プロが教えるわが家の防犯対策術!

この間ゴキブリを発見したので、見つけ次第、即効、新聞紙を丸めて殺しました。その後、ふと思いました。

私は理由も無く生き物を殺したんだ。。。と。

たとえば、蚊は刺されると痒くなるから殺す。
たとえば、牛や豚などは食べるために殺す。

人は生きていくために他の生き物をを殺して食べたり、害がある生き物を殺すのは自然界で生き残っていくためにしょうがないことですが、私は大した理由も無く生き物を殺しました。理由はただ、“気持ち悪いから・・・” それだけです。

ゴキブリなど理由も無く殺してもなんのおとがめもありませんが
犬猫などを殺した場合、”精神異常者”扱いです。

その差は一体あるのでしょうか?

差があるとしたら、すべて、すべて、人間の都合ですよね。

見た目が、気持ち悪い生き物は殺す。

見た目が、かわいい生き物を殺したらいけない。

こんな理不尽な理由なんて、殺される側からしたらたまらないですよね。

それでも人間は殺虫剤を作ったりして、ゴキブリを殺す。

こんな人間はエゴの塊だと理解して受け入れるしかないですか?

エゴの塊だったらそれはそれでいいんです。

でも、そんなエゴの塊の人間が、正義や道徳などを訴えます。

私にはそれがすべて“偽善者”に見えてしょうがないんです。

理由も無く生き物を殺すことが悪で無いなら

または理由も無く殺していい生き物の境界線があり、

理由がしっかりあれば、気分は晴れます。誰か教えてください。

もし上記に書かれていることが悪であり境界線があれば、

(極端に言うと)、人間を殺してはいけないという理由が見当たらないんです。

すべての生き物の”命”について一貫した気持ちで生きて生きたいのです。

これは無理ですか?

ゴキブリちゃんよ、気持ち悪いから殺しちゃった。ごめんよ と 思いながら 

人間などを殺してはいけない(あたりまえですが)のだ と 子に教え、

同じ生き物であるのに、何が違うのかと分からない矛盾を抱えながら

生きていかないといけないでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

良い事に気付きましたね。



人間の全世界共通の正義や倫理は二つしかありません。
「親、兄弟との交尾」
「人を食べてはいけない」
世界のごく一部はこれすらありません。

親族との交尾は、奇形が生まれる事が経験的にわかっているからです。
人を食べてはいけないのは、お腹が減っただけで自分が食べられると困るからです。

人殺しは、世界的に認められています。自分の社会以外なら罪になりません。それが戦争。そして死刑。
国連でも紛争の解決方法として認められています。
紛争とは、ケンカです。お互いが正しいと思ってケンカした場合、相手を殺していいのです。他人は必要ならば殺して構わないのです。

「正義」とは辞書に正しい道と書かれています。道は一本ではないのです。だから自分の道が一番と言い張った時、ケンカが起きます。
アメリカとイラクのニュースを見て下さい。アメリカが本当に正しいなら、テロリストはハイジャックしません。ハイジャックも正しいからテロリストはやります。
全部、偽善者なのです。でも自分が正しくないとは考えられないのです。自分が間違っていると考えたら自分が死ぬしかないからです。
だから、自分は信じなければならないし、その為に正義は間違っていても一つを選ばなければなりません。

かわいいから生かす。醜いから殺す。の考えは、古い宗教には厳密に決めてあります。
仏教は不殺が基本。動くものは殺してはいけません。でも植物は論外。そこでお坊さんは精進料理を食べます。
「がんもどき」ってありますよね?あれは雁モドキって書いて、鳥のガンにそっくりな味。という意味です。我慢してかわりに食べましょうって考えから生まれました。
イスラム教は豚を食べてはいけません。豚は汚いからです。
ヒンズー教は牛を食べてはいけません。牛は先祖の魂が宿っているから可愛がらなければならない。
キリスト教はなんでも食べます。それは森ばっかりで畑が作れなかったから肉しか食べなかったのです。
だから牛も豚も家畜としてバンバン食べます。家畜が植物と一緒で可愛くないのです。
現代になったら、イスラムとかヒンズーと知り合って、なにかウチの宗教おかしくない?って事に気がついて、
今まで食べなかったから、イルカとかクジラは実は可愛いんじゃないか?という考えからクジラ問題は発展しました。
この考えの延長で、野菜しか食べない菜食主義はキリシタンが一番多いです。

