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古代から中世へ移行する際に仏教や政治(例えば、朝廷政治から幕府政治)などいろいろな変換点があるのですがどうしてでしょうか?詳しく教えていただければありがたいです。

A 回答 (3件)

 日本においてはむしろ朝廷優位の時代から武士優位(地方富裕層)優位の時代に転換した時代を中世と呼んでいるからではないですかね。

宗教に関しては武士が支持し保護したのが禅宗なので変換期は一緒ですね。朝廷と武士は好みが違うので、パトロンが変わったので芸術的にも変化すると行ったことではないかと思います。
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おそらく「話が逆」なのではないかと思います。



つまり、様々な「歴史の転換点」を経て、政治体制やその他様々な物が「変わったから呼び方も変えた」のではないかと思うのです。これがなんの転換点もなく、古代のままの政治や社会情勢などが続いているのであれば「中世」と呼び変える必要自体がないと思っています。
他の、中世から近世、近世から近代、近代から現代への変遷も「様々な転換点を経て変化があったので呼び方も変えた」のではないでしょうか?

何か勘違いをしていましたら、教えてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。Scullさんのような逆からの発想は思いつきも考えもしませんでした。とても参考になります。

お礼日時:2007/07/08 16:42

まずは、古代・中世・近代という時代区分法ですが、これはヨーロッパ史の関連でヨーロッパで生まれた区分方法です。



ルネサンス期に古代ギリシア・ローマの文化や哲学が復活していきます。
その時に、古代ギリシア・ローマに対して、その文化や哲学が失われた時代として「中世」が位置づけられました。
そして、「中世」からの脱却として「近代」が位置づけられます。
その後、「中世」と「近代」への転換期として「近世」が作られました。
そして、歴史学が学問として確立し現在進行形の歴史を意識するようになり、「現代」が生まれていきます。

このように、元々がヨーロッパ史の時代区分法だったのです。
それを明治期に日本の歴史に取り入れたのが、日本史でもこの区分法が使われる始まりです。
しかし、当然ですがヨーロッパとは歩んできた歴史が違う。
なので、どこから中世とするかは歴史家や研究者によってマチマチでした。
戦後まもなくの間は、所謂「時代区分論争」というのが行われていました。
それは今でも続いていますが、かつてほど盛んには行われていませんね。
むしろ、時代区分云々をいうよりも個々の現象を見ていこうというのが、最近の歴史学界の風潮でしょうか。

ただ、かつての名残として、未だにこの歴史区分法は使われています。
そして、日本史では朝廷が政治の主導権を握る時代から武士が主導権を握る時代へと変化していくのを受けて「古代社会から中世社会へ」と考えられています。

まぁ、個人的意見としては、明確な変換点というのがあることは少ないので、大体この辺が中世だろうとアバウトに考えてもいい気がします。
というよりも、時代区分云々より、やはり歴史の流れが大切な気がします。
時として、この時代区分法はこの流れを見失う結果に陥りますので、日本史には向かない区分法だと感じています。
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