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フロイトの「エディプス・コンプレックス」は精神分析の発見の中ででもっとも有名で、重要なものであると習いました。

そこで、エディプス・コンプレックスは精神分析学において、どのように重要なのですか?幼児はこのような母親を確保したいという感情を本当に抱くのでしょうか?

精神分析全般に言えることですが、こう考えれば全てうまく説明できるといったものの言い方で、悪く言えば、屁理屈のようで、いまいち納得できないことが多いです。

だからといって、人間の精神を客観的に証明なんて出来るとは思いませんが。。

A 回答 (6件)

専門家でも経験者でもありませんが、感想として少し述べさせていただきたいと思います。



>エディプス・コンプレックスは精神分析学において、どのように重要なのですか?
:コンプレックスというのは直訳すると「錯綜」「複合」とかいう意味になるようです。
たとえばマザコンは、現在の恋人の印象と過去に体験した母親の印象とを錯綜している男性を表現した言葉になるわけです。
無論、本人はそんなことを意識しているわけではありませんが、恋人の女性からすれば母親代償としての役割を求められる(と感じる)わけで戸惑ってしまいます。
そのような男性に対して、自分が庇護すべき女性に、庇護されたい母親像を求めていたことを気が付かせるのが精神分析の手法と言えるように思います。

エデイプス王は赤ん坊のときに、「この国に災厄を招く」という予言を真に受けた父親によって隣国に捨てられるのですが、成長後に隣国でも同じ予言をされます。
怖れをなして自ら隣国(本来の生国)に逃れるのですが、そこで(それとは知らず)実父を殺して実母と結婚することになります。
後に真実を知り、罪過を償うとして自分の目をくり抜いて盲目になり、娘であり孫でもある女性に手を引かれて諸国流浪の旅に出るという世界3大悲劇の主人公です。

この作品は、エディプスが自分の罪過を知らず国内にはびこる不幸や災難の原因を捜し求めているうちに、実はその原因が自分自身にあったことを発見するという構成になっています。
これは分析者が患者自身の気付かぬ心理的病根を分析し解明する手順に酷似している上に、幼児が両親に対する態度が象徴的に描かれた作品であるとしてこのように名づけたようです。

ただ、これはあくまで象徴であって、幼児がこのような性的関心を意識的に抱くと言っているわけではありません。
フロイトの本旨は、男児が父親に対する尊敬と反抗、母親に対する愛着と(近親相姦を)忌避する無意識的心理葛藤を経て精神的な高みに昇華していく、つまり超自我の確立に男性としての人格の確立があると説いたのだと思われます。
父親が尊敬できるような人格を持ち、且つ乗り越えるに価する強い存在であるのが理想であると共に、子供に愛着を感じさせない母親が理想とは言えないことは確かではないかという気がします。

フロイトは当初、ヒステリー患者の治療に当たっているうちに無意識と呼ぶべきものの存在に気付き、そこには性的傾向が強く潜在していることを見抜いて、それをリビドーと名づけたわけです。
パラノイア(偏執狂)という機能障碍には、性的本能だけでは説明ができないとしてリビドーを心理エネルギー全般と定義し直したのがユングでしたが、これは概念を拡大したのであってリビドーにおける性的要素を否定したわけではないと私は理解しています。
「音楽の起源が性にあるのは明白だが、音楽を性欲そのものだというのはおかしい」とユングは述べていますが、それを裏付けていると解釈できるでしょう。

フロイトは勇気ある水先案内人であったために、ある意味では強引に進んだという面はあるでしょう。
反発にせよ分岐にせよ、その切り拓いた道筋を元に多くの優秀な弟子たちが輩出していったわけです。
門外漢なので詳しくは知りませんが、修正すべき点は修正し、新たな視点が加わりもし、精神分析学も変容を遂げてきているのではないかと思います。
フロイトのみに無闇に心酔するのもどうかと思いますが、矢鱈に忌避したり頭から否定するだけなのも、精神や心の問題が未だ解明されていない以上適切な姿勢とは思えません。
心や精神の全てを秩序立てて説明できる学問というものは、私が知らないだけかもしれませんが未だ確立されていないように思います。
いずれ脳科学で全てを説明できると思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、心理的仕組み(how)は明らかになっても、その本質(why)まで解明することが可能かどうかはまた別の問題と捉えておくべきでしょう。
心理学を専門にされる方には特に、柔軟な精神こそが求められているような気がしています。
 
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自分はエディプスコンプレックス感じたことがあります。


これは分かりにくいのかもしれません父親が弱いとかそういう家庭
とかだとまた分かりにくいのかもしれません。
父親を殺そうとまでは思いませんが父親が帰ってきたときに気持ちが変化しましたね。
ありませんか?
たとえばいままで騒いでいたのが父親が帰ってきて静かになったとか
あれですよ。ちょっとフロイトは大げさすぎるんでしょうけどw
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ジークムント・フロイトがエディプスコンプレックスにこだわったのには


