長期戦なら水と食料がなくては話にならないわけで、
それがないという現状で、かつ本土からは攻撃を指示されたら、
どういう結果になるかというのが、ガダルカナルとニューギニアですよ。

名誉云々ということよりも、無理を命じられた結果といえます。
出来ないことをやれと言われたわけだから、
玉砕しろという命令のほうがまだマシだったわけです。
責任は100%軍の上層部にあります。
ガダルカナルやニューギニアの兵士達は信じられないくらいよく戦いまいした。
こんなに異常なほど戦死者が出た戦いはあまりありません。
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欧米では士官の死亡は味方の将兵の発砲によるもの。

が高かったそうですね。
ハリウッド映画でよく上官を撃つシーンを見たことはありませんか?


ちなみに第2次大戦まで、世界の軍隊の中で日本軍の発砲率は世界髄一。
士官の前線での戦死率も世界一。
日露戦争で見せた日本軍の統率力と攻撃力の高さは欧米を震撼させたほどです。
これほどまでに出来る軍隊があっさりと降伏・後退できるとは思えません。
別に滅びの美学は末期になってからでしょう。

兵士はここまで有能なのに、無能な上官を持ってしまった。
統率がとりやすい規模が小さく独立性が高い部隊ともなると日本軍は真価を発揮しましたね。

補給も無く物資も無く戦線維持命令はどーみても玉砕しろ!としか取れません。
しかし、無能な司令部は「玉砕は言ってない。」というわけですね。
特に人口の少ない地域なのに物資は現地調達。なんてあったそうです。
人間が住んでない地域で物資なんか調達出来ないのにね。
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[ガダルカナル] 作家 五味川純兵



[兵隊は、戦争の善悪を問わないとすれば、戦士であるから、戦って死ぬのは仕方がない。だが、何十日も飢える義務など、国家に対しても、天皇に対しても、ましてや将軍や参謀などに対して、負ってはいないのである。(中略)
後方司令部の参謀たちは、先遺部隊の生き残り達と同じ日数だけ飢えてみるとよかったのだ。そうすれば自分達が無能なくせに思いあがった作戦指導の非が自分自身の骨身にしみたはずである]


ここでいう、後方司令部参謀の無能というのは、首脳部が誰も[ガ島は奪回不可能なので撤退しよう]と、なかなか言わなかったことにもあるようです。

むろん最後には、日本軍はガ島を撤退しましたので玉砕とは違う話かもしれませんが、上陸した3万3千のうち、二万人が戦死、そのうち餓死などの戦病死は軽く1万人以上だったそうです。
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戦闘継続の為には十分な弾薬、兵器、食料、水、医薬品が必要です。


玉砕命令が正式にあったかどうかを論ずる前に、上記の用意が既に枯渇した状況の部隊に戦闘継続を命令する事は「死ね」と同一です。

日本軍には捕虜になることの想定はありませんでした。
ジュネーブ協定やハーグ陸戦協定などの存在、教育すらされていませんでした。
戦陣訓はそのような事態になれば「死ね」と教えていました。
日本軍に自決ないし強制された死が多かったのは事実です。
「死」は極限状態からの唯一の逃避手段だったのです。

強烈な「滅びの美学」などの存在などは特攻攻撃のような余裕がある場合に残されるしかありません。

命令がなくとも日本兵は強烈な敵慨心で勇敢に戦ったのです。
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>玉砕などせずゲリラ戦をして敵を島に釘付けにしておく方が作戦としては利があったと思います。



もちろんその通りです。
ですから日本陸軍も大戦末期になれば持久戦術を取り、出来る限り長期間戦うように指導しています。
激戦地として名高いペリュリュー島では1944年9月の米軍上陸以降、しぶとくゲリラ戦を続け、最後の部隊が投降したのは終戦後ですし、ルバング島の小野田氏など何十年も戦闘を継続した人物すらいます。
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http://archive.hp.infoseek.co.jp/senjinkun.html
これは、戦陣訓といいます。
将兵のための道徳書として作成されたものですが、その中の2の8に「生きたまま捕虜になってはならない」と書いてあります。
捕虜になったことがばれると、スパイ扱い(捕まって洗脳され、還ってきてスパイ活動をさせられると考えられた)され、親兄弟までは非国民扱い(軍が言い出したことではなく、周りの平民その物がそういう風潮だった)されます。
爆弾で意識がなくなって捕虜になっても同じです。

逃げたら敵前逃亡で死刑です。
本人は終戦まで逃げられても、親兄弟は非国民扱いで大変な苦汁をなめさせられます。
家族の誰かが捕虜になって非国民扱いされていても、又誰かが華々しく特攻でもして軍神になれば非国民からは解放されます。

命令があってもなくても兵士はそのような環境です。
今でこそキチガイ沙汰ですが、当時はそのようなものです。
周りを囲まれ、全滅するか降伏するかの選択を迫られれば、「じゃぁ最後の一花咲かすべぇ」となるのは必然となってきます。
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