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高校一年生ででてくる「木を見る、森を見る」ってどういう話ですか?

質問者からの補足コメント

  • 説明不足で申し訳ありません!
    ことわざではなく、国語の教科書にでてくる論説文のやつです!
    すでに答えてくださった方々ありがとうございます

      補足日時:2022/05/15 20:31

A 回答 (4件)

質問を見て最初に、


「確かに森を見ることも大事だけど、その構成要素である木を見ることも大事だよな、要はバランスの問題だ。」と思いました。

補足コメントを見て、このやろ!と思いましたが、検索して見ると、「木を見る西洋人、森を見る東洋人」という書籍がヒットしました。
それで、質問内容がなんとなく自分のイメージと合っていたことがわかりました。

私が実感した「木を見る、森を見る」の経験です。
・親の我が子に対する情愛が種の保存則である。
道志村の行方不明児童に対する母親の執念は、その一例だと思います。
教えてgooの回答で「種の保存則は」個別の事例とは関係ない、というような回答を見たことがありますが、これは間違いだと思います。人は自分が生き抜くために生きていますが、非常時は自分を犠牲にして我が子を救う選択ができる人がほとんどです。また、科学技術や文明の発展は親世代の我が子がより良く生きるように、と言う思いが集積されたものの積み重ねだと思います。それにしても、本能の不思議な仕組みだと思います。

・森を見ている時、視覚はその中での小さな変化に気づくように出来ている。
視覚の特徴なのですが、森全体を見ている時に、木の葉が他とは違う動きをしたり、色の変化があるとそこに注意が行くようにできています。
とすると、そもそも人は木を見るし、森を見るようにできているけれども、自分の好きな木や、自分の好きな森しか見ていない・・・ということも言えると思います。
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木というのはミクロのことです。


森と言うのはマクロのことです。
経済学では、ミクロ経済学とマクロ経済学は補完関係にあり、どちらか一方からの視点でのみ考える、語るのは実態を見誤る、とされています。

「木を見る、森を見る」という言葉は知りませんが、一般的には「木を見て森を見ず」という格言で知られています。

例えばですね…。そうだなあ、高1にわかるような例えで言うと…。

あなたは、国語が大好きだったとします。国語なら誰にも負けない。テストでも1位。その地位を守るため、あなたは国語のテスト範囲を隅々まで把握して、「次も絶対一位を取るぜ!」とテスト前にもかかかわらず国語の勉強ばかりしています。

その結果、確かに国語では一位を取れたのですが、他の教科をまったく勉強しなかったので全体的な成績はボロボロでした。

どう思います?

国語というのは、全教科の中のひとつに過ぎません。

これを森に例えると、一本の木は森の中のひとつに過ぎません。

森全体を見回さなくては森のことはわからないのに、その中のほんの一部である一本の木なけにに囚われすぎて固執してはいけないよ、ということです。

しかし、森は一本一本の木から構成されています。森を知るためには、一本一本の木のことも知らなくてはいけないのです。

最初に書いた、マクロかミクロかという話がまさにそれで、どちらかではなくどっちもバランスよく見なくてはいけないよ、どっちかひとつだけを見てわかったつもりになるのは愚かなことだよ、という話ではないでしょうか?
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「木を見て森を見ず」ということわざです。


小さな物事にとらわれ過ぎて、現実の全体像を見失ってしまうこと。
例えば、森林の中に足を踏み入れたとき、近くの木の美しさに心を奪われていると、山全体の良さや問題点が分からなくなることのたとえという用いられます。

「木を見る、森を見る」ではありませんので、ヨロシクです(^^♪
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木を見て森を見ず、


ではなくて…?ですか??

書評か何かですか…?
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