プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

以前、ギャンブルにかなりはまっている時期があり、再起不能なほどの大損をし、自分自身でギャンブルのできない環境にしました。
その甲斐あって、ここ2,3年ほど、ギャンブルから完全に足を洗っていました。ですが、最近、友達とギャンブルについて熱く話す機会があり、3日前に、思わずギャンブルをしてしまいました。

幸運にも、2,3日引き分け程度で、今日、大きめの損を出し、とりあえず、ギャンブルをする意欲がない状態です。まず、間違いなく、明日はギャンブルを行いません。その自信はあります。

しかし、この度、3年というブランクがありながらも、再度、ギャンブルを本格的に始めそうになり、自分に自信が持てなくなりました。
もし、損ではなく、記憶に残るほどの利益が発生していたら、多分、ギャンブルに嵌ってしまい、これほど、冷静に自分を振り返ることはなかったと思います。また、大きな損を出すまでははまっていたと思います。


ここ2,3年間、単に、ギャンブルを強制的に、禁止していましたが、今回の事で、単に禁止するというだけでは危うい気がしています。
また、2,3年後など、損した気持ちを忘れた頃に、ふとしたきっかけでギャンブルをしてしまいそうで怖いです。

特に、今は家の資産管理を任されているため不安で仕方がありません。

どうすれば、恒久的に、ギャンブルを止められますか?

何か、良いアドバイスなど頂ければ幸いです。

宜しくお願い致します。

A 回答 (15件中1~10件)

 ギャンブル依存症はカウンセリングで直ります、専門の病院、サークル等を探してください。


パチンコに関しては、私はパチンコの景品交換所を長年経営してました、パチ屋はお客さんを完全に馬鹿にしています、そんな現実を何度も見てきました、パチンコの経営者によると、文化的水準が低いとパチンコが流行るそうです、文化水準を上げないように、しなければならないとのことです、店長をはじめ責任者クラスの従業員は表向きお客様扱していますが、影では完全に馬鹿にしています、そんな事実も知らず、馬鹿にされるために、無駄なお金を使い、踊らされ、人生を台無しにしているのです、パチンコの経営者はほとんど在日朝鮮人です、日本人の常識は通用しません、馬鹿にされてると思えば腹も立ち、やめられると思います。
    • good
    • 0

はじめまして。

私はパチンコ依存症です。(確実)
実を言うとアルコール依存症もかれこれ10年以上も続いていました。
毎日淡●五百缶×6本を毎晩ひたすら飲んでいました。
止めたい気持ちを飲みたい気持ちが必ず同じ時間に葛藤し始めます。
飲むとよく日辛いと頭ではわかっているのについ飲んでしまうのです。ある薬のお陰で今は断酒中です。
その前はタバコ依存症です20歳頃からず~っと毎晩吸っていてやめては吸いの連続でした。
1ヶ月以上気管支炎にもなっていたのにもかかわらずビール&タバコを震えながら換気扇の前で吸っていたのです。
ある時、ふっと咳き込んでいる途中に「止めるなら今しかない!」と思いつき止めました。本当にあっという間の出来事でした。
しかし、依存症とはまた一滴、一本吸ったり飲んだりすると元の木阿弥でそれ以上にリバウンドしてしまうのです。
それはわが身で知っています。
今はアルコールを断酒していますのでその代わり睡眠薬を飲んで寝ています。
ということはアルコールの代用ということですよね。
いわゆる睡眠薬依存症なのです。
パチンコは借金しないように心がけていますが段々エスカレートしている自分がいますのでどこかでピリオドを打たなけりゃいかんと思います。
どうすれば、恒久的に、ギャンブルを止められますか?←これが永遠のテーマですよね。
お互いに頑張りましょう。
    • good
    • 0

>しかし、実際は、金融商品(箪笥預金、MMF、金、ユーロ、定期預金、株、匿名投資組合、原油先物、債権など)を選ぶことすら実は、大いにギャンブルでは無いでしょうか?



ギャンブルとしてやればギャンブルとたいして変わりないでしょうね。

>そして、ギャンブルが不可となれば、非常に難しいところです。
>この例で言えば、どれが、ギャンブルに値しないのでしょうか?
>具体的には、どのようなポートフォリオを組まれますか?

箪笥預金は金融商品ではありません。貨幣も仮想のものとはいえ支えるベースが違います。その他の物はすべて投機的に動きますので、稼ごうと思えばギャンブルの要素が強いでしょう。投資組合の成果と平均株価はたいして変わらないと言うのは知られていることです。

>ちなみに、私が考えるところでは、アナリストや雑誌会社は投資信託会社から多額の報酬を貰っていると想像し、とりあえず、MMFと国債より若干高い5年物の定期預金を勧める程度です。

管理しない前提なら、元本保証以外はダメでしょう。元本保証の最たるものは箪笥預金な訳ですけど。

あなたが一生懸命語ってるのは全部不労所得の話しだし、他人のフンドシだと思います。その範囲内で儲けようと考える限り、ギャンブルの域を出ません。それでも昔は儲かってたのは、経済成長があったからです。今の日本にかつての勢いはありませんので、自分で何もしないなら自然に金が入ってくるということはありません。小手先の知識だけで稼げる財テクは終わりました。

