スマホに会話を聞かれているな!?と思ったことありますか?

聖書の言語と思想の特徴とはなんですか?
旧約聖書の見解での人間の「位置」とはどのようなものだと思いますか?
また旧約聖書の「愛」とは?
そもそもキリスト教の性格とはどんなものなんでしょうか?
一度に色々質問してごめんなさい。。
大学でキリスト教の思想について勉強しているのですがよくわからなくて授業についていけません。。

A 回答 (9件)

私はエホバの証人ですが、お答えします。



アダムとエバがエデンで蛇に欺かれ、善悪の知識の木の実を食べてしまったとき、蛇にこう預言されました。
「私は、お前と女との間、またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕くであろう。」

この預言の蛇はイエスも言われたとおり、悪魔サタンです。
女の胤とはイエスキリストとその弟子をあらわしています。

イエスは殺されましたが、三日後に復活したと書かれています。
このようにかかとを砕かれましたが、サタンは頭を砕かれる
つまりすべての神に対する悪い意図は失敗し滅びます。

サタンも神も霊者であると書かれているので、眼に見えません。
しかし、汚された神の神聖さと尊厳が回復すること、そのために
キリストが主要な役割を果たしていることが聖書の主題だといえます。

愛とは何かについてですが、こうあります。
「神は愛です」ヨハネ第一4:8
そして、パウロはこう書いています。
「霊の実は・・・愛・・・。」
「これらのうち最大のものは愛です。」

ですから、愛の源は神であり、もっとも重要な特質です。
また、ギリシャ語の愛という語彙には4つあり、そのうち
アガペーが用いられていて、自己犠牲的な愛を指しています。
つまり男女の愛エロスでも友情フィリアでも家族の愛情でもなく、
利他的な愛です。

こうあります。
「友のために自分の命をなげうつことより偉大な愛はありません。」
キリストはそれを実行され、人類のために命なげうたれました。
ですから、キリストは愛の偉大な教え手です。
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信じるものを助けた。

と言うこと
聖書を読んでね。
キリスト教とは基本的に一神教 だからGodと単数形ですね
あとイエスを信じれば救われる誰でもどんな人でも。大雑把にかけば
こんな書き方ですね

知識を追いかけたたいならひろさちやさんの本を参考に
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%D2%A4%ED%A4%B5 …
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「聖書」の原典が書かれている言語というと、旧約聖書(ユダヤ聖典)は、「聖書ヘブライ語」という,古代のヘブライ語です。新約聖書は、コイネー(共通)ギリシア語という、古典ギリシア語の文法が簡単になって、1世紀から2世紀の地中海世界で、共通語となっていた言語です。

また、アラム語が部分的に出てきます。イエズスやその弟子たちは、実は、ヘブライ語で話していたのではなく、当時の西アジア地域の共通語であったアラム語で話していました。アラム語はヘブライ語の一種の崩れた形です。

>旧約聖書の見解での人間の「位置」とはどのようなものだと思いますか?

創世記に記されているように、「塵より作られ、両性存在である神の形を備えていたもので、神の霊の息が内になります」。

神が創造した生物たちの「長」で、神は人のため、これらの生物を作ったとされます(羊は、人の食料となるよう、神が創った……とも言えます)。アダムは神に命じられ、生物の名を名づけます。

神、神の霊を持つ天使、そして人間、動物、植物などという順序になります。

人間は、神の霊を分有しているので、神と「親密な関係」に最初ありました。しかし、神は、生物の長として、自分たちの分身として、人間に「自由意志」を与えました。この自由意志は、神の命じたことに反することも行為できる自由意志です。

天使は、神の意志に反した行為はできません。悪魔(堕天使)が何故、神の意志に反した行為ができたのか不思議ですが(これは、神の意志だったのかも知れないと思っています)。

人間は、神の意志に反する行為をする自由を与えられたのですが、その結果、神が食べてはならないと命じていた二つの樹の一方の「知恵の樹」の果実を食べ、知恵を持つようになります。

この時、人祖アダムとヘーウァは、「神との親密な関係」を失います。これは霊の次元での話です。つまり、「原罪」とは、神に反抗した結果、人と神のあいだの「親密な関係」が壊れてしまったことを言うのです。

アダムやヘーウァに対し、神が与えた「罰」は、この親密さの喪失の目に見える形です。

アダムは、元々「不死」だった可能性があります。しかし、神との親密な関係の喪失=原罪によって、「死」が人の定めとなります。

「旧約聖書」の範囲では、人は、苦労して地上に生き、年老いて、やがて死ぬ定めでした。死後の生とか、天国などというものはありませんでした。(天国は、新約聖書で、イエズスが、実体的にあるのかないのか良くわからない形で、「神の王国(バシレイアー・テウー)」を語ったので、これが「天国」と呼ばれています。