植物だって生き物です。野菜を粗末にしたら怒られるけど、雑草踏んでも怒られない。
ようするに、命の大事は、自分にとって、役に立つか立たないかだけで決まるのです。

仲のいい友達とただのクラスメイトを同じ時間、同じ気持ちで遊べるか?と同じで、同じにはできないのです。

長くなったので、ここで一度終わります。
疑問があったら、補則してください。疑問が多いので、必要な所を詳しく書きます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、住む国によって、宗教によって、善悪が変わる。
人間の全世界共通の正義や倫理は二つしかないのですね。
そうしたら、他人と同じ正義感を持つことは難しいですね。

このような現実を目の当たりにすると、なんだかむなしいですね。
でもdogdayさんのおっしゃっていることはその通りだと思います。
疑問はありません。

お礼日時:2007/08/24 16:08

そもそも食べるために殺すのはOKっていうところからしてどうなんだろう。


別に牛や豚に了解を取って殺しているわけじゃないでしょう。
同様に、あなたがゴキブリを食べたところで、ゴキブリは「食べてくれてありがとう」なんて思わないでしょうおそらく。
人間がエゴの塊というなら、野生動物に習ってみましょう。
野生動物は無益な殺生はしないというけれど、アリを踏まないように歩くライオンなんて見たことがありません。
殺していい悪いの境界について悩んでいるようですが、殺される側からすればそんな境界に何の意味もないと思います。

全ての生物は他者を殺さずに生きるなんて不可能です。
神様がそう創ったんだから、きっとそれでいいんでしょう。
人間は人間がすごしやすいような社会を作りました。
人間が人間を殺してはいけないのも、すごしやすい社会を作るためのルールです。
人間が作ったものの中には正義や道徳なんてものも含まれます。
神様が用意したものじゃなくて人間が作ったものだから矛盾だらけです。
矛盾だらけな理論を元にあれこれ考えても不完全な答えしか出ないような気がします。
であるならば、ゴキちゃんに心悩ませるより前に、食卓に並んでいる牛や豚の犠牲に感謝する方がいいのではないでしょうか。
なぜならあなたはゴキちゃんではなく牛や豚のおかげで生きていけるのだから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>全ての生物は他者を殺さずに生きるなんて不可能です。
>神様がそう創ったんだから、きっとそれでいいんでしょう。

そうですね、そう考えることにします。
殺していい生物の境界線なんて無いですよね。
こーゆー世界なんだと思うことにします。

お礼日時:2007/08/31 13:11

害のあるものが嫌いになるように人間の脳がなっているからです。

臭い・まずい・醜い・騒音等という5感に不快な刺激は毒等から身を守るために必要です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

人間が自分を守るための本能なんでしょうか?

それが本当なら、答えが見つかりそうなんですが。。。

お礼日時:2007/08/27 17:05

まったくそのとおり、可愛いから殺してはダメでキモいから殺さなきゃという身勝手な理屈です。


ばい菌がどうのこうの、というのもその身勝手さをごまかすための方便でしかありません。外へ放り出せばすむのですから。
病原菌が多いというのならノラネコなども殺さなきゃなりません。実際にネコひっかき病、という病名があるくらいですから。
衛生面から見ても発見次第駆除しなければなりません。
これは人間が生活していく上で仕方のないこととしか言いようがありません。
ノラネコなどはそれ自体が罪深い存在ではないでしょうかね。
人間が地上で一番高等な生き物だとかそういう驕りやエゴはなくすべきです。
自然と他の生命と共存する心はとても大事です。
しかしノラネコにそんな感傷を抱いていてもどうしようもないのでは・・・。

これは理論的には全く正しい。しかし受け入れられないのはネコが可愛いから、それだけです。

感情も時には大切でしょう。しかし、矛盾していては(命は大切にしましょう、けどゴキブリはキモいから生きてる値打ちなし)他人には受け入れらません
自分だけで完結していればいいのですが、自分の偽善を他人に強要しようとする連中がいます。可愛いから殺すなと強要、でも自分はキモいからゴキブリは殺す。
自分の身勝手さの強要はやめて欲しいものですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

全くもって以下の通りです!!!