ビジネスを行いたいなら、成長分野を創造し、リソースを有効に使うよう管理し、価値を増大する。という本来の経済活動に目を向けるべきでしょう。

>個人向け国債、5年固定以上であれば、多くの人のポートフォリオ以上のパフォーマンスが得られるため、相対的に見ても損をする心配は少ない(インフレにも価値易い)と考えるからです。

儲かってるのは平均株価が上がっているからであって、華やかに見えているのは手の込んだ演出でしょう。「投資」をやりたいなら、わたしなら自分に投資しますけどね。少なくても他人に投資するなら、業界や会社の実態が自分に見えてこない限りは投資しません。

>ギャンブルの域はでませんが、貨幣経済の必要悪にギャンブルがある思うしかありません。

必要悪と言うより、市場活性化のためにギャンブル性を高めているだけで、市場関係者の総意としての意図された演出です。誰でも安心できて、平均的に儲かる市場にしてしまったら面白みがないですからね。

市場関係者がいろんな理由付けをして先物を必死で入れたがるのは、ギャンブル性を高め、市場を活性化することで手数料収入が欲しいからですよ。(わたしが関係者ならそう考える)

つまり、所詮、設定されたゲームなんだから、そこに夢中になれば身を持ち崩すってことです。
    • good
    • 0

間違ってないんだけど、視野が狭いと思います。

戦って勝つためには上位の概念が必要。

>情報料や経験>
>気軽な例で言えば、大根が1本100円で売れると思い、50円で入手した人と、なんとなく安いと思って、110円で入手してみたが実際は、そんな価格では売れなかった。この2人の違いは、情報量や経験だと思います。

後者の人の間違いの根本的な原因は、「儲けは仕入れで出す」ということを知らないからです。

>資本主義> 例えば、「ある事業に投資する」
>この場合、周りには、同様に投資したい人がたくさんいます。
>その投資リスクとリターンには、市場価値に照らし合わせて、妥当である、リスクとリターンになっていると思います。

それは、「そのとき大多数がそう思った」という平均値に過ぎません。その事業を良く知っている人から見た感覚とはずれてたりします。

>しかし、儲かる人間と、損をする投資家がいます。
>この両者が違うのは、運(長期的にみると意味をなさない筈)と、情報量の違いだと思っています。

違いますね。情報と言ってるのは、要素の一部に過ぎません。決定的な情報も、たまたまそこにあるんじゃなくて、取り行くからあるんです。ということは、その前に狙いがなきゃダメって事です。

現実を知っている事と、世の中がどのように動いているかわかっていることと、読みでしょう。

>労働は、自分が働き、人の役に立つものを生み出すこと、その点だけを見れば、価値は確かに増大します。
>しかし、例えば、周りの人の給料が10倍に昇給した時、自分の給料が10%の昇給では、相対的には、損をしたことにならないでしょうか?

損はしてないでしょ。それを損と考えるからおかしくなるのです。それは嫉妬ですよね?

人より抜きん出たいなら、運とか情報とか言ってないで、どうすれば高い価値を生み出せるかを考えるべきでしょう。何もしないで10%も昇給するなら恩の字じゃないですか。

>1年間で、100円の卵が、105円になったにも関わらず、箪笥預金(本当なら預金にすべきだった)をしたため、元本は保証されますが、価値が下がったため、相対的には損をしたといえないでしょうか?金融機関破たんのリスクを取って(ギャンブルをして)、預金すべきだった?もしくは、通貨としての日本円の破綻を予期して、外貨投資を行っておくべきだった?

未来を予測する話をするときに、「べきだった」というのは無駄な思考です。ちゃんとリスクを計算して箪笥預金を選択したなら、それはそういう結果もありうるのはわかりきってたわけで、「こうしておいた方が儲かった」などというのは、ありえない幻想の話をしているだけです。自分の決断の仕方に問題がなかったのなら、くよくよ考えるのは間違いです。

「自分が一番得していないければならない」という思いに囚われると、不幸になるだけですよ。

勝てるなら勝負すればいいし、勝てないなら守ればいい。この当然の発想が出来なくなります。

同時に、自分の優れた点にも気づき難くなります。いつもトップでいなければいけないという思いからは自分に対する落胆しか生まれません。自分に落胆する事は苦しいので、その思いは次第に「運が悪い」とか「社会が悪い」という他への憎しみに変わって行きます。周囲を憎むようになれば、社会からも嫌われ、悪循環に陥ります。

>本当のギャンブル=やってはならないギャンブル>

これがダメだと思います。ギャンブルはやっちゃいけないんですよ。資産運用はギャンブルの技を使えますが、ギャンブルとしてやってしまったらたいして儲かりませんよ。運とか情報の差だと思ったら思考停止です。せいぜい、リスクに見合ったリターン - αでしょう。

この回答への補足

長文への回答を頂き,本当にありがとうございます。
視野が狭いということですが,詳しく書けば,下記例の補足となります。
ある程度は視野が広がってますかね?
また,上位の概念とありますが,これが,precogさまの考える,理論の本質でしょうか?
ご返信を読ませていただいたのですが,良くわかりませんでした。
私に見えていない部分だと思いますのでご教示いただけると幸いです。