個人的な生育歴が影響しているという説があります。
彼を育んだアシュケナジム(東欧のユダヤ人)文化の影響も指摘されています。

#2さんが紹介してくださったオイディプス王の物語の語られていない部分,
ちょうど父親殺しと母親娶りのあいだに,
スフィンクスの謎(朝に四つ足,昼に二つ足,夕べに三つ足のものは何?)を解いて退治する
有名なエピソードが挟まります。

フロイトは人間精神の謎を解く自身の姿を
スフィンクスの謎を解くオイディプスになぞらえていたとも言われ,
弟子たちから送られたオイディプス像をことのほか大切にしていたそうです。

エディプスコンプレックスは精神分析理論の核心的概念であり,
言うなればフロイト神社の御神体みたいなものです。
御神体の意義を疑うのは不信心というものです。
アルフレート・アドラーやカール・G・ユングをはじめとして,
エディプスコンプレックス信仰を受け容れられずに精神分析から離脱した者は数知れません。

母系制社会にエディプスコンプレックスのような心性は認められないとする
文化人類学者マリノフスキーによる報告を筆頭に,
エディプスコンプレックスの通文化的普遍性については
かなり早い時期から疑義が唱えられていました。
が,このような「異教徒」からの批判は
自我防衛機制のためか信心深い人たちの耳には届かなかったようです。

精神分析の布教が成功したとは言えない日本においては,
父親殺しに代えて心理的母親殺しを問題にする古澤平作の「阿闍世コンプレックス」論,
エディプス的葛藤以前の口唇期固着に日本人の心性の根を求める土居健郎の「甘え」論など,
精神分析家自身がエディプスコンプレックスを重要視していないようにも見えます。
フロイトを差し置いてユングの理論が大衆的人気を博しているのも
エディプスコンプレックスが日本文化に馴染まなかったことの帰結かもしれません。

エディプスコンプレックスをめぐる論争の経緯については下記の書籍に詳しく紹介されています。
ただし精神分析の大まかな歴史と理論の概要を頭に入れてから読んだほうがいいでしょう。

■エディプス・コンプレックス論争/性をめぐる精神分析史
 妙木浩之(著)
 講談社選書メチエ 


ここから先は質問の主旨から外れますが,
世人の誤解を解くためにあえて書いておきます。

精神分析は一貫して心理学アカデミズムの外部で生まれ育ったものです。
欧州の医学界や心理学界からはほとんど無視されていた精神分析は
スタンレー・ホールら20世紀初頭の米国の心理学者たちにその価値を認められたことから
学問として世に受け容れられる機会を得ます。
そして20世紀前半の心理学が精神分析から大きな影響を受けたことは事実です。
なかでもハルに代表される新行動主義者たちは
精神分析の知見を学習理論の文脈に移植する努力を積み重ねながら自らの理論を補強し,
心理学の主流派として君臨していたわけです。

しかしながら心理学者は精神分析に見切りをつけるのも早かったのです。
米国の精神医学界で力動精神医学(=精神分析的精神医学)旋風が吹き荒れていた1950年代,
すでにマウラーやアイゼンクによる理論と実践,両面からの精神分析批判は始まっており,
学習理論の臨床的応用としての行動療法という果実を生みます。
またカール・R・ロジャーズの来談者中心療法,アルバート・エリスの合理情動療法など,
精神分析に飽き足らない臨床家たちによる新しい試みも始まっていました。
米国の精神医学界が精神分析からの離脱の態度を明確にしたのは
1970年代以降のことです(その象徴がDSM-III)。

精神分析が心理学の主流派になったことなど歴史上一度もありません。
また心理学は医学ではないので「患者」を「治療」したりしません。
フロイトまがいの理論を振り回してクライエントを振り回す
カウンセラーまがいはたしかに実在するかもしれませんが。
アンナ・フロイト,メラニー・クライン,エリク・H・エリクソンといった
非医師による多大な理論的貢献にもかかわらず,
パパフロイト以来現在に至るまで
精神分析家資格はほとんど医師によって独占されてきたことをお忘れなく。

フロイト神社の信徒ではない多くの心理学者にとって
エディプスコンプレックスは
秘法館に陳列された「人魚のミイラ」みたいなものです。
それ自体を研究対象にすることは可能だとしても,
研究の根拠にすることなどありません。
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この回答へのお礼

精神分析の学問的立場を教えていただき、ありがとうございました。

精神分析が今の心理学に影響を及ぼした事があっても、主流になったことはないんですね。

ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 09:05

フロイトは、本来人間は快楽原則に従って生きる本能的な


生き物であるとし、性的エネルギーの発達に影響を及ぼす生育歴が、
その人を左右するとしています。これは精神分析療法だけではなく、
子どもの発達段階を科学的に考察しようという
新しい視点の基本にもなっており、
発達心理学のほかにも教育学にも影響を及ぼしています。

子どもが発達段階で快楽をうまく満たせないと、
その経験が「無意識」へ抑圧され、成人すると神経症や
問題行動などの形で現れるとしています。
性的エネルギー・快楽といっても、子どものそれは
授乳・トイレといったもので、異性の親への感情
(エディプスコンプレックス)もその中に含まれます。
つまり、子どもの発達段階における課題と、
課題の乗り越え方で形成されるパーソナリティの関係性に
新しい考察の視点をフロイトは見出したわけです。

近代社会になるまでは、子どもの発達とその課題という視点どころか、
「子ども」という概念が「小さな大人」と理解される程度だったので
幼児期の健全なあり方を検討しようという視点、
発達に段階があるという概念は比較的新しい学問ですね。
発達段階の途上にある子どもから客観的なデータが
得られるかどうかという議論も、実は20世紀に入ってから
始まったことであり、幼児の異性の親への独占欲についても
客観的な検証はまだこれからではないかと思います。

精神分析療法自体は、生育環境や文化、障害などの子どもの
器質的な問題といった様々な要因を考えると、
必ずしもそれがどんなケースにも万能というわけではなく、
他にも様々な視点から批判や疑問がありますね。
様々な心理療法が他にも模索され存在しているのは、
あいまいで複雑な人の心そのものが、科学的にどこまで
検証可能か突き止められてないからですね。
他の学問にも言えることですが、心理学自体が
発展途上の新しい学問なんだと思います。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。

人の心が、物理や数学のように、一つの答えが出るなんて思えませんが、科学というからには、そこには普遍性がなくてはならないですからね。

難しいですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 09:00

現実で考えなければならないんですよね。



ギリシャ悲劇は、架空の物語です。
「王は息子に殺され、妃は息子と結婚する」と予言されました。
王はその運命を阻止するために、生まれた息子オイデプスを家臣に殺すよう命令しました。
家臣はあまりにもかわいそうなので、殺したことにして、よそ子国の子供の無い王にその子供を渡しました。
その子供は大きくなり、ある時旅先で偉くいばった男と喧嘩して、成敗しました。
その威張った男は実は自分の本当の父親だったわけです。

そして、内容は忘れましたが、知らないで自分の母親と結婚してしまったのです。

運命を避けようと苦労しつくしたのに、運命通りになってしまった。
これに絶望して、運命を拒絶して自殺する という選択肢。
もう一つ 運命はどんなにあがいても避けられないものだと苦労した末に知り運命を受容するという選択肢。

オイデプスは後者に到達した、、、、って話だったと思います。

それをフロイトは何を勘違いしたのか、「息子は母親とセックスしたがっている 根本的な男の欲望は母親との禁断のセックスだ。これこそ男はこの世で一番望む欲望である」 なんて解釈しちゃったんだと思います。

フロイトはなでもかんでもセックス セックス セックス とセックスにむすびくけるエロジジイでした。

今では彼の考えはおかしいというのが常識となっておりますので、あまり とおいうか 大昔はこんなおかしな心理学 というか倒錯した世界が権威あると、心理学者は思い、患者の苦労をすぐセックスにむすびつけ、「あなはの苦悩は母親とのセックスを欲しているが、それはモラルとしてできないという現実から発生しているのです。 ごまかしても駄目です。母親とセックスしたいんですよね」なんて患者を困らせる変な自称心理分析家があふれて、クライアントを壊れた精神分析家の世界にいざなわれ、いよいよ混乱し、とうとう親を訴えるまでになっていたようです。
心理分析家の倒錯したカウンセリングの結果、ありもしないことを現実だと混同し、自分は親とセックスしたと重いこんでしまい、しかも親に強要されたと思い込んでしまったってわけです。


このようななんでもかんでもすぐセックスにむすぶつけたがる時代が心理学の初期で起こったようですが、今では大笑いされています。
倒錯した心理学者が実は患者だったという・・・・・・。
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この回答へのお礼

フロイトの考えは、精神症状などを全て、「性的」な表現で解決しようとしていますよね。そこが、受け入れがたいところでもあるんですかね。

しかし、奥が深く、いろいろな考え方が可能だなと感じました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 08:56

これはどちらかというと母的な存在です。


ある種これを守ろうとして生きているようなものです。
ユングで言うところのグレートマザーにあたるところです。
エディクスコンプレクスがないと抵抗に向かって行こうとしないとか
悪を攻撃しないとかそういうことかと思われます。
小学校にやたら「このやろ~(怒り)」とか「うぜー!うぜー!」
「へへーー○○○だぜ~wへへへへ」とかいう奴居ませんでした?
そいつらです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

心理学って奥が深いですね。だからこそ、人を惹きつけてやまないんですね。

お礼日時:2007/06/18 08:52

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