アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

社会(歴史、日本史B)の論述問題についてです。

「幕末における、旧幕府軍と新政府軍の考え方の違いはどこにあるか、200字程度で論ぜよ。」という問題なのですが、以下の文にどのように肉付けをすればよいでしょうか。また、以下の文では歴史用語が少なめなので、どこにどのようにして盛り込めばよいのでしょうか。どなたか教えていただきたいです。


旧幕府軍は一橋慶喜を中心に大名会議による新しく強い政治体制を樹立しようとしたのに対し、新政府軍は天皇中心の新しい政府の樹立を推し進めようとした。

A 回答 (5件)

新政府、大政奉還で政権を譲られても、運営する予算がない。

徳川幕府の持ってる領地を全部没収しよう。各藩の領地も、没収したい。
旧幕府。上野の山で最後の抵抗→東北諸藩、聞いてないよぉ状態。いきなり領地も城も明け渡せ。家臣はクビなら、抵抗する→蝦夷に独立国を創る。
慶喜は、あてにしていない。
    • good
    • 0

幕末において”旧”幕府軍というのは室町幕府のことであろうか、時代が違い過ぎて論ずるに値しない。



が正解じゃないかなw

明治維新の一番分かりにくいところですね、調べていくと目指すところは同じであったことが分かります。とはいえ幕府軍側は、当初はやはり幕府体制を維持したままという考えで、大政奉還後は新政府で徳川家中心の体制を作ろうというものだったと記憶しています(間違えているかもしれません)。
(なので天皇中心の新政府というのは新政府軍だけが目指したというわけではない、かな。)
    • good
    • 0

まず文章に無駄が多いので削るべきです。



> 一橋慶喜を中心に

これ不要です。


> 新しく強い

曖昧な形容詞で、具体性が無いので何も伝わりません。不要です。


ここから内容の話になりますが、徳川幕府だって大政奉還している以上は、天皇中心の政治体制を目指していたのです。ただし目指していたのは、天皇が君臨すれども統治せずという英国式の立憲君主制です。また将来的な議会開設を念頭に、その中間段階として、徳川家を含む有力大名による合議制を採用しようとしていました。

新政府軍は徳川幕府を打倒する軍事クーデターを志向していました。建前としては尊王攘夷を掲げていましたが、新政府樹立後は欧米に使節団を派遣し、お雇い外国人を招き入れ、旧幕臣を大勢、官僚として採用しました。明治政府の政策は、ほぼ徳川幕府の構想を受け継いでいます。結局は薩長がやりたかったのは軍事クーデターによる徳川打倒と政権奪取だけなんだろうと思います。
    • good
    • 0


これが現実。
    • good
    • 0

旧幕府軍(徳川幕府)は、大政奉還という形で政権を天皇に返上した。

しかし江戸城や天領、幕臣などの莫大な財産と権力を有していた。新政府軍は、それら財産及び権力の放棄を求めた。いずれ両者は、戊辰戦争で衝突する。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!