>勝てるなら勝負すればいいし,勝てないなら守ればいい。この当然の発想が出来なくなります。
私の考えることも,まさにそれです。
前回の,パチンコの例えなど,勝てるかどうかを分析し,勝てると考えた場合,一般にギャンブルであっても,ギャンブルではなくなり,最後に書いております,預金などについては,深く考えればギャンブルとなってしまいます。
この議論の落としどころは,適度な所にギャンブルと行ってはならないギャンブルに線引きをすべきだと思います。


>同時に,自分の優れた点にも気づき難くなります。いつもトップでいなければいけないという思い
>からは自分に対する落胆しか生まれません。自分に落胆する事は苦しいので,その思いは次第に
>「運が悪い」とか「社会が悪い」という他への憎しみに変わって行きます。
>周囲を憎むようになれば,社会からも嫌われ,悪循環に陥ります。

自分で毎回,正しいと思う方を選択していますので,運が悪い(運が悪くても不勉強など単純に自分に責任がある。勉強の機会を得られなかったら運が悪いとも云える?)とは思いませんが,トップを目指したり,最上を目指したりすることは,社会が嫌いになり,憎しみの対象になるかもしれません。
特に,発展途上国を旅行した時など,資本主義の底辺を見る機会があり,社会が悪いと思わざるをえませんが,これは置いておきましょう。
自分でどうにかなるレベルの話ではありませんから。


今までの書き込みの多くに,情報という単語を使い,説明を省略していますが,広義の意味で使っています。

>>情報料や経験>
>>気軽な例で言えば,大根が1本100円で売れると思い,50円で入手した人と,
>なんとなく安いと思って,110円で入手してみたが実際は,そんな価格では売れなかった。
>この2人の違いは,情報量や経験だと思います。
>後者の人の間違いの根本的な原因は,「儲けは仕入れで出す」ということを知らないからです。

ここで言う,情報,経験というのは,
情報=易く買って高く売れば利益が出るという投資の意味。消費と投資の違いを知っているか否か。
情報=どこに高く売れる顧客が居るかを,知っているか,知らないかという情報差。
経験?過去の情報?知識?=購入時,なるべく安く買う,駆け引きテクニック。


>>労働は,自分が働き,人の役に立つものを生み出すこと,その点だけを見れば,価値は確かに増大します。
>>しかし,例えば,周りの人の給料が10倍に昇給した時,自分の給料が10%の昇給では,相対的には,損をしたことにならないでしょうか?
>損はしてないでしょ。それを損と考えるからおかしくなるのです。それは嫉妬ですよね?
>人より抜きん出たいなら,運とか情報とか言ってないで,どうすれば高い価値を生み出せる
>かを考えるべきでしょう。何もしないで10%も昇給するなら恩の字じゃないですか。

周りの人の具体的な説明が抜けていましたが,他業種に勤めている友達などを想像してください。
例えば,現在の中国や高度経済成長時代の日本など,周りの人の給料が上がっても,業種や会社の方針の違いにより,自分の給料が上がらない。しかし,物価や友達との飲みの費用は上がり,相対的に食べるものが買えなくなり,損をするという意味です。
単純に,自分の仕事で価値を上げることを考えても,周りの環境(機械化,需要の減少など)により振り回される事も見過ごせない大きな要素となります。
必ずしも,普通に働いていれば価値を生み出せるとは限らないと思います。


>違いますね。情報と言ってるのは,要素の一部に過ぎません。決定的な情報も,
>たまたまそこにあるんじゃなくて,取り行くからあるんです。
>ということは,その前に狙いがなきゃダメって事です。

つまり,決定的な情報は,情報力の差ということでしょうか?
例えば,資産家であれば,面白い情報があれば,自前のシンクタンクを通じて調べると思います。
個人であれば,そのシンクタンク並の情報をどこからか得なければなりません。
ギャンブラーであれば,目論見書を見ておしまいなど,情報の差が,リスク,リターンの差に結びつくというのが私の考え方です。
しかし,たまに,口上に乗せられて思わず,投資してしまうと,投資からギャンブルになってしまうため怖いですが・・・
ただ,毎回,深い情報を得て分析することは大変です。そこで,深い考えもなく参入し,今回の失態のように,ギャンブルになるのがまずい。

補足日時:2007/08/07 18:57
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>未来を予測する話をするときに、「べきだった」というのは無駄な思考です。ちゃんとリスクを計算して箪笥預金を選択したなら、それはそういう結果もありうるのはわかりきってたわけで、「こうしておいた方が儲かった」などというのは、ありえない幻想の話をしているだけです。自分の決断の仕方に問題がなかったのなら、くよくよ考えるのは間違いです。

そうですね。私も、そう思います。ただ、ここで、「べきだった」と書いたのは、何をすればよいのかよくわからず、なんとなく、インフレが起こらないという感で箪笥貯金をしていたということだと思ってください。

例えば、今現在、ここにある程度大きな資産があるとします。
これを、最も、ギャンブルにならない方法で効率的に運用して欲しいと言われても、ギャンブル的な感覚でよければ教えることはできるけど、信念を持って教えることはできませんし、私にはその力がありません。ま、家族であれば、金融について勉強するつもりがありませんので、雑誌レベルの話や個人の体験談を適当に言うだけで納得してしまうのであれですが。。。

しかし、実際は、金融商品(箪笥預金、MMF、金、ユーロ、定期預金、株、匿名投資組合、原油先物、債権など)を選ぶことすら実は、大いにギャンブルでは無いでしょうか?
そして、ギャンブルが不可となれば、非常に難しいところです。
この例で言えば、どれが、ギャンブルに値しないのでしょうか?
具体的には、どのようなポートフォリオを組まれますか?

