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人から聞いたりしたことって、2~3日は覚えていても、しょーもない内容だったりすると途端に忘れてしまうと思うのですが、
私の知り合いで、何気ない発言を1年たっても覚えている人がいます。

きっと知能指数が高いのだろうなぁと漠然と思っていましたが、
大体人間というのは平均どれくらいの時間覚えているものなのですか?

覚えなければならない事項や、日常の何気ない事など、幅広いとは思いますが。
3歳児の記憶力が30分だというのをテレビかなにかで聞いた記憶があります。
成人だと…やっぱり2~3日なのですか?

A 回答 (4件)

全然違う観点からですが、記憶にはなにやら種類があるようです。


アルツハイマーにかかった人が最近のことは忘れてしまうけれど
若いころの話は鮮明に覚えているとか。

短期記憶と長期記憶とに分けられていたと記憶しているのですが、
短期記憶である限りにおいてはすっぱり忘れます。これはどうしようもないことみたいです。
それに対して長期記憶は忘れようとしても忘れられないようなものが多いみたいです。
短期記憶を長期記憶に置き換えることもできるようで、これが反復の効果だと聞きました。
きっと感動も長期記憶を形成するのに一役買っているのでしょう。

ところで「何気ない一言」とありましたが、それは質問者さんにとっての「何気ない」であって、覚えていた方にとってはそれなりの意味があったのではないでしょうか?道端の風景や通り過ぎた車のナンバーまで覚えてるぞ!というような超人なら話は別ですが、意味のないことを何日も覚えていられるほど人間の脳みそは容量を持っていませんし、そんなに暇じゃないですから。
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この回答へのお礼

なるほど。記憶にも種類があるのですね。
私にとっては短期的な記憶だったのが、友人にとっては長期記憶だったわけですか…はい、確かに、それなら筋が通ります。
知りたかったことがわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/08 23:06

こんにちは。


三歳児で30分ならば母親の顔を憶えることはできませんよね。成人で2~3日ならば小学校から高校までの授業は全て無駄ということになってしまいますし、大学に進学するならばお金をドブに捨てるようなものです。
テレビの三歳児の話は脳の発達を確かめるために何か特定の学習をさせるといった実験ではないでしょうか。質問者さんが日本語を話すことができるのは、それが一生忘れない記憶であるからです。
「学習記憶の保持期間」といいますのは「記憶の保存方法」によって異なり、「覚えやすさ」「思い出しやすさ」といいますのは「脳の覚醒状態」と「情報の内容」によってかなり左右されます。

「記憶の保持期間」といいますのは神経系で特定の情報が保持される時間でありまして、保管される場所によって概ね決まってしまいます。

「一時記憶:0.1秒~1秒前後」
「短期記憶:数秒~数日(場合によっては数ヶ月、特例的に二年)」
「長期記憶:数年~一生」

このうち、「一時記憶」といいますのは目や耳などの感覚器官の神経細胞に留まる信号であり、何の注意も払われなければ1秒も持たずにそのまま消えてしまいます。ですから、我々が実際に使うことのできるのは「短期記憶」と「長期記憶」の方であり、一般に「学習記憶」といいますのはこちらをいいます。

「短期記憶」といいますのは大脳皮質において認知作業を行う機能を持つ連合野の中に「短期保持」される情報です。
感覚器官の一時記憶は知覚系に「注意状態」の扉が開かれますと、感覚野での「知覚処理」を一気に通過して大脳皮質内の「知覚連合野」に取り込まれます。このような「知覚情報の短期保持」といいますのは連合野が「認知作業」を行うための情報でありますから、「短期記憶」というのは基本的には認知作業が終われば消えてしまわなければならないものです。ですから、一回しか使わなかったり、何度も見聞きして入力が繰り返されたりしなければ、2~3日はおろか数秒で忘れてしまいます。

これに対しまして、「長期記憶」といいますのは同じ情報の入力や短期保持が頻繁に繰り返されることによって連合野内の短期記憶が大脳皮質の記憶領域に「長期記憶の記憶回路」として書き写されたものです。
「短期記憶の回路」と違いますところは、「長期記憶の回路」といいますのは「神経接続の強化」と記憶回路を構成する細胞内での「タンパク質の合成」が行なわれるということです。これがどういうことかと申しますと、「長期記憶回路」には情報を保管するための回路接続だけではなく、「その接続の強化」や「タンパク質の合成」といった「物理的な可塑的変化」が記録としてしっかり残されるということです。このため、短期間で消えてしまう短期記憶回路とは違い、長期記憶といいますのはこの物理的な状態が持続する限り使わずにいても忘れてしまうということはありません。これが、長期記憶が一生ものとなる理由です。

