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人生の中で、親を恨んだりしたことがあった人は、お気軽に投稿ください。私自身、28歳のとき、東京から田舎にもどりましたが、親にせかされて、十分な下調べもできないまま就職したので大変苦労しました。
それだけではなく、小さい頃から夫婦喧嘩の絶えない家庭で育ち、(アダルトチルドレンとか、酒乱家族という分類になりそうですが)両親の離婚後、ようやく平和が取り戻せつつあります。
家族は外からは見えない部分があります。うちも公務員の家庭で子供は大卒で東京の大企業へ就職しという順風満帆のように見えたかもしれませんが、実際は、家のつらさを勉強で紛らわしていたような気もします。子供は、家族の事を話せる場所が無いので自分を責める場合もあります。親は、恨んでも恨みきれない存在だと思います。共依存という言葉も良く耳にします。体験者以外の助言等はお断りします。単に、苦しかった過去を吐き出すだけの目的です。時々、覗かせていただきます。あまり話したくない事は結構です。何十年も過ぎた方が、もういいと思えるような話を暇な時にでもお願いします。

A 回答 (5件)

人生が狂った、と言うには大げさかもしれませんが、1年分は狂ったかな……



私は小学生の時から行きたいと思っていた高校がありました。
その高校は県下NO.1のA高校で、学区内の中学からは数年に1人の合格者が出るか出ないかというところだったので、地元国立大学付属中学を受験し合格しました。
が、父が「今の仕事が嫌」と言い出し引越し……付属中学に通えなくなり、某田舎(大馬鹿)中学に入学。そのまま地元高校受験を進められ「私の人生もう終わり」くらいに悲観的になっていた高校入試前のことでした。父との会話で「もし今回高校に落ちて1年間頑張ったらA高校に入れてあげる」との言葉に私は大喜びでわざと地元高校を落ちました(田舎なので滑り止め私立受験はありえませんでした)。
が、父はその大事な会話を「記憶にない」と言ってのけ、結局、私は1年浪人の末、地元高校に入学。。。

「記憶にない」のセリフから私が成人するまで、父とは一切口をききませんでした。
今でも心の中では許していません。

私が棒に振った1年は、ちょうど高校総体が地元の県で行なわれたのです。
すごいタイミングですよね。
これはわざと高校を落ちるときに最も悩んだことでした。
私は生まれ付き足が悪いので、自分の力で総体に参加することはできないと思っていたし。
その総体に父は関係していて、あれから30年以上経った今でも夏になるとその総体の帽子を被っています。
私がどんな思いでその帽子を見ているかも知らないで。

ついでに言うと、私のその足のことを親はすごく気にしていて「あんたは足が悪いから運動はできない。だから勉強でいくしかない」「あんたは足が悪いからできないことがたくさんある。その分ほかの事は何でもさせてあげる」と言い続けてきてこの仕打ち。
言ってることとやっていることが違うじゃないって思いました。

書いているうちに当時の憤りがよみがえってきました。

でも、当時は親を買いかぶり過ぎていたんですよね。
ただの無責任な人間だって知らなかった子供でした。
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この回答へのお礼

親を信じると後で後悔が多いですね。
親を今も許していませんが、きっと病気だったのだと思うことで諦めようとしています。口に出さずに人間関係とかで悩んで半精神病だったのかもしれません。
病人を介護するのは家族の義務だと思いますので仕方が無かったと思うようにしたいと思います。かなり時間がかかりそうですが。

お礼日時:2007/07/21 18:11

うーん。

私は、そう、感じていますが、肉親からは、「近い故の憎悪」と、言われています。
私の大好きな母、弟を好きに使った挙句、豪邸が、買えるほどの借金をして、弟を過労に走らせた末、病死させた、父。
こいつに、さんざん、ダメを出されて、「でも、私、数千万も、ドブに捨ててないし」と、思ったところで、母が、こいつの見方につきました。
私は、こいつに思考、嗜好も、似ているそうです。
「近親憎悪」という言葉も、使われました。
弟の葬式で、泣いていたシーンも、バカらしく見つめていました。
「殺したのは、あんただ」って。
結局、母を懐柔していたところが、このバカの正解でした。
今、現在も、自分の過ちに一切気づかず、のぼせ上がっています。
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この回答へのお礼

