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以前から気になっていることなのですが、悪口と批評の境界線はどこですか?

自分以外の人に関することを話す時、どう話したら悪口にならないのか、よくわかりません。

例えば、「あの人、仕事するの遅いよね」と人に言う時、それは悪口、事実のどちらでしょう?
自分としては、事実を述べただけ、または批評したつもりでも、
言われた人のは悪口と受け取られてしまうこともあると思います。
そう考えていくと、他者に関するあらゆる事を一切口に出せないような気もします。

話題の内容にもよるし、話し方や聞き方、場の雰囲気など
様々な要素も関係しているのではないかと思いますが、
みなさんは、どのようにお考えですか?
例えば、悪口にならないよう心がけていらっしゃることは何ですか?
どうぞ教えて下さい。

A 回答 (5件)

直接本人にいえるなら、「批評」でしょう。


おなじ内容を他人・関係者にいうなら「悪口」。

どちらも、内容的にはある意味「客観的な真実」。
嫉妬などで偏向されている味方であっても、一部の真実は必ずある。

本人にいえない、いわない、あるいは、改善要求がないということになる。
己の鬱憤を晴らせればいいだけ。

ここだけの話ですが、私は「悪口」が大好きです(笑)。
直したところで大勢に影響がない、あるいは直せないだろうということ
鬱憤晴らしするのに「悪口・陰口」します。

おばちゃんなりに知恵つきましたから。
基本は本人はあまりほめませんが、裏ではほめる。

でも、直しようもないことも、
どうしようもないこともあるのです。
こういうときに適材適所で、できることは完璧に、
できないことは目をつぶる。

期待される働きをそれなりのポジションに居るならできなければならない。
できることが前提でそのポジションに居るのですから、それが自分で
わからない人は「悪口」いわれて当然です。
ありゃダメだと。
言ってわかる人には「改善提案」として、すでにしている。

上司が言われるのは、基本的には能力に問題があるから。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。

>どちらも、内容的にはある意味「客観的な真実」。
嫉妬などで偏向されている見方であっても、一部の真実は必ずある

は、確かにそうですよね。
「悪口」の中にこそ、自分の見えなかった本当の真実があるような気もします。

>期待される働きをそれなりのポジションに居るならできなければならない。
できることが前提でそのポジションに居るのですから、それが自分でわからない人は「悪口」いわれて当然です。ありゃダメだと。

全然できていないのに、直接本人に言っても、全く馬耳東風の人っていらっしゃいますものね。直そうと心がける気が皆無の方。
あと、できないくせに一方的に自分の考えばかり押しつけて、人の話を聞こうとしない人も。
そういう人には、言ってもしかたないので諦めちゃって、陰で悪口言うしかない、となる場合もあります。

>上司が言われるのは、基本的には能力に問題があるから。
その通りだと思います。上司だからなかなか直接言うことができませんから、やはり悪口になってしまいますよね。

悪口=愚痴の一部なのかもしれませんね。

お礼日時:2007/06/04 13:14

無い。

^^;というか、あえて「悪口」と「批評」に分ける必要も無いと思う。どちらも単なる「発言」。
面と向かって言えば悪口じゃないというのも何か違うと思うし、かと言って、「批評」だから相手が気分を害さないとも限らないし。
他人についてのネガティブな発言がそんなにそんなに悪いこととも思わないなぁ。
もちろん、人の悪いとこ挙げたくてしょうがないんだろうな、って人はちょっと遠慮したいし、ネットとかたくさんの人が見る様なとこに書く様な人もちょっとな…って感じですけど、「あの人仕事遅くってさ、参っちゃうよ」くらいのポロリ発言は全くしない人よりは多少ぶっちゃけてくれる方が人間味があっていいんじゃないかなぁ。…って、私が性格悪いだけかもしれないですけど^^;
悪口(広い意味で)言ったこと無い人はいないと思いますよ。聖人君子じゃあるまいし。言いたくて言ってる人はそんなにいないと思いますけど。
「自分も完璧じゃないし、人の悪口はなるべく言わないようにしよう」という心がけで十分だと私は思いますよ。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
人間関係って難しいと思います。特に、相手に関わる事柄について話す場合、
思いとは違う解釈されてしまう事も多いですし。
確かに、これまで一度たりとも全く人に関して批評したことのない人は、いないですよね。
いるとしたら、逆にどういう精神構造をしているのかと、気になります。
人に対して無関心すぎるのも考え物ですしね。
そう考えると、良い悪いは別にして、人間らしさの一部かもしれませんね。
>「自分も完璧じゃないし、人の悪口はなるべく言わないようにしよう」という心がけで十分だと私は思いますよ
私も、あまり堅く考えすぎないで、そう考えるようにしようと思います。

お礼日時:2007/06/04 13:01

悪口と批判は同じです。


悪口を言う側の言い訳としかありません。

批判している人に対して(はたから聞いたら悪口に聞こえてる場合)、
“悪口を言うのは止めなよ”というと、
「悪口を言っている訳ではないのよ?」と言い返されます。
これが事実です。

しかし、本人に対して
「○○は、不味いんじゃない?」と堂々と言える批判なら、
それは批判になるでしょう。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
その場にいない人に関する事実=悪口=愚痴のような気がしますので、
本人の目の前でも言えるかどうか、という基準に納得です。

お礼日時:2007/06/04 12:55

「意味のない批評」=「悪口」。



>「あの人、仕事するの遅いよね」と人に言う時、それは悪口、事実のどちらでしょう?

例えばこれが職場改善や人事考課における会議での発言だったりしたら
それが「事実」なら、正当な「批評」になり得るでしょう。
でも、本人不在の場所で茶飲み話のネタにでも言ったとしたら
例えそれが「事実」だとしても、「悪口」になるでしょうね。

>悪口と批評の境界線はどこですか?
発言に「発展性」があるかないか、でしょうかね。

批評とは、何の為にするものでしょうか?
物事をより良く改善していく為だと、私は思いますけれど。
前述の例で、
「仕事するの遅いよね」で、
じゃあ効率が良くなるようにするにはどうしたらいいか?
まで話がいくようなら「批評」だし、
「ホントにそうだよね~」で終わって
言われている人を嘲笑っているようなら
「悪口」以外の何物でもないですね。
そんな会話、全く意味ないですもん。

>悪口にならないよう心がけていらっしゃることは何ですか?
「他人に関するネガティブな話題は
 必要性がなければ触れない,口にしない。」です。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
「発展性」の有無という基準は、参考になりました。
確かに、直接相手に向かって直してほしい点などを告げる時には、
発展性を目指しているような気がします。
どちらかと言うと、率直に飾らず口にするタイプで、
つい人の長所も短所も思ったまま口に出してしまいやすい人間ですので、
いろいろと気をつけようと思います。

お礼日時:2007/06/04 12:51

境界線は言われた人ごとに異なるので何とも言えないのでは?



ちょっと違うかもしれませんが、どこかのカウンセラーの方が
「いたずらか、それともいじめであるかを判断するのは周りの人間ではなく、それを受けている本人だ」
とか言われてました。

あと私が気を付けている点としては、なるべくいい方にとらえてあげることですかね・・・

あまり参考にならなくてすみません。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
受け取る側のこともありますし、難しいですよね…
相手の良いところしか見ないのは、理想的ではありますが、
現実としてなかなか難しいような気もします。
心がけてみるようにします。

お礼日時:2007/06/04 12:46

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