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『大分県人の歩いた後は草も生えん』と聞きますが、由来は何なのでしょうか?
また、どうして、こういう言葉が生まれたのでしょうか?
困ってます。ぜひ、教えてください!!!!!
(因みに、自分は大分県人ではないので・・・でも、気になっています!!!!!)

A 回答 (4件)

大分県人ではなく佐賀県人じゃないでしょうか?


「佐賀県人の歩いた後はペンペン草も生えん」と九州(私は熊本県人)では言われています。
勤勉さもあると思いますが、同時に執拗なまでも頑固さもあります。
終戦直後の食糧難の時期に、「自分は人を裁く立場の判事だから、違法なヤミ米は食えない」と言って配給米だけを食べ、栄養失調で死亡した判事が佐賀県出身です。
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あくまで推測なのですが・・・



大分といえば、宇佐八幡宮神託事件(769年)にあるように、古くから中央(京都)との結びつきが強く、優遇されてきた面があるのではないでしょうか。奈良の大仏さまを作った時も、大分で産出した銅を使ったとも聞いたことがあります。
さて、草も生えんの意味ですが、日本は古くは銅の輸出国だったそうで、銅の産出時には鉱毒が出ます。銅鉱山周辺部の自然環境が汚染されて、草が生えなくなったのでは無いでしょうか。
大分に古くに住み着いた銅産出にたずさわった人々が、国の庇護のもとで、その産出技術を使って日本各地の銅鉱山を開拓しつつ移動していくなかで、その土地の自然環境を汚染してしまったことから、大分県人の歩いた後は草も生えんというように言われるようになったのではないでしょうか。
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聞いた話ではありますが、○○人の歩いた後は草も生えんと言うのは勤勉さを物語る話でもあるそうです。



私が聞いた話では佐賀人でしたが佐賀の南部は平野が広がりクリークが通る干拓地でもあります。そこでの農業は特に肥料に苦労していたんだそうです。
肥料は山の腐葉土・人糞や牛糞・草等で作りますが干拓が広がるにつれて北部の山岳地帯とは離れ入手が困難になったとか・・・
そこで彼らは田畑の側に生える草を残らず引いて肥料の材料としていたのだと聞いたことがあります。
勿論それだけの意味では無く他の地域に当てはまるとは言いませんが師って欲しいのは異説や俗説は語る人の立場で幾らでも変るのだと思います。個人的にはドけちと勤勉さは紙一重でありその時その時で割合が違うのだと思います。
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今晩は。


この場合の草は、ぺんぺん草を指すそうです。ぺんぺん草はすごく強い草ですから、本来は踏まれてもめげずに、生えるのですが、歩いた後には、それすら生えなくなる。つまり、ぺんぺん草を凌駕するほどだと言うことです。
よい意味ではたくましい生命力、悪い意味では、図々しいと言うか、すさまじいほどの計算高さと言うか、エグイ商売をすることを意味しているそうです。
因みに、大分県人の部分に、近江商人、佐賀県人、栃木県人、愛媛県人、甲州商人等が当てはめられ、使われているようです。

ご参考までに。
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