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同じ「出し物名で同じ内容」の落語が上方にも江戸にも両方ありますよね。
例えば「寄り合い酒」とか「牛ほめ」「掛け取り」とか。

これってどういういきさつで両方に出来たのでしょうか?
又、上方と江戸(他に呼び方があったらおしえてください)が後から別れたのであればそのいきさつや、落語の歴史に詳しい方教えて下さい。

それと上記のように落語で上方に対する呼び名もどなたか教えて下さい。

A 回答 (3件)

まあ話せば長々と話さなければ


あなたも言ってる通り落語が成立したのは江戸時代ですね
そのとき江戸(京都に対して下方・下り・下らない)ではお座敷芸の一部として一部の粋人の支持を受け発達していきました
一方上方では今でいう大道芸の一部として演台ひざ隠しという形で寺の境内を基本に発達していきました
ですから江戸落語では人情話・怪談話などストーリー性の高いものが発達し円朝などの名人もその系統です
それに対して角付けからスタートした上方落語はお客の注意を引くため滑稽話や想像もつかないほどの今でいうSF的な話(愛宕山)や音曲話が発達していきました
それもすべて通り掛かりの人の注意を引くためです
明治になって双方に交流ができ上方話が関東に入ってきたのです(三十石船・百年目・愛宕山)
まあ落語の歴史は古いです自分で粋を極めてください
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この回答へのお礼

takawasihayabusaさん、ありがとうございました。
同じ落語でもルーツというか、成り立ちが違うのですね。

大変勉強になりました。

>明治になって双方に交流ができ上方話が関東に入ってきたのです(三十石船・百年目・愛宕山)

ということは、同じ出し物名がでてきたのは明治以降なのでしょうね。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/07/30 21:33

関東で師匠をしくじった芸人が関西に行ったり、またその逆もあったみたいです。

近い例では立川談志をしくじった人が桂三枝の預かりとなり桂三Qになったとか(うろ覚え、違ってたらすんません)

あるいは、ビッグネームがしばらく出稼ぎというと聞こえは悪いですが、一年ぐらい腰を落ち着けて寄席に出てたケースもあるようです。今は交通やマスコミの発達によりそんなことはありませんが、当時は珍しがられたり、重宝されたようです。

あ、似たケースでは、笑福亭鶴光が落語芸術協会の「客員真打」なる形で落語会などに顔を出しているというのもあります。
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この回答へのお礼

doquroさん、ありがとうございました。

そうですか?
昔は江戸と上方の行き来があったのですね。
テレビが無い時代でしたら、名前を変えて出てても全然わからんかったでしょうね。

鶴光はなつかしいですね。
私が知っているのはオ~ルナイトニ~ッポ~~ン。でした。
一応受験勉強しながら聞いていましたね。

お礼日時:2002/08/01 08:32

gokurakuyamaさん、こちらにも少し情報を!



>上方と江戸(他に呼び方があったらおしえてください)→これは江戸落語でOKです。上方落語に対して江戸落語となります。

↓のURLに「野ざらし」(江戸)「骨つり」(上方)の比較が掲載されていますので、参考になれば幸いです。

今回は自信なしです。(拓郎は自信ありですが…。)

by yama585

参考URL:http://www01.u-page.so-net.ne.jp/gb3/fukasawa/no …
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この回答へのお礼

yama585さん、こんな質問にもお付き合いいただきありがとうございます。

色々よくご存じですね。
早速URL見てみました。
私は上方ですので、この落語は「骨つり」として知っていました。

江戸落語でOKなんですね。
ありがとうございました。
落語も好きで又、質問立ち上げますのでよろしくです。

お礼日時:2002/07/30 21:03

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