>矛盾していては(命は大切にしましょう、けどゴキブリはキモいから>生きてる値打ちなし)他人には受け入れらません
>自分だけで完結していればいいのですが、自分の偽善を他人に強要し>ようとする連中がいます。可愛いから殺すなと強要、でも自分はキモ>いからゴキブリは殺す。
>自分の身勝手さの強要はやめて欲しいものですね。

お礼日時:2007/08/27 17:03

>その差は一体あるのでしょうか?


 コミュニケーションの可否は一つの大きな基準になるでしょう。ある程度の意思疎通が可能である(少なくとも人間側がそう思っている)動物を殺すというのは日本や西洋の文明圏では躊躇われることですし、事実それを愉悦の為に行う人間には精神異常者の割合が多いように思います。

>人間の都合ですよね。
仰る通りです。

>こんな人間はエゴの塊だと理解して受け入れるしかないですか?
他に人類を根絶する、解脱する等の方法が考えられます。

>人間を殺してはいけないという理由が見当たらないんです。
個人的にはそれは道徳というよりルールの問題だと思ってます。人を殺してはいけないという共通理解がなければ世の中はとても危険なものになってしまいます。そしてこのルールは非常に普遍性が高いからこそ、道徳のレベルまで祭り上げられたのだと考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

結局、人間の都合で作ったルールですよね。。。

お礼日時:2007/08/27 17:01

なんか深いことをお考えのようですね。


仏教だとその辺は輪廻転生と因果応報で説明してますね。業、カルマですね。殺せば殺される、と……
キリスト教だと人間と動物の間に明確な一線を引いて説明してます。
もっとも、キリスト教には原罪という考え方があるので人間を無条件に肯定してるわけでもないですけど。

で、ご質問ですが
・理由もなく生き物を殺すこと
これは大体どんな社会でも悪いことだとされているんじゃないでしょか?
もちろんしらみつぶしに調べたわけではありませんが。

もちろん根拠というと皆さんの回答どおりあやふやなものなのですが。
なぜこうなったかというと、結局それが悪だとされていない社会、
気に入らなければ殺していいとした社会は崩壊して残らなかったんじゃないかと思います。
殺人が日常茶飯事では社会が成り立ちませんし、赤ん坊が成長することすら難しいのではないでしょうか。
そういう倫理の社会は淘汰されていって、根拠があやふやに見える倫理が支配する社会が生き残った。
そういうことだと思います。

・理由も無く殺していい生き物
キリスト教では、動物は人間の糧として作られたため、殺すことは悪ではないとされているはずです。
しかし、あくまで食べるためであって、たとえば楽しみのために
殺すことは許されているかというと…ちょっとわかりませんね。
推測ですが、動物も神の被造物であるのなら、これをむやみに傷つけるのは
神への冒涜になるということになるのでは?
そういう意味でキリスト教でも、意味もなく殺していいとは言ってないと思います。

あと、気になったのでひとつ。
>すべての生き物の”命”について一貫した気持ちで生きて生きたいのです。
とのことですが、御自分の命についての注意が欠けてように思います。
なんというか、人間ではなく神の視点に立って物事をお考えになってる気がしますね。

極端な話、気に入らない生き物は殺していい、そういう倫理の社会であれば、
当然あなたを気に入らない人間はあなたを殺していい、ということになります。
それについてはどうお思いですか?
殺す側だけじゃなく、殺される側に立つ場合もありうるんだということですね。

倫理というのはそういうものではないでしょうか。
殺されるのが嫌なら殺すな、という約束事がだんだんと理論として発達していったんだと思います。

で、ゴキブリですが、病原菌の塊であることは皆さんのご指摘のとおりです。
食べ物も食い荒らして駄目にしてしまいますね。
僕なら見つけ次第殺します。病死したり食べ物なくて飢え死にするのは嫌ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

理由も無く殺してもいい生物は存在しないということですね。
長い歴史の中で何かしらの理由ができ、今のような社会になっているんですね。

でも、ゴキブリが害があるから殺すと考えて殺す人はすべてではないと思います。
気持ち悪いからという理由だけで殺す人も居ると思います。
例えば小さい蜘蛛とかも私、害があるなんて思わず、理由も無く殺してしまいますもの。

>極端な話、気に入らない生き物は殺していい、そういう倫理の社会であれば、
>当然あなたを気に入らない人間はあなたを殺していい、ということになります。
>それについてはどうお思いですか?