借金の苦労というのは本当に大変ですね。
仕事に親が就いているだけでも感謝するべきなのかもしれません。
ご投稿ありがとうございました

お礼日時:2007/07/21 18:07

私の家は本当貧しい家でした。

友達に“こんなぼろい家人住んでるん?”っていわれ、いつも遠回りして帰ってました。親の喧嘩も暴力もしょっちゅう。父親も酒癖悪くギャンブル好き、仕事もまともにしない。中学卒業時高校は当然行くものの思ってたのに、金ない、意味ないと進学を拒まれた。母親の説得で何とか行かせてもたっらものの、家に金がないのは高校なんか行くからだと毎日言われ、喧嘩のときに階段から落とされたことも風呂に沈められたこと何度もあります。高校卒業時親の猛反対を振り切り、特待生制度利用してバイト掛け持ちで大学進学。就職したとたん、父親に多額の借金あること判明。金出せ借金取りが来て住めなくなるぞと脅されてました。お金を出さないと、自殺未遂的なことを頻繁にし精神的にやられました。結局私が離婚するよう母親にいい、離婚。引越しましたが借金取立ての毎日。私は身内すべて失いました。失ったもの多いですが、これも勉強だと思えば得たものも多いです。冷静に判断できるようになり、多少のことは怖いと思わなくなっりました。でも人と接するのがとても嫌いになりました。
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この回答へのお礼

大変なご家庭が多いようですね。
過去は忘れて前に進むようにしたいと思います。

お礼日時:2007/07/21 18:13

こんにちわ。



「恨む」という言葉を使うのは少々気が引けるのですが、どうしても回答したくなってしまい、書かせていただきます。

私の両親は、私が小学校低学年のとき離婚しました。
それから3年ほど母子家庭で育ち、その後母が再婚し、現在に至ります。
表面は、父親が会社経営していてお金に困らない家庭に見えるでしょう。
けれど、自分勝手で人の意見に耳を貸さない、思いやりのない父には本当に悩まされています。
だから、仕事での付き合いはあってもプライベートで人から誘われることのない人です。
嫌でたまりませんが、どうしようもありません。
やれることはやってきましたから。
今後もこの人を「父」として思い、他人からもこの人の「娘」として見られるのなら、母子家庭で貧乏な暮らしの方が幸せだったのではないかと思うことがあります。

ただ、やはり母も私達のことも考えての離婚・再婚だったことは間違いないですし、父の稼ぎもあって今まで学校も卒業できたこと、再婚により引っ越してきたことで出会えた人達のこと・・・
それを考えると、恨むなんてとんでもないなと思います。

でも、私の中の醜い部分は、心の奥底で「恨んで」いるのかもしれません。
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この回答へのお礼

うちは、小さい頃から喧嘩が多くて、早く離婚して欲しいと半分思っていましたが、早くても色々と苦労があるというのは、どちらがいいとは言えないのですね。

会社経営ということは、全責任を負うプレッシャーが相当だったのではないでしょうか? 社長は、羨ましい反面、方針決定が全て自己責任になるという厳しい立場なのでしょうね。

どこの家庭にも、色々あるものだと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/21 18:19

親を恨むのはある意味正しいです。


そういう恨みを他所の人間にぶちまけないのは正しい。
世の中にはそういった育ちのせいを他所様にぶつける輩がいますからね。

自分の育った環境が悪いから私は悪くない!
育ちが悪いから女児を誘拐殺人とか、学校や塾で虐殺したりとか、他所様の家に乗り込んで強姦殺人とかしちゃったけど減刑と精神鑑定を!!

などという戯言が最近蔓延っているようですがね。

後は、自分をどうやって許していくかじゃないでしょうか。
親を恨んだお陰で他人をそれほど恨まなくなりました。
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この回答へのお礼

いじめの連鎖というか、嫌な時代になってきましたね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/21 18:20

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