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『古事記』編纂の工程として、 稗田阿礼が誦習、太安麻呂が筆録とあります。筆録は「メモした」ということですぐに分かるのですが、誦習とはいったいなんですか? その編纂作業自体がイメージできません。おしえてください。

A 回答 (6件)

古事記原文はこうなってますね。


「時に舎人有り。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ廿八。人と為り聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す。即ち阿礼に勅語して、帝皇の日継及び先代の旧辞を誦み習はしめたまひき。」
さてこの「誦み習はしめ」とはどういう意味か、手元にある小学館日本古典文学全集「古事記」の注を見ますと、次のように書かれてありました。
 ”暗唱と解する説と古記録(帝紀や旧辞)の訓読と解する説がある。「誦」は節をつけて読む意、「習」は繰り返し慣れる意に用いられる点から、古記録を見ながら古語で節をつけ、繰り返し朗読する意に解すべきであろう。”
 当時の記録のほとんどは漢文だったわけですが、その漢文の記録を朗々と訓読する技術を持っていた人は少なかったのでしょうね。
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自分の想像でしかありませんが、現代の記憶術に通じる記憶法をとっていたので、手を触る、頭を触るなどの動作が「踊り」を思わせた?


のでは、ないでしょうか。
あの膨大な量をいかに、記憶に優れたとは、いえ、ひとりでは、無理だと私は考えています。
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「古事記」について後世の編纂と疑う人もいますが、


「太朝臣安萬侶」の実在が立証され確かでしょう。
「稗田阿礼」の実在も疑う人もいますが、私はいたと考えます。
ただ阿礼の口述をそのまま、安萬侶が筆録したのでは無いと思います。
安萬侶は編集者で阿礼はその助手。   当時の膨大な資料から関連する部分を抜きだし編集するのは、大変な作業です。
そこで記憶力抜群の阿礼にすべての資料を記憶させ、必要な事項を随時引き出し口述させた、つまり生き字引としたのでしょう。
これらを安萬侶が筆録したのち、整理加筆訂正して「古事記」が比較的短時日で完成という訳です。
すれにしても阿礼は神のように驚嘆すべき記憶力の持ち主です。
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みなさんのお話に補足的なことですが。

こういう、昔からの話を伝承する役は女性がよく担ってたそうで、稗田阿礼も女性だったのではないかという説も根強いようです。
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 「誦」とは声に出して読むこと。

誦習というのは繰り返し声に出して読みながら覚える(伝授する)事です。
 昔は歴史などの重要なことは代々の首長の間で口伝で残されました。覚えやすいように節をつけて歌のようになっていたようです。
 つまり稗田阿礼が歌うように読み上げる歴史を、太安麻呂が書き留めたということだと思います。
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 詳しい方が「違う」と言われたら、「あ、そうですか」と言う程度の知識です f(^^; が、高校の先生は「節を付けて物語り」と言ってましたよ。



 ご詠歌ではないですが、そんなような、軽い音程をつけて昔物語を語り、それを脇で筆記したんではないでしょうか。もちろん、その先生も、現場を見てきたわけではありませんが。
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