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世の中、どこに行ってもガラの悪いヒトっていますよね。服装をはじめ言葉使いや性格、乗っている車などなど…、同じような傾向をもつように思えます。特に独特の目立つ風貌は生物学的にいう威嚇色(奇妙な色や斑紋(はんもん)によって、捕食者の攻撃をかわすと考えられるもの)のようにも思えます。
人間も動物の一種と考えると、周りに恐怖感を与えるような彼らの仕草は、動物でいう威嚇と同じ行為で、いわゆる野生生物の本能なのでしょうか。言い換えると、動物的な部分がたまたま表現形として強く現れた結果、チンピラのような性格になるのでしょうか。
ヒトは高等生物に分類される生き物ですから、これだけのファクターで人格形成が行われるわけではないと思いますが、いわゆる『ガラの悪い性格』になり、ある一定の方向性(風貌、言葉づかい)に向かっていく現象を生物学的に考察するとどのように説明できますでしょうか。それともヒトは、もはや生物学的な要素は薄らいでしまい、その人が置かれた社会的要素によってのみ『ガラの悪い性格』が出来上がっていくのでしょうか。

ちょっとくだらない質問かもしれませんが、お付き合いください。特に生物学的に見たみなさんのご意見をお聞きしたいと思います。
どんな事でもかまいません。よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

一応、バイオ業界で生計を立てています。



とてもおもしろいご意見ですが、だとすると、人間の性格は遺伝子で決まるということになってしまいます。テレビで生まれながらに離れて全く異なる環境で育てられた双子の性格が似ていた、というものがあったのですが、極めて稀な例で、学術的には双子で遺伝子が全く同じでも環境要因で癖も性格も全く異なることがわかってきています。これは、遺伝子そのものがどれだけ働いているかが環境によって変わるからだという見解が有力です。

また、野生的・動物的というのはイメージであって、明確な境界のないことです。車の運転をすると気が荒くなったり、スポーツやゲームをすると普段おとなしい人が感情的になったり。とても見た目は厳つくても優しいそっちの世界の人も実際にいましたし。

心理学の実験で、学生を集めて、警察役と囚人役に分けて、尋問をさせたというものがあります。最初は、戸惑って台本を読んでいた警察役の面々は次第にアドリブで侮辱を入れたり威圧的になって興奮し、囚人役の面々は次第に卑屈な態度になってしまうそうです。継続的な環境でなくとも、人は自分の置かれた立場によって変化してしまうということです。とすると、仲良くなった人の影響や、任侠映画に感銘といった理由で、ある日突然厳つい態度に変貌することもあるでしょう。

道徳的にも人として生きていくために、性格が先天的に決定されているということは認められないでしょう。それこそ死ななきゃ治らないってものになりますから。
ということで、私は、ガラの悪さを生物学的には考察できないのではないかという意見です。
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この回答へのお礼

環境要因で癖も性格も異なっていくということは,ガラの悪さもその延長線上にあるというわけですね.やはりガラの悪い性格は,生物学でいう威嚇とは別次元の事象なのですかね.
貴重なご意見ありがとうございます.参考になりました.

お礼日時:2007/07/03 01:38

生物といっても人間は普通の生物でありませんから警戒色のようなものといっても当たっていないかもしれません。

本人にとっては一番安らぐ条件というのは答えにならないと思いますが、いわゆる品のある人が実際には社会的に悪い事をしていたというのも同じなのだろうと思います。そういう人もその人の環境では案外美しいというものなのかもしれません。
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この回答へのお礼

価値観の相違から来るものと理解してよろしいでしょうか.ヒトに残る本能は生殖以外に威嚇という行動があるのではないかと思い質問させていただきました.やはり,ヒトはもはや特別な生物として完全に特化してしまい,動物的要素を失ってしまったのでしょうか.
ご意見参考にさせていただきます.

お礼日時:2007/07/02 09:59

人間は動物のなかで弱い部類です。

足は遅いし、大きな角や強靱な牙、丈夫な皮膚や鋭い爪もありません。
このような弱い動物は、通常とは違う状態を見ると好奇心より警戒心がまず先に立ちます。

例えば、若い男が茶髪にしてると、少し前までは全て不良に思われる傾向がありましたが、見慣れた現在はそのように思う人は少なくなってます。
また、フルエアロの車は、かつては暴走族くらいでしたが、今はメーカーでもオプションで販売してるし、多くの人が装着してきたおかげで、そのようは感覚は無くなりましたね。

つまり、ガラの悪い人たちが本能的に威嚇色などの服を着たのではなく、一般の人が本能的に少し違ったものに対して距離を置く傾向があり、また彼らは威嚇するのが本業(?)なので、結果的にそういうようになったんじゃないでしょうか?

多くの一般の人が、パンチパーマにサングラス。黒塗りのベンツに乗るようになれば、恐怖感は薄らぐので彼らはまた違うことをすると思いますよ。
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この回答へのお礼

確かに見慣れてしまったものに対しては警戒心はありません.ガラの悪い人たちの文化とは,常に見慣れないものを探索し人目を引いて警戒心をあおるものであり,そこに野生的な要素が関わっている可能性は低いということでしょうか.参考になる意見,ありがとうござました.

お礼日時:2007/07/02 09:34

面白い着想の質問ですね。

こういうの好きです。
いわゆる893の人達における服装及びヘアスタイルなどは、学習によって得られる後天的なものであり、初めから備わっているようなものではないでしょう。
自分と同類あるいは自分の目標とする存在を模写することで、自分のキャラを明確にしているのだと思います。
そういう人達に対する一般大衆においても、そのような格好をしている者があまりよろしくはないことを経験的に学習していますから、どうしても距離を置くということになります。
ゆえに自然界の毒々しい色づかいや模様が、そのテの人に伝播したのではなく、偶然の一致か、もしくは蛇やワニ、虎などの強さをあやかるがごとく用いられる装飾品(財布、ベルト、ネクタイの柄など)が彼等の形態を作り上げたのかもしれません。
逆に言うと、そういうことの一切を気にせずに生きているのに、派手な服装を好み、ズケズケとものを言い、周りの迷惑を気にしない大阪のオバちゃんなどは、より動物に近いのかも…
(悪意はありません)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。totem-poleさんのご意見、参考になりました。私が興味あるのは、人間にどれだけ野性的あるいは動物的要素が残っているか、そしてそこに人間の作り上げた社会的要素がどれだけ影響しているか、ということです。その一つの例として、今回の質問をさせていただきました。
貴重なご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/01 18:35

誰でも一生懸命だけれど



良い方法、状態が見つけづらいのじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

『誰でも一生懸命だけれど、良い方法、状態が見つけづらい』
なかなか考えさせられますね。早速の回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/01 18:02

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