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牟田口 廉也はなぜ、戦後は戦犯にされずに、平和に過ごせたのですか?

恨まれてる人から、襲われたり、殺されそうになったりはしなかったのでしょうか?

A 回答 (5件)

戦犯を裁いたのは連合国です。


連合国に対して罪悪をおかして人間が戦犯になりました。

たとえば、捕虜を虐待したことが欧米人の捕虜から報告されると
真偽をほとんど確かめずに虐待したとされる側はB,C級戦犯になりました。
A九千犯とは米英蘭に戦争を仕掛けた政治家、軍人が主です。

牟田口廉也はその政治家や軍人に使われていた人間です。
日本人は欧米人が想像していたよりもずっと勇猛で、欧米人は苦しめられましたが、
牟田口廉也の無能な作戦、指揮でかなり助けられました。
ですから、戦犯と言うよりも功労者として表彰されるべきものなのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:32

牟田口中将が苦しめたのは、連合国兵士ではなく帝国陸軍の兵士だったから


戦犯追及の対象にはならない

末端の兵士にとって軍司令官ともなると雲の上過ぎて、直接的な恨みにはなり得ない

少なくとも下級将校クラスにでもならなければ

下級将校は損耗率が高く生還した人も少ない

現地では確かに怨嗟の声が上がっても、戦後帰国してからも追い回すほど帰還兵は暇でもない
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:32

福沢諭吉さんは人間は賢くあるべきだと仰いました。



馬鹿な人間が上司になると部下は苦労します。
馬鹿なサラリーマン上司でさえ部下は苦労するんですからその馬鹿が生殺与奪権を持つ司令官になったらとんでもないことが起こります。
牟田口廉也みたいな馬鹿が愚かな指令を発し、結果的に多くの兵を死なせた事実は日本人として記憶にとどめるべきと思います。

教訓
馬鹿な奴に軍隊の司令官を任せてはいけない。

回答になっていなくて済みません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:32

こんにちは



牟田口中将は、A級戦犯容疑で逮捕され、シンガポールで裁判を受け、昭和23年に釈放されています。

戦後は、インパール作戦の反省の弁を述べ、昭和35年頃まで、敗戦の責任を強く感じて公式の席を遠慮し続けていました。

一転、その後死亡する迄の5~6年、自己弁護活動をし、インパール作戦の失敗は、部下の無能さのせいで失敗したとの自説を、主張していました。

自己の葬儀にも、遺言により、自説を記したパンフレットを参列者に対して配布させていました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:32

とんでもないリストラとか、追い出し部屋とかやってても、そういう会社の社長や元社長が襲われたって話はとんと聞かないでしょ?最終的にはそういうことなのだと思います。

リストラや追い出し部屋で人生や家族をめちゃくちゃにされた人は大勢いるでしょうし、自分の会社の社長の名前は社員なら知ってるはずですし、興信所を使えばどこに住んでるかなんてすぐ分かるし、日曜ともなれば犬の散歩で近所を歩き回ることもしているであろうにね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:32

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