このような「接続の強化」や「タンパク質の合成」といった長期記憶回路における可塑的変化といいますのは、入力が繰り返されることによって増強され、信号が強ければ効果は高くなります。ですから、しつこく何度も言われたり、注意力を集中して学習を積み重ねるならば長期記憶は自然と作られますし、感動したり怖い思いをしたときなど、印象の強いものはより記憶に残りやすくなります。

このように短期記憶を保持し、認知作業を行う連合野といいますのは長期記憶を形成する場所であり、我々の脳内には以下のようなものがあります。

「視覚連合野:視覚情報の記憶(非陳述記憶)」
「聴覚連合野:聴覚情報の記憶(非陳述記憶)」
「言語野:言語情報の記憶」
「海馬:論理的な情報の記憶(陳述記憶)」

このような中枢機能といいますのは通常、脳の「安静覚醒時」には「5TH(セロトニン)の恒常分泌」によってその機能が抑制されています。つまり、余計なことは覚えない、無駄な労力は使わないというのが我々の脳の「安静覚醒状態」であります。では、ここに「NA(ノルアドレナリン)」や「Ach(アセチルコリン)」などの分泌が行われますと、神経系の覚醒状態は一斉に亢進され、脳は慌てて仕事を始めます。
まず、「NA(ノルアドレナリン)の広域投射」によって「5TH(セロトニン)の恒常的抑制」が解除されますと、知覚系に「注意状態」が発生し、感覚系からの一時記憶に知覚処理が成されるならば今度はそれを対象とした「選択的注意状態」に移行します。これによって知覚情報の認知が行われるようになりますと、論理記憶を扱う「海馬」ではNAによる「5HT抑制の解除」だけではなく、「Ach(アセチルコリン)」の投射によって記憶形成の作業が加速されます。

環境からの知覚入力に対して判定を下し、このような神経伝達物質の分泌に指令を出しているのは「大脳辺縁系の情動反応」です。大脳辺縁系は身体内外からの知覚入力に対して情動反応を発生させ、この信号が神経伝達物質を分泌する神経核に送られることによってNAやAchの投射が開始されます。
このように、外部環境の変化に対する神経伝達物質の分泌といいますのは大脳辺縁系の情動反応によって行なわれるものであり、脳内の覚醒状態はこれによって亢進されます。ですから、外部情報を長期記憶として保存する作業といいますのは必ずや情動反応を伴いますので、感動したり怖い思いをしたりしたときの印象といいますのは必然的に記憶に残りやすくなります。
では、これでどのようなことが可能になるかといいますと、まず、情動反応が発生しなければ「注意状態は作られず」、脳は休憩状態を維持します。
そして、

食べて美味しかった、やって得をした:報酬刺激:注意状態。
怖い思いをして危険だった:嫌悪刺激:注意状態。
産まれて初めて体験する:新奇刺激:注意状態。
産まれて初めて体験する:不安状態:注意状態。

自分にとって利益であること、
自分にとって不利益であること、
何度も繰り返され使用頻度の高いこと、
いままで体験したことのないこと、
学習記憶として獲得されなければならないのは即ちこのようなものであり、我々動物の脳はそのような構造になっています。

短期記憶とは忘れても良い記憶でありますが、ここでは長期記憶のような何らかの可塑的変化や作用があるのかということはまだはっきり分かっていません。ですが、2~3日で忘れてしまうというのは恐らく長期記憶になり損ねた短期記憶である可能性が最も高いと思います。
長期記憶には記憶回路にはっきりとした可塑的変化が確認されているため、消えてしまう短期記憶とは違うものだと申し上げましたが、では、原理的には一生ものであるはずの長期記憶が失われてしまうというのは何故かということになりますと、こちらもまだはっきりとした解明は成されていません。
記憶といいますのは、
「記憶の形成」
「記憶の保存」
「記憶の再生」
というプロセスがセットであるため、何処に問題があるかによって「忘却」というものの性質が違ってしまいます。
例えば、記憶の形成が上手くゆかなければ「覚えられなかった」ということですし、記憶の再生ができなければこちらは「思い出せない」ということです。真ん中の「記憶の保存」といいますのは、これは恐らく生理的な要因しか考えられず、記憶回路の可塑性が崩れてしまうか、脳の傷害によるものということになると思います。

