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 中学校の授業で調べているのですが、銀閣寺の銀沙灘について、つくられた年、目的などについて教えていただけたら助かります。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

銀沙灘は中国の西湖を参考にし、月の光を反射させる為に作られたとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待つ為に作られた、等の俗説があるようです。

作られた年は、分からないのですが・・・。少しでも参考になれば幸いです。検索時に「銀閣寺 銀沙灘」と入力すると、たくさんヒットします。
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http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/20/2032.htm・・・No.8参照。

慈照寺庭園の案内に拠れば『文明13年、足利義政によって造営』と書いてありますが、後で作られたものかも知れないという
意味では文明13年が正しいかどうかは判りません。

『美しい白砂敷に続く白鶴島の中島を持つ池泉と,銀沙灘と向月台の純白の砂盛りが見どころです。』と、簡単な感想文が書いて
ありますが、目的用途には触れていません。


古くから言われている説は、銀閣寺の【白砂】は他の寺より白いことにお気付きだと思いますが、附近の北白川の特に白い小粒の
石や大き目の砂を敷き詰めていて、白砂の反射で月の光さえも[書院]の中の天井板まで明るくするのだと言われてきました。

これは実用的な面からも考えられることですが、日本で初めての書院造りにそのような効果を考えた作庭技法があったとすれば
素晴らしく画期的なことだと言えると思います。

では【向月台】と名付けられた[砂盛り]は何を表しているのでしょう・・・それは予備の砂をもってあるだけと言う説から、
上賀茂神社の[拝殿前の盛り砂]の影響かという説もあり、いまだに簡単には結論を出す事は出来ないのです。
   http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/3858 …

上賀茂は神社ですから、盛り砂は神が降りて来る所の象徴として考えられ・・・
  『細殿前に盛られた、象徴的な三角錘状の盛り砂は神籬(ひもろぎ)でもあり、旧鎮座地の神山を模した「立砂」である。』
と言うように解釈されるのです。

そういう観点からは慈照寺と言うお寺の盛り砂とは結び付け難いのですが、造型としては共通点があると言えるでしょう。。。

また庭の場合は古い文書・日記などに作った年代が書き記されていても、後から[砂の庭][石の庭]にした場合もあるので
作庭年代を頭から信じてはいけません・・・特に禅宗の寺にはその様な例が多く、昭和になって出来たものも多いのです。
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