神が、愛するような人は、当然、神の命令をよく聞き、神を愛する人なのですが、長寿や、大勢の子孫や、たくさんの家畜や財産などを恵まれ、この世的に繁栄して、そして死んで無となります。「無となる」とは書いていなかったと思いますが、死後、天国に行くわけではありません。

「黄泉(シュオル)」という世界に死後行くという考えもありますが、この考えは、オリエント世界で普通の考えで、古代ギリシア人もそう考えていました。

神は、偏愛する存在で、特定の人間を愛し、めぐみを与える他方、別の人を呪ったりします。たいへん、勝手な存在です。神は、アブラハムを祖先とする、ユダヤ民族=イスラエルと「契約」を結び、イスラエルが、神を「唯一の神」として、常に信仰するなら、他の民族とは違う,特別なめぐみを与えると約束します。

イスラエルは、こうして、「神に選ばれた民族」となります。

「旧約聖書」における、人間の「位置」は、こういうものです。

>また旧約聖書の「愛」とは?

神は、多くの場合、怒る神、嫉妬する神、復讐する神、約束を破る神、人を殺す神として現れ、言っていることや、行っていることが、矛盾に満ちた、いいかげんな神です。しかし、気まぐれのように、人間に対し、「哀れみ」や「恵み」や、また気に言った者には、「愛」で対します。

「旧約聖書」での「神の愛」というのは、不確実で、神の気まぐれ次第になっています。慈愛の恵みの神である時もあるのです。

>そもそもキリスト教の性格とはどんなものなんでしょうか?

絶対唯一神が世界と人間を創造したとする教え。啓示宗教。つまり、神からのメッセージ(啓示)が予言者に与えられ、それによって、神の意志や、人間の運命、救済の可能性などが明らかになる宗教です。

救済宗教。人間のこの世での悲惨なありさまは、人間が自由意志を持つことを表裏の関係で、アダムの原罪も、そこから起源しています。人間をこの悲惨な状態から救うため、神みずからが、人間となり、自分を、自分に対し犯された罪に対する「購い」として捧げました。これがイエズス・キリストで、キリストは神であった人間、人間となった神なのです。

歴史の終焉。キリストはアダムの原罪を購ったのですが、個々の人間は、キリストの言葉を媒介とする、「新しい神との契約」において、神の言葉とキリストの言葉を守り、正しく生きて行けば、死後、何時の日にか訪れる「終末の日」に復活し、正しい人であるなら、永遠の命を得て、天国に行くのです。正しくない人は、審判において、「無」に戻され、そして、この世は、消え去り、無となり、地上の歴史は終焉します。

こういうのが、キリスト教の性格というか、宗教としての特徴です。

「旧約聖書」をどう読むかは、キリスト教会が、一定の読み方・視点の持ち方を定めています。「聖書の言語」は、多義的な意味と象徴的な意味を持ち、「文字通りに読んではならない」というのが、キリスト教での考えです。

自分で読んでもよいのですが、キリスト教の教義では、どういう解釈になっているかを知らないと、幾らでも勝手な読み方ができます。自分で読んだ後、教義を学んで、どう解釈するかを知らないと、間違った理解になります。

しかし、どう解釈するかは、実はカトリックとプロテスタントで違っていますし、プロテスタントのなかでも、色々な解釈があります。
 
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高校の宗教と世界史の授業で習っただけの知識ですが、ご参考になりましたら。



旧約の言語はヘブライ語、新約はギリシャ語だったと思います。

旧約=旧い契約で、つまり十戒をさしているんだったと思います。
思想の特徴というか、旧約を通じて語られていることは、「神の与えた戒めを守ることにより楽園に入ることができる」という契約だと私は習ったと思います。
(新約=新しい契約。イエスを信じ従う者は裁きの日に神の国に入る。)

人間の位置は被造物(創世記)で、選民されるもの(出エジプト)でしょうか。

旧約聖書の愛は色々記載があるので、どれという風に選ぶのも難しいのですが、個人的には、楽園を追われる二人に皮の服を着せる(創世記)、息子を生贄に捧げようとするところで羊を出現させる(創世記でしたっけ?)などの神の愛や、有名な落穂拾いの原案となったルツ記の人の愛について語られている章が好きです。

キリスト教の性格は、旧教、信教、派によっていろいろな捕らえ方があると思いますが、選民思想、博愛、護教精神、あと、これは意見が分かれるかもしれませんが性善説(幼子についてのイエスの弁)ではないかと思っています。

創世記、出エジプト記あたりは読み物としても読みやすいので斜め読みするとある程度聖書について理解できるかもしれませんね。

それにしても、ご質問のようなキリスト教の根幹について指導できない先生(学生さんがついていけないと感じるほど)って如何なものかと…。
頑張ってお勉強してくださいね
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言語とは、最初に書された言語という意味ですか?