ちなみに、私が考えるところでは、アナリストや雑誌会社は投資信託会社から多額の報酬を貰っていると想像し、とりあえず、MMFと国債より若干高い5年物の定期預金を勧める程度です。個人向け国債、5年固定以上であれば、多くの人のポートフォリオ以上のパフォーマンスが得られるため、相対的に見ても損をする心配は少ない(インフレにも価値易い)と考えるからです。
有利そうな点だけを書いていますが、実際はここまで有利ではありませんし、深く考えているわけではありません。
ギャンブルの域はでませんが、貨幣経済の必要悪にギャンブルがある思うしかありません。

お礼日時:2007/08/07 19:13

>お礼欄で失礼しますが、



いや、ここに書いていただかないとメールが来ないのでそのほうがいいです。

>せっかく書いていただいたのに、反論ばかりになって大変申し訳ないのですが、

ギャンブルについてだいぶ複雑な気持ちがあるようですね。わたしも若い頃は、資本市場をどう理解したらいいのかについては自分なりに相当悩みました。あなたも本質が理解できないと先に進めない方なのでしょう。

資本の操作は技術的にはギャンブルと同一の要素はありますが、ギャンブルとは全く本質が違います。

それは、「全体としてみたときに、価値を拡大しているか?」という点で理解できると思います。

逆に個々のパーツで見ると、たいした違いはないので、根本的な差が理解できなくなると思います。一回転でたいして増えるわけじゃないですからね。

一般の人にとっては、昔はリスクのある/なしで語れましたが、今は何をやってもリスクはゼロではないと説明される時代です。しかし、本当は世の中が変わったわけではなく、リスクが高い低いで(リスク対策込みで)判断するのが最適なのです。

「どうせリスクがあるのだから何をやっても同じ。」では結局は思考停止です。そうではなく「思考停止してはいけない。常に適正な判断を試みよ。」というのが今言われていることです。逆に言うと、個々の適正な判断があって、頭脳が総動員されることでさらなる最適化が行われるということです。

>箪笥預金、銀行へ定期預金、子供の養育費、外貨MMF、デイトレードはすべて、生産性がなく、原理的に金の奪い合いと見れなくもありませんが、いかが思われますか?

社会的な意味は、資本の円滑かつ最適な活用ですね。個々の適正な欲求が全体としてのシステムの正常な運用を支えます。が、個々の欲求を満たすだけで何か良いことがおきるわけじゃないです。

これに対抗する制度は全体主義でいいと思いますが、全体主義は使える頭脳が少なくなりますので、多様性に対処できなくなります。(つまり最善になりえない)

資本主義が繁栄をもたらすのは、拡大再生産があるからです。ギャンブルには資本の循環がありません。(価値が増えてない)

それがわかっているので、社会は資本市場はしっかり監視をし、大量の金が流れ込み、社会的に許容されます。ギャンブルは所詮遊びと思っているので、儲かっても懐に入れるだけの制度も許容されます。金は有効活用されることはありませんし、社会もおおっぴらなことは許容しません。平均が儲かるなら、同じ腕なら稼ぎやすいはずだし、平均でマイナスなら損をしないだけでも大変でしょう。

社会貢献というのは、自分を削って他人を肥やすのではなく、自分が他人の役に立つことで価値を生み出すことを意味します。

わかりにくければこう考えてもいいです。金の流れ込む先に注目しましょう。パチンコ屋に渡してもパチンコ台が新しくなるだけですよね? 金は分配されてますが、価値が増えているところが全くないです。しかし、資本市場に流れ込めば拡大再生産に使われる可能性が高いですよね。もっともうまく拡大できる人のところに投資が集まることには意味があるわけです。(消費するなと言ってるのではなく、消費は消費だということ。)

子供に対する養育費は経済的には投資であり、消費ではないですね。拡大して帰ってくるのがわかってますから。(もちろん無駄とか過剰な投資というのもありえますが、それは無駄でないように個々に考えるのが自由市場ですから)

今の繁栄を続けていくためには投資はゼロには出来ないですよ。投資したものは減価償却しますから。

「自己の利益を追求することが社会の繁栄をもたらす」というのは資本主義制度という大きな枠組みの中での話であって、それが物事の原理だからではないです。ギャンブルのサイクルは資本主義とは違います。

ポイントは、大きな枠組みを考えることと、自分だけの枠に捉われないこと、システムとしての良し悪しが自分にも影響することを考えること(負け組みに入りたくないですよね?)。小さな差も循環すれば大きな差になることです。