有り得ないです。 なので余計に、ゴキブリを殺したくないなぁと思っています。

お礼日時:2007/08/27 16:58

いや、別に、犬だって私んちの家の中にカサカサ・もしくはごそごそ出てきたら、そして1匹いたら30匹家の中にいるって言われたら見つけ次第殺しちゃうと思うよ。


人んちの中に勝手に入ってきたら(もしくは生まれてたり)そりゃ殺しちゃうでしょ。普通だよ。
下手に逃がして増えて恩返しに戻ってきたら大変じゃん?

たとえば、あなたが直接殺さなくったって、可愛い犬猫は全国の保健所で毎日大量殺戮されてるし、
崇高なはずの人間だって全世界で虫けらのように殺され続けてる。
あなたが知らないだけだよ。
倫理と現実は乖離してるってこと。
タブーは所詮、動物である人間のサイドブレーキにしかならないからさ。
所詮人間なんて偽善者って言うほど立派じゃないから安心しなよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そーですね、ちょっと視野を広げたら

私は平和ボケの悩みなんだな と思いました。

お礼日時:2007/08/27 16:28

#1です


よく見たら質問には答えてませんでした(笑)

ゴキブリは生理的に受け付けられません。
そういう意味では「嫌い」という表現が正しいとは
あまり思えないです。
見つけたら即(自分の都合で)殺してしまいます。
でも、本当は殺したくありません。
そんな時はいつも
「虫語がしゃべれたらなぁ」
と、思います。
ここに入ってくると死ぬよ?っていうのを
伝えられれば、わざわざ殺さずに済むわけですよね。

でも、誰もそういう発明はまだしてくれません(笑)
虫除けみたいにゴキブリ避けのナニかを
誰か作ってくれませんかねぇ。
人体に悪影響でないヤツで…

ん? やっぱり回答してないか…(苦笑)
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この回答へのお礼

またまたご回答ありがとうございます。

私も思うんです。

(多分)長い間、ゴキブリは人間に殺されていたから

殺されないように、進化しないのかなぁ~ 知恵をつけないのかなぁ~

と、思うんですよね。

見た目をかわいくするとか(笑)

そーすれば無意味に殺さないのに。。。

お礼日時:2007/08/24 23:37

元々人間は罪深い生き物なのです。


他の動植物を殺して食べなければ生きてゆけないのですから。
他の方も仰っていますが、ゴキブリは百害あって一利なし。
衛生面から見ても発見次第駆除しなければなりません。
これは人間が生活していく上で仕方のないこととしか言いようがありません。
ゴキブリなどはそれ自体が罪深い存在ではないでしょうかね。

動物を意味もなく食するための目的以外で殺害するのは当然いけません。
ですから食べ物を食するときは我々は他の動植物によって生かされているのだと感謝の気持ちを忘れてはいけません。

人間が地上で一番高等な生き物だとかそういう驕りやエゴはなくすべきです。
自然と他の生命と共存する心はとても大事です。
しかしゴキブリにそんな感傷を抱いていてもどうしようもないのでは・・・。

勿論、私も殺すことにはかなり抵抗は感じています。
できることなら、とは思いますが事実上やむをえないのです。
たとえ害虫でも殺せば弔う気持ちは忘れないようにしております。
私が言えることはこれくらいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>元々人間は罪深い生き物なのです。

結局はこの一言に尽きますかね。

害虫を殺して弔う気持ちを持っても、すべて人間だけの都合ですね。

お礼日時:2007/08/24 23:34

例え輪廻転生を信じていなくても、「今度生まれてくるときは、ごきぶりなんかに生まれてくるんじゃないよ」と、一言添えてあげると、気持ちが安らぎます。


マクロに悩む(大宇宙から見たら、自分なんて、芥子にも当たらないちっぽけな存在・・・)ことも、必要なら、ミクロに悩む(ごきぶりの命を軽んじてしまった・・・)ことも、時として、必要だと思います。
ここ数日、部屋に入り込んでくる、セミの断末魔に悩まされています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も、セミには苦労してます(笑)

お礼日時:2007/08/24 16:14

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