でしたら旧約は古代ヘブライ語、新約はコイネー・ギリシア語です。
それ以外はどれもここで書ききれない様な問いばかりですが・・。
旧約聖書中の人間の位置づけ一つ取っても宗派や個人で無数にある訳ですから。
位置<の意味も取り様はいくつも。
愛の意味も。

もしかして何かのヒントにはなるかも知れませんので回答させてもらいます。
以下はあくまで、旧約に関してです。

あなたの質問の趣旨には添わないかも知れませんが旧約中の人間の位置づけとは神に祝福された霊が最大の祝福の段階として受肉し(堕天使には肉体が与えられない)、地に広がる権能を与えられたとするのはどうでしょう。
新約のイエスと同じく、最高の祝福である不死不滅の肉体を得るための一段階として肉体を与えられたのが人間であると。
肉体を得て様々な経験を(その善悪は関係なく、自由な意志において)積むことが人間に科せられたものなのでは。

旧約中の愛については、絶対神への帰依こそが愛につながるとしてあるのでは。
あえて箇所を押すなら必ず救いがある所、位しかいえませんが。
アダムは追放されながらも衣を与えられ、生きる術を与えられましたし、地が水に覆われた時もノアと7人の男女・清い動物・清くない動物も救われた、等。
愛については新約ですよね。
そもそも旧約は人のありかたより歴史書、預言書等としての「いかにして世はこうなったのか、なるのか」の性格の方が強いですし。

キリスト教の性格とは歴史上、キリスト教の名の下に行われた行為や様々な宗派の教義から謀れるものではありません。
それは聖書を読んだ当人が、歴史を学んだ当人が感じるものなので、特に書けません。

もっと細かく質問してもらった方がましな回答をできると思うのですが。
それが難しいんですよね・・。

それと「目には目を、歯には歯を」というのは本来、「目を奪ったのなら目で償いなさい。歯を奪ったのなら歯で償いなさい」という意味で攻撃的ではなく、受動的な意味のものです。
論争をするつもりではないので、気を悪くされたのなら謝ります。
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1.聖書の言語:ヘブル語とギリシャ語です。

他にアムル語(?)もあったような気がします(これは自信ナシです)
2.思想の特徴:創造主なる神と救い主なるイエス、そして聖霊の三位一体なる神と被造物なる人間との関係が書かれたものです。ですから思想というか内容は被造物である人間が創造主なる神に背き、自己本位な生き方(罪)を持ったがために、愛なる神が人間(イエス)として身代わりに十字架にかかったということですね。旧約から新約まで一貫してこの神と人との関わりが書かれています。
3.旧約の人間の位置:2でも書いたようなことですね。被造物であるという立場は新約とも同等です。ただし、神との対話は預言者を通して行われました。それと旧約ではイスラエルの民が神に選ばれた民族としてイスラエル民族を中心に書かれていますが、新約では信仰を持つものならば異国人でも救いに預かるという変化が生じています。
4.旧約の愛とは:新約でパウロが語っているような赦す神というかたちよりも怒る、裁断するといった厳しさが強調されています。ただし旧約と新約の神に変化が現れたのではなく、ある一面が強調されていると認識した方がいいでしょう。なぜそうなのかと言うとそれはその時代の人たちにとってどのような状態であるかが違うからだと思います。自分の子どもにも場面場面によって接し方が違うのと同じと考えていいでしょう。
5.キリスト教の性格:2と同じ答えになりますかね。

もっと知ろうと思うなら、一度キリスト教会に行ってみるといいと思います。
勉強がんばってください。
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 旧約の根幹を為すものは、「目には目を歯には歯を」です。


 だから、ユダヤ教では闘争に明け暮れているでしょ?
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 キリスト教の「愛」とは、為に生きる愛、愛して愛して見返りを求めない愛、全身全霊で投入する愛、だと思います。

人間の位置は、当初は神の子でしたが、堕落によって神の子としての位置を離れてしまい、当初の人間の位置から落ちてしまった位置であり、その位置を復帰するための歴史が聖書であると思います。
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一時期読んでいました.


旧約聖書(とキリスト教で呼ぶもの)をキリスト教から解釈することには
抵抗がありましたけど..
旧約聖書の「愛」と言えば,人が死のうが殺されようが,アブラハムさん
だけを愛しその代わりアブラハム家は代々神を愛しなさい,と言う以外に
何かありましたっけ...
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