もちろん、遊びに従事することも否定するつもりはないですが、全体としてみたときに遊びにそんなに金が回るわけはないですから、厳しい仕事になるのはわかりきってます。

それと、遊びの効能として自己鍛錬があるのもわかってますが、それも自己実現につながらないならロスですよね。

ロスを重ねれば、どんどん自分が縮小していくしかないですよね。

この回答への補足

5回ほど読み返してみましたが、正直、なかなか難しく、理解していないこと、あらかじめご了承ください。

>お礼欄で失礼しますが、
いや、ここに書いていただかないとメールが来ないのでそのほうがいいです。
>>そう言っていただけると助かります。ありがとうございます。

以下、返信になります。文章が苦手で取り留めのないものとなったこと、すみません。

私は、広義の意味でギャンブル=資本主義だと思っていますので、とても、一言い表せないほど複雑な気持ちがあります。
特に、学生の頃は、資本主義万歳で、その考え方(切磋琢磨、競争することでみんなが幸せになれる)に共感したこともありましたが、今はそこまで楽観的ではありません。
私は、ギャンブルと資本主義が大嫌いです。甘い考えですが、負ける人間がどうしても必要とされているからです。
貧困という恐怖、裕福な生活という憧れが、資本主義を駆動する原動力だと思っています。
もし、空気と同じくらい気軽にお金を手に入れることができたら貨幣価値がなくなります。
競争があり、富が偏在してこそ、お金に価値が生まれると思っています。

なお、今までに実現された、社会?共産?全体?主義の実際は極端な資本主義の結果のそれに近く嫌いです。実際の理念は違いますが、歴史上そうなっていると思います。ただ注意したいのは、資本主義から共産主義への革命から少しの間は、他の資本主義陣営よりも、共産主義の方が効率の良い経済システムでしたので、必ずしも間違ったシステムではないと思います。しかし、人間は堕落し易く、後々の歴史を見ると、革命が起きて王様が変わっただけの変化に見えなくもありません。

社会主義でも個人個人が独自の発想を許容され、独自の会社や組織を作れば多様性は維持されます。
ただし、全員が100%の努力をしても、成功する人と失敗する人が存在するわけですから、富の配分は、成功者、失敗者にも平等に分け与えるべきです。
いくつか、欲・利己的ではない部分がありシステムとしては成功しませんが・・・。現実的な話でいえば、アメリカの資本主義より、日本の共産主義的な資本主義(一昔前の日本の累進課税制度など)などは大分近いです。しかし、世界的な資本主義の中で、より有能な人間は、日本よりアメリカへ移るでしょう。
ただ、原始時代の生活よりは、資本主義や経済活動により人以外の機械も発達し、生活が格段に向上しているため絶対悪で仕方がないともいえます。

富める者・知性の高い者が、資産を回したり、知性を活用する事で、資産を増やせるのが資本主義の本質だと思っています。
そして、平均未満の知性しかなければ、(合法的・相対的に)搾取されます。
例えば、宝くじ、学歴、インフレなどが良い例だと思います。
逆に、情報力があり、それを解決する手法をもち、資産があり、欲のある人、家族は世界に影響のある大株主だと思います。

以下、ギャンブルと資本主義の本質が同一であると考える根拠と、本当のギャンブル=悪いギャンブル=今回行ってしまったギャンブルについて

パチンコ>
パチンコ店に金を渡す→CMや台、ギャンブル心理の研究に投資される→初心者が参入し、たくさんの人間がたくさんのお金を使う→全体で回るお金の量が増大する。(価値の増大?)パチンコ台1みても、より面白い台となりアイディアが洗練される。(価値の増大?)パチンコ店とパチンコ遊戯人口が増大する(価値の増大?)→そして、自分よりも負け易い人=初歩的な人で釘の見方も知らない人の増加→初心者が増えれば、長く続けている人は相対的に儲かり易くなる。つまり、長く続けている熟練者は平均的に儲かる?素人も極めれば、平均的に儲かる?一般的な経済会社でも同様な気がします。もっとも、通常の会社ではド素人はクビになりますので、その時点で退場させられるでしょう。
初心者は、他で稼いできて、ギャンブルで消費(ギャンブルで生産された価値を単純に消費)します。
しかし、この初心者の本職は、ICチップの原料であるシリコン精錬所の職員という設定にしておきます。パチンコ産業の価値を育てるという役には立っています。

補足日時:2007/08/05 12:22
    • good
    • 0
この回答へのお礼

情報料や経験>
気軽な例で言えば、大根が1本100円で売れると思い、50円で入手した人と、なんとなく安いと思って、110円で入手してみたが実際は、そんな価格では売れなかった。この2人の違いは、情報量や経験だと思います。

資本主義> 例えば、「ある事業に投資する」
この場合、周りには、同様に投資したい人がたくさんいます。
その投資リスクとリターンには、市場価値に照らし合わせて、妥当である、リスクとリターンになっていると思います。
年利10%のファンドにはそれなりのリスクがあり、年利1%はその程度のリスクということです。
しかし、儲かる人間と、損をする投資家がいます。
この両者が違うのは、運(長期的にみると意味をなさない筈)と、情報量の違いだと思っています。

労働>
労働は、自分が働き、人の役に立つものを生み出すこと、その点だけを見れば、価値は確かに増大します。
しかし、例えば、周りの人の給料が10倍に昇給した時、自分の給料が10%の昇給では、相対的には、損をしたことにならないでしょうか?

インフレ>
1年間で、100円の卵が、105円になったにも関わらず、箪笥預金(本当なら預金にすべきだった)をしたため、元本は保証されますが、価値が下がったため、相対的には損をしたといえないでしょうか?金融機関破たんのリスクを取って(ギャンブルをして)、預金すべきだった?もしくは、通貨としての日本円の破綻を予期して、外貨投資を行っておくべきだった?