このように、記憶には「覚えやすい」と「思い出しやすい」といった二つの要素があります。これまで申し上げましたように、これには注意力や情動といった脳の状態がはっきりと関係しています。そして、我々にとってはその内容や性質によって明らかに「覚えやすい情報」また「思い出しやすい情報」というものがあります。
例えば、「3456」とった組み合わせが暗証番号に使われないのは、辻褄が合っていて余りにも覚えやすいからです。このように、その特徴を「論理的に再現」できたり、言葉で説明することのできるものを「陳述記憶」といい、このような連合機能は「海馬」によって司られています。
これに対しまして、視覚や聴覚から獲得された「感覚連合野」で扱われる「感覚記憶」といいますのは「非陳述記憶」に当たり、言葉で言い表したり論理的な判断が下すことができないため、我々にとってはたいへん扱いづらい記憶ということになります。
では、感覚記憶というのは確実に覚えたり正確に思い出したりすることができないのだから記憶としては当てにならないということになりますが、決してそんなことはないです。例えば我々は山田さんと木村さんの顔を瞬時に見分けることができます。ここで山田さんと木村さんの顔の違いを論理的に比較して判定を下すというのは極めて困難なことなのですが、感覚記憶ではそれが簡単にできてしまいます。
これがどういうことかと申しますと、感覚記憶の役割とは過去の体験を正確に再現することではなく、現在の状況との比較を瞬時に行なうということであるということです。陳述記憶は正確な情報の再現が可能ですが、このようなことには不向きです。ですから、比較すべき情報が与えられていない状態で感覚記憶を正確に再現するというのは誰にとってもたいへん難しいことであり、それをやろうとするならば、やはり、画家やディザイナー、あるいは音楽家のような、ある程度の鍛錬というものは必要なのではないかと思います。

記憶の思い出しやすさには覚え方というのもありますよね。
「いよ! 国が見えた:1492年アメリカ大陸発見」
我々は学生時代、歴史年号のゴロ合わせというのをやりました。
これは「連想記憶」というものでありまして、同一対象から同時入力された情報の同士が連想関係を持って記憶されるということであります。
我々の脳内では記憶というのは、種類、性質、用途などの要素によってカテゴリー分類されているわけですが、このような連想記憶といいますのは多くの人類に共通のツリー構造ではなく、個人的な体験に基づく横の繋がりであり、我々はこれによって自分の体験に基づく柔軟な記憶の運用を行います。

さて、「ちゃんこ鍋」という言葉を聴いたら渡辺さんのことを思い出した。「ちゃんこ鍋」と「渡辺さん」にカテゴリー属性が存在しないというのは明白ですし、経験的な連想関係も結ばれてはいません。
あるのは「ナベ」という発音の共通点だけでありますが、このようなものを「手掛かり記憶」といいます。つまり、我々の脳内の記憶回路といいますのはたいへんいい加減なものでありまして、100%同一の入力でなくても反応は幾らでも発生してしまうんです。このため、コンピュータには真似のできない柔軟な思考が可能であるわけなのですが、勘違いは山ほど発生します。
この「手掛かり記憶」といいますのは記憶のツリー構造や連想記憶の横の繋がりといった情報検索とは異なり、瞬時に特定の記憶情報が想起されるという特徴を持っています。
ですから、
例えばひとの名前を思い出すとき、
「カキクケコ、あ! 小暮さん」
などといった必殺技が可能となります。

現在、脳科学では記憶を作るためのメカニズムといいますのはその多くが解明されています。ですが、「忘却曲線」や「処理深度」など、心理学でも様々な学説がありますが、「忘却」というものに就いてはまだほとんど解明されていません。
忘れるというのはどういうことなのか、
何故、思い出せないのか、
どうして忘れられないのか、
長々と、つい余計なことばかり書いてしまいます。
脳っていうのは、本当に面白いですよね。

>私の知り合いで、何気ない発言を1年たっても覚えている人がいます。

根に持っているんじゃないですか(参考意見)。
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この回答へのお礼

私の質問のためにこんなにも時間を割いていただき、ありがとうございました。
大変勉強になりました。

お礼日時:2007/09/08 22:58

感動するためには、感性力を高めておく必要がありますね。



では、感性力はどうすればたかまるか? ご存知ですか?
それは、じぶんの体を正常な機能を維持するような生活を習慣づけることです。

簡単に言えば、早寝、早起き、朝ご飯です。
朝、早く起きて太陽お光を全身に浴びて、ラジオ体操をしっかりとして、
30分後にしっかりと朝ご飯、ご飯ですよ、を食べてから、机に向かうということです。出来るだけ楽をