織田信長の家系に苗字として津田を称する(一時期称した)武将が多くいます。
信長の兄・信広、弟・長利、子・勝長、甥・信澄、従兄弟・信成等々。
津田は織田の発祥縁の苗字(平家落人の伝承・母が近江津田家再婚し、子が織田剣神社の神官の養子となった)である事は存じています。

さて最近、書籍やネットの中でこの津田を苗字とする織田一族について
 「尾張国内で織田を名乗る城主の内、家格が上の嫡流家以外は津田に苗字を
  改めさせ、織田を名乗ることを禁じた」
と、紹介されたものも幾つかあります。
ですが、その出典についてはどこも触れておりません。

江戸時代の徳川-松平の様なものであるとも思えるのですが、徳川のそれのように
御三家・御三卿と言った明確な家系別にはなっていないようですし。   

実際に織田を称することを禁じた事を発布した文書は何でしょうか?
若しくは、それについて何らかの事が書かれた文献や日記などはあるのでしょうか?
ご存じの方、お見えに成られましたらよろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

文書などの文献で禁止令を見たことがありません。

たぶん無いのではないでしょうか。「織田嫡流以外は禁じた」というのは、状況証拠ではないかと思います。

織田信長在命時、織田姓だけだったのは信忠・信包・長益くらいでしょうか。決して嫡流だけではありませんね。

「織田信雄分限帳」を拾ってみましたが、織田姓は恐らく長益の「源五殿」だけでした(一万三千貫文)。津田姓は十二名(掃部・勝右衛門・三四郎・勝三郎・勘平・七右衛門・左近・上・孫十郎・小平次・清次・利助)。判読できる範囲で津田姓の最大は二千貫文。ご存じの通り源五長益は後に大名として独り立ちします。

信長在命時と信雄分限帳とに共通するのは、大名(万石?)級で他家に養子に出されていない者と嫡流です。江戸時代はどうなのか、さっぱりわかりませんが、これらから状況証拠的に「織田を名乗ることを禁じた」と言われるようになったのでしょうか。
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この回答へのお礼

>「織田信雄分限帳」を拾ってみましたが
あぁ、そういう事に全然気が付きませんでした。
参考になります。ありがとうございます。

ともかく明確な命令はなかったのでしょうね。
他家の名跡を嗣がせたり津田姓を名乗らせたりしていくうちに、「禁じた」かの様になってしまった。
と、いったところかもしれませんね・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/23 14:08

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