本当のギャンブル=やってはならないギャンブル>
単純なギャンブル=分析のないギャンブル=分析したら必ず負けると計算されるギャンブルは、他の所でも書いております通り、行ってはならないと思っています。これは、本当のギャンブルであり、長い目で見ると胴元、パチンコ産業に携わる人々と儲かる一握りの人へ分配され、多くの参加者は破綻します。

お礼日時:2007/08/05 14:17

依存を一度起こしてしまうと、何かに依存するように


脳内物質が作用してしまうような脳の働きが
出来上がってしまうみたいですね。
本人の意志でコントロールできなくなってしまう要因は
まさにそこのようです。「何かに依存する」という行為そのものが
解決されないと、例えばアルコール依存症の人がお酒をやめても、
依存の対象を薬物に移行させるという話もありますね。
http://www.naoru.com/gyanburu.htm

私は、お話の一連の流れを読んでふと思ったんですけど、
依存「体質」があると思っていても「依存症」とは
認めたくないお気持ちがあるんでしょうね?
なんとなくわかるような気がしますが。
依存への恐れを打ち明けてスッキリさせる、
「依存症」に陥らないためのコントロール法を教えていただいて
スッキリと納得するためだけにでも、やはり自助グループや
カウンセリングなどのサービスをのぞいてはいかがかと
思いますが、どうでしょうか? この手の活動に足を踏み入れると
自分が病気だと決め付けられるような不安がおありかもしれませんが、
病気かどうかを診断するのは医師ですし、
そこで自分が「依存症」になったわけではない確証を
得られるだけでも安心できると思いませんでしょうか?
メンタルの問題は、実は回復傾向が出ているときが治療やリハビリ、
再発予防対策を最も慎重に行わなければならないものです。
過去の経験から再発予防策を学ぶという目的で参加しても
大丈夫だと思いますよ。

やはり、#7の方が紹介なさっているグループは
信頼できる活動を行っているようですね。

ちなみに、一度でも依存を起こすと
治すために専門家や周囲の助けが必ず必要になること、
一度やめられてブランクができてもまたやってしまうのは、
適切なリハビリを受けられなかった依存症(傾向のある人)には
よくある話のようです。
    • good
    • 0

#3です。


面白い議論になってますね。
個人的には「ギャンブルはダメだからダメなのだ」という論理構成は、成立しないと思います。
ギャンブルがダメな唯一の理由は、依存性があるからだと思っています。つまり、麻薬や酒・タバコがダメなのと同じ理由で、ギャンブルはダメなのだと思います。そういう意味では、欲望をコントロールできる範囲内でのギャンブルは是とすべきのようです。

生産性のない行為はダメなのだなどといったら、ゲームやレジャー、どれもこれも駄目になっちゃいますよね(過去にはそういう価値観が社会を支配した時代もあったでしょう)。ギャンブルがダメなのは生産性がないからダメ、時間の浪費だからダメなのではないんですよ。

お金を儲けようと考える資産運用行動すべたがダメなんてことはないと思いますね。お金を増やしたいと考えるのは、ごく自然なことかと思います。生産性を伴う行動でしかお金を増やしてはいけないという考え方の人はいるでしょうし、それを否定もしませんが、社会全体そうだとしたら、銀行や証券会社の人は仕事がなくなってしまいます。

今の時代、ネオニートと呼ばれるトレーダーの中には、ある種中毒的なトレーダーも確実に存在します。
そのような人たちは、今のところ儲かっているからいいでしょうが、儲からなくなったら困ることでしょう。何年か後には社会問題になっているかもしれませんね。
    • good
    • 0

>その結果、手数料以上に利益を出す単純な方法は存在しません。



これでは論理が弱いと思います。裏返すと「儲かるなら良いのか?」 ということです。あるいは「少しくらいの損なら構わないではないか。」という事になります。

ギャンブルから離れられない人に「言い訳」を聞くと大概同じ返事が返ってきます。曰く「勝っている」「額を決めてやっている」「ゲームセンターでゲームするのと同じだ」

あなたの価値観は、儲かるか儲からないかだけなんでしょうか?

ギャンブルは、社会に貢献しますか?
ギャンブルに生産性はありますか?
ギャンブルはあなたやあなたの家族の将来を広げてくれますか?
ギャンブルが立派に出来たからといって子供に誇れますか?
ギャンブルに係わるリスクは無視するのですか?
リスクに見合った稼ぎがありますか?

ギャンブルは原理的に金の奪い合いで生産性はありません。どこまで行っても遊びだし、遊びと割り切るにはリスクを十分にコントロール出来なければなりません。客観視が出来て自分にリミットを掛けられないならそれは大人ではないと言うことです。子供がギャンブルをするのは間違ってます。

ギャンブルを否定するにあたり、あなたが信条と出来る理由がないなら、生き方そのものを考えてみる必要があるかもしれません。

この回答への補足

私の考えで、おおよそ世の中にリスクの存在しない事はないと思っています。
せっかく書いていただいたのに、反論ばかりになって大変申し訳ないのですが、思うところがありましたので反論というか、自分の持っている考えとして書かせていただきます。
なお、本日は、おかげさまで、ギャンブルには参加しておりません。

