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学校教育のなかでなぜ国語とゆう教科がいきつづけているのか?を知りたいです。
国語の必要性や、国語で何を学ぶかなどを小テーマに。

A 回答 (5件)

 


>国語の必要性

「国語」というのは、「日本語」と同じことです。外国語を学ぶのに、例えば英語なら「英語」という授業がないと、文法も単語も、読み方も書き方も、身に付きません。

それと同じで、日本語も、学校で教科として教えなくても、子供は或る程度の日本語会話ができますし、色々な機会に文字の読み方などを学んで、それなりに日本語の文章などの読み書き理解もできるようになるでしょう。

しかし、標準的な日本語というものはあるのであり、一般的に、教養を習得するために必要な、日本語の言葉や表現の方法、文法、漢字やその他の言葉など、色々ある訳です。これを、児童や生徒が自分で経験学習するに任せていると、十分必要なレベルに達しないどころか、おかしな勝手な理解や学習をしてしまう可能性があります。

また、学校では、色々な知識や教養を教えているのですが、それらの学習の前提に、それらが記されている教科書の文章を読んで理解する能力が必要になります。児童や生徒ごとで、知っている表現や漢字がばらばらでは、教科書が使えません。

そこで、正しい日本語の文法や表現、色々な言葉や漢字や表現などを、学習過程で出てくる言葉や漢字な表現文法のレベルに合わせて、平行して、「日本語」学習という形で、児童や生徒に教えて行く必要があるのです。

一般の社会に出ると、普通に使われている漢字や言葉の種類は、いくつぐらいか、その最低限の言葉や漢字や表現を、学校の教育課程のなかで、一通り、正式に学習するというのが必要です。

外国語で、子供の頃からフランス人が近所にいて、知らないうちにフランス語らしい言葉が話せるようになった場合でも、正式に文法や言葉を学びなおさないと行けません。勝手に思いこんでいたのが、間違っているような場合もありますし、日常会話では、出てこない単語や表現や文法も、知らないと行けないからです。

日本に生まれ、日本人で、子供の頃から日本語を話しているからと言って、決して、日本語に正しく通じているのではありません。江戸時代以前の時代なら、庶民は、日常会話と、仕事に必要な特殊な言葉や表現を覚えればよかったかも知れません。

それでも、仕事に必要な言葉や表現というのは、例えば、見習から入って、長い修行を経て、技術などと一緒に教え込まれるのであって、自然に身に付くのではありません。

世界のことや、科学技術や、文芸や芸術、人文社会系の学問などの教養の初歩を学ぶためにも、必要な言葉や表現や文章の文法習得が必要になります。

すでに述べたように、こういったことを、児童任せ、生徒任せにしていると、ばらばらどころか、誰も知らないというような事態にもなり、世界史の授業ができないなどとなります。化学の授業も「塩酸」という漢字が読めない、「塩」も「酸」も意味も読みも知らないのでできないということになります。

そこで、小学校、中学校、高校で、学ぶ教養を理解するための、日本語の基本的な単語や言葉や表現についての、そのレベルでの基本知識を、学科として、段階を追って教えて行く必要が生じるのです。

>国語で何を学ぶ

以上で、述べたように、基礎教養を習得するために必要な日本語の文法や言葉・単語・表現の知識を学びます。

しかし、単にそれだけではなく、どの民族にも、民族の「文化」があります。日本にも日本の文化があり、その文化を学ぶことが、日本人としては必要だというか、常識的に必要なのです。

江戸時代前は、生活している場面での「日本文化」の理解でよかったのですが、近代以降の「教養」は、もっと高い水準を求めています。実際、現代社会の成員となろうとすると、かなり色々な「教養・文化の知識」が必要になります。

選挙で投票するにも、候補者の主張が理解できないと、候補者を選ぶこともできないということになります。それは、社会や政治や経済が分かるということで、政治や社会が分かるには、日本の歴史などの理解も必要になってきます。

だから日本史があるのですが、日本の文化は、やはり、芸術や工芸、とりわけ、文芸作品などを通じて表現されています。時代時代の思想なども、文芸作品の形で出てきます。

そこで、現代の文芸と、古典となった過去の時代の文芸について学ぶ必要が出てきます。これは国語ではなく、「日本文化」とか「日本文芸」とかの教科を作ってもいいのですが、国語=日本語で一緒に教える方が効率がよいので、一緒になっています。

現代の文芸は、現代の思想や文化を知る上で重要で、更に、文芸という形で、かなり複雑な文章の表現技術や、文語文法が出てきます。また、かなり錯綜した思想や表現は、日常的な口語文章の文章読解力では、理解しにくいということがあります。

文章は、何か目的があって書かれているので、その目的、文章の内容を、読み取る「技術」が必要になります。こういう技術訓練をしないと、高度な日本語の表現が理解できない、また、文章を読んで何を言おうとしているのか、まとめて把握できないということになります。

こういう「技術」の習得や訓練や、自分でも、そういう技術で、文章を書いてみるとという練習が必要になるのです。「日本語の読解の技術」とりわけ、「文章語・書物などの日本語の読解力」が必要です。こういう訓練のため、現代文芸の色々な文章を読む訓練の必要性があるのです。

それはまた、現代の日本文化の理解にもつながって行きます。また、日本の文化は、千年、二千年の伝統のあるもので、この文化伝統を理解し、習得しようとすると、昔の人の書いた文章、古典文芸などを読んで、どういう風に昔は言語を表現していたのか、昔の文学作品からは何が読み取れるか、なども、文化を理解するという目的では必要となります。

これは、「日本古典文芸」などの学科を作ってもよいのですが、中学段階では、「国語」にまとめています。高校段階になると、「現代国語」と「日本古典」という風に学科的に分けても構わなくなります。

「国語」においては、日本語を学び、日本文化を学ぶのだとも言えます。あるいは学ぶための基礎を身につけるのだとも言えます。日本語という言語について、英語などの外国語とどう違うか、また過去の日本語を学ぶことで、時代的に日本語はどう変化して来たか。

言語というのは、文化の大きな要素で、日本語とはどういう言語であるかも、国語において学ぶことになります。

こういう訳で、国語=日本語は必要であるし、何を学ぶかは、一杯あって、たいへん難しい学科だとも言えるのです。
 
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kaziwaraさま



もうご存じかも知れませんが、私が読んだ本の中に

岩波ジュニア新書382『なぜ国語を学ぶのか』
村上慎一著/2001.9

という本がありました。
1,なぜ現代国語を学ぶのか
2,日本語と外国語を比較する
3,古文を学ぼう
4,文章を書こう
という章立てで高校生向けに書かれた本です。
機会があればご参考まで。
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こんばんは。


kaziwaraさんは『国語』の授業で何を学びましたか?
私はこんな風に考えます。
 まず、どんな授業にも『国語』を抜きには学べません。
国語という教科で学ぶ、読む、書く文章を考える、理解する、意味を知る等々は他の教科書を読み、理解する為の基本です。

例えば算数、1+1=2から教えるにしても、いきなり数字だけで理解させるのは難しいでしょう。
 『ここに、りんごが一つあります、誰かかもう一つりんごを持ってきました。さあ全部いくつありますか?』
 この文章は国語です、その中に初めに一つという数字と、もう一つ持ってきたで、『+』を意味させ、さあ全部でと言う文では『=』を意味させています。
 このように数字や加減乗除を理解するうえで『国語』で学ぶ、読み書き、意味をしり理解する能力が必要になってきます。

理科や科学に算数や、数学が必要になってくるように、全ての教科は他の教科とリンクしています。

そう考えると、『国語』という教科は『学ぶための基礎』を学んでいるのだと思います。
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 なぜ国語という教科があるか。

それは、国語の先生がいるからです。国語という教科がなくなったら、先生方が困るでしょ。
 国語という教科は必要ではありません。全廃するべきです。「国語」で学ぶべきものは何もありません。だって、それ以外のすべての科目を日本語で教えているのですから、……。学校に行っている生徒・児童は十分な日本語力があることを前提として、日本語で授業しているわけですよ。だったら、国語は全廃するべきです。
 その代わり、設置してほしい教科は「日本語」です。その科目で何を教えるかというと、長くなるので、語りませんが、……。
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教育は憲法にも規定された『国是』ですから、授業のためということひとつをとってみても、必要な読み書きを学校教育で教えるのは必然だと思

います
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