例えば・・・

今回、家族の資産の多くを、箪笥預金やゴールドやプラチナではなく、国債として持っています。
理由は、箪笥預金と比べて、盗難やインフレリスクを考えると、少しでもリターンの発生する国債で運用すべきだと考えたためです。
ただし、国家破綻のリスクはヘッジできていません。賭けです。単純に、損益のみで判断しています。原理的に金の奪い合いと見れなくもありません。


他にも、農業をしておりましたが、この場合も、種代、肥料代、土地代、燃料代(冬であれば温度を維持するためかなりのコストがかかります)など様々な経費を計算します。そして、天候に大きく左右され、それでも、利益がでるとなれば作付を行います。
赤字の年もあれば黒字の年もあります。このように、損がでそうであれば、行わず、少しの損リスクであれば行います。
もっと燃料代が安く、もっと高く買ってくれる人がいればこのゲームには勝てたと思ってしまいます。
野菜の先物などをしても、天候が悪く生産量が少なければ罰金を払う必要があります。
この場合、かなり大規模な話ですが、原理的に金の奪い合いと見れなくもありません。


ギャンブルは、社会に貢献しますか?
>お金を使うだけで社会に貢献できていると思います。少なくとも、その業界には貢献していると思います。

ギャンブルに生産性はありますか?
>生産性の意味がよくわかりませんが、その行動が相手の欲しいとしている欲求を満たすなど、直接的に役に立つことを生産性というなら、直接的には無いと思います。
むしろ、サービスを買う消費活動ですね。

ただ、預金の代わりに国債を買うなどの投資判断に生産性があるとも思えません。
もし、ここに、FPのような業務を自分で行い、その判断に生産性があったと判断し、利益を稼げたと考えるなら、FPのような業務をしたことに対しては生産性があるかもしれません。ただし、同時にそれを消費していますが・・・
これをギャンブルに置き換えて、
馬券の予想屋のような業務を自分で行い、その判断を生産性と考え、自己消費したと考えると生産性があるかもしれません・・・
なんだか、言葉遊びみたいになってすみません。

あとは、月並みかもしれませんが、無理やり生産性を書くとすれば、ギャンブルの経験を記事にすることで生産性があると程度かもしれません。今回の話を書いたり、あとで、人に話す時、実際にギャンブルにはまったことのない人よりはより親身になって話すことができ、役に立ちます。

ギャンブルはあなたやあなたの家族の将来を広げてくれますか?
>稼ぐことや、それを極めることができれば、より広げてくれると思います。逆に、農業であっても、輸入が自由化されるなど起これば将来の可能性は極めて小さくなります。他の仕事についても、一方的に将来が広がる仕事など何一つ思いつきません。例えば弁護士になるため勉強するなど、ハイリスク、ハイリターンだと思いますし・・・
ギャンブルが立派に出来たからといって子供に誇れますか?
>農業やサラリーマンで稼いだからといっても子供には誇れないと思います。もし、極めることができた場合、たとえば、ナンバーズや株価など、不確定の要素が予期できるなどすれば、それは、誇れることだと思います。

ギャンブルに係わるリスクは無視するのですか?
リスクに見合った稼ぎがありますか?
>すべての事にはリスクがあると思っていますが、
>期待値が1より大きければ検討の余地はあると思います。

補足日時:2007/08/03 15:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼欄で失礼しますが、箪笥預金、銀行へ定期預金、子供の養育費、外貨MMF、デイトレードはすべて、生産性がなく、原理的に金の奪い合いと見れなくもありませんが、いかが思われますか?
お暇があるときなどご返信いただけると幸いです。

お礼日時:2007/08/03 15:17

どうやら貴方はギャンブル依存症のようです。



・ギャンブルをしている時自分をコントロールできない
・借金をしてまでもする

厳密にはもう少しキチンとした診断基準がありますが、この事実だけで十分なようです。

貴方は3年間止めていました(それはすごいことと思いますよ)が、あるきっかけでまた始めてしまいった・・・・

医師は私の父(ギャンブル依存症)に言いました。
「自転車に乗れる人が、何年か止めていたからって、もう一生乗れないと思う?」と・・・
依存症とはそういうものなのです。
一度依存症になった人は、「機会プレーヤー(適度にお金をかけ、適度に止めることができる)」には永久に戻れないといわれています。アルコール依存と同じ理論です。

貴方は自分の状態を正確に把握し、これではいけないと思っています。実はこれはギャンブル依存症には珍しいことですが、ある意味ラッキーと言えます。

家族に迷惑をかけたくないのですね。
本当に重度のギャンブル依存になると、家族を思いやる気持ちなどなくなってしまいます。これは家族にとって本当に悲しいことなのです。

どうしても止めたいのであれば、まずはギャンブル依存専門の医師で診断を受け、病気や治療の説明を受けてください。

見つからなければ以下の自助グループのミーティングに参加してください。このミーティングに参加すること自体が治療になりますし、よい医師や治療へのきっかけを与えてもらえます。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/ga-japan/

良い方向へ導かれますように!

この回答への補足

回答いただきありがとうございます。

症状について、不正確なことを書いてしまいました。すみません。
訂正させて下さい。

正確には、この3年間は、ギャンブルとして、ギャンブルをしたことはありませんが、ギャンブルには参加しています。
しかし、機会プレイヤー以上に、機会プレイヤーであり、少なくとも、ギャンブルに依存している状態ではないと確信しています。
参加する理由は、完全に話題作りのため(仕事の関係上必須)であり、参加している時も、終わった後も、利益が出ても、損失が出ても、感情にほ、ほとんど起伏がなく、テレビゲームなどで発生する感情の起伏よりも、低いレベルにしかありませ。
参加する必要のない時には参加したいという感情が殆ど生まれず、予定外で参加したことは1度だけ(海外旅行で羽目を外した時、1日限り)しかありません。そのため、完全という言葉に、嘘がありましたので、訂正いたします。

しかし、ここ2、3日間だけは違っていました。
海外で羽目を外した時、3年前、9年前のような、昔のギャンブルに講じていた自分がでていました。
しかも、今日の損失がでる、2、3日間は、その昔の自分が出てきたことにほどんど気付かず、(気づいても気づかないふりをしていた?単純に、こんな自分が存在するのを忘れてた?)非常に怖く思っています。
実際、この2、3日間は、自営業なのですが、仕事を完全に休んでしまいました。掛け金も、預金や財布に余裕がありましたので、1か月分以上の給料を使い込んでいました。
ちなみに、通常使う時は、半日分の給料にも満たない額しか使いません。また、話題作りにそれ以上の掛け金をする理由もありませんから・・・

ギャンブル依存歴について
3年前の依存時は、1年半ほど社会生活を一切行わず、朝から晩までギャンブルの事だけを考えて、そのためだけに行動していました。辞めたきっかけは、僅か2日間で、自分の持っている預金の半分がなくなり、我に返ったという経緯があります。また、Excelで様々な期待値などを計算しても勝てる人もいるが、私には勝てないと確信できたのも後押しになりました。

なお、3年前の、6年前、今から、9年前には、かなり酷いギャンブル依存症(実際に参加した日数は毎日ではありませんが、期間は長く5年以上)でした。この時は、自分の貯金では賄いきれず、親から借金してまでギャンブルをしていました。毎日が楽しかったですが、機会プレイヤーと呼べるものではなかったと思います。



以上、長々と書いてしまいましたが、私自身、多分、ギャンブルに対する、依存体質はあると思うのですが、ブランクが長く、いったい、どの様に対処すれば良いのかわからないです。一切しないという選択(付き合いでも参加しない)を行ったとしても、将来、ギャンブルと知らずに参加してしまうこともあるかもしれません。投資や遊び、ギャンブルは非常に密接な関係があると思います。また、場合によっては、勝負をしなくてはならない場面もあるかと思います。
そう考えると、将来の自分が、再度同じ過ちをするのではないかと思えて仕方がありません。
この3日の事は、当分忘れることもなく、反省しておりますが、将来を考えると、自分が不安で仕方がありません。
こういった場合、どの様にすればよいのでしょうか?

長々と書いてしまい、すみません。
しかし、今日の出来事(ギャンブルに講じていた自分に気づいた事は、9年前や3年前を思い出し、非常にショッキングな出来事でした。

今日の出来事は、家族にも説明しましたし、これだけ書いていますので、明日、参加することはほぼありえないと思っています。

乱筆、ご理解いただければ幸いに思います。

補足日時:2007/08/02 23:59
    • good
    • 0

依存を断ち切った後に最も恐ろしい誘惑はまたギャンブルをする事ではなく、ストレスにさらされてギャンブルに逃げる事です。



3年間もギャンブルをやめていられたのなら、あなたは意志の強い人だと思います。そりゃ誰だってつい半端な間違いでギャンブルをまたやってしまうかもしれません。しかし、あなたはまたギャンブルにはまると恐ろしい結果になることを知っていますね。

問題は、いつもそういう気持ちでいられるかどうかですよね。
では、身近な人に約束をするとか、お金の管理を誰かにまかすとか、誘惑をコントロールできる方法が必要だと思います。

あともう一つ。気分が刹那的になってまたどっぷりギャンブルの歯車になってしまうともう後戻りが出来なくなってしまうという考えは捨てましょう。一度や二度失敗してもその時からやめれば少なくともそれ以上は苦しまなくていいのです。

あなたが苦しまない方法は単純です。セラピストも医者も要りません。ただ、ギャンブルをしない事です。(でもギャンブルの怖さはわすれてはいけませんね。)

3年もギャンブルの怖さを経験した上でやめたのですから、あなたは強い人です。あなたは失敗しても立ち上がれる人だと思います。きっとうまくいくように願ってます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
家の資産の管理は、残念ながら任せられる適任がなく私がしています。
MRFやMMF、普通や当座預金の違い、投信の危険性など、金融の事について勉強する気のない家族に任せるのは、日常の資金管理においては少し不安を覚えるためです。銀行などが、高利回りをうたい文句にする金融商品などを思わず買ってしまう可能性も否定できないためです。

将来、ギャンブルかどうか気付かない可能性、また、はまったときの自分に気付かない可能性が払拭しきれません。
こんな不安な感情も、2,3日たてば忘れてしまい、3年後には完全に忘れ、30年後には覚えてもいないかもしれません。
しかし、この体質が残っていると思うだけで不安になります・・・
考えすぎといえばそれまでですが、2度ギャンブルに依存したことがあり、3度目がないとは言えないと思っています。

お礼日時:2007/08/03 00:14

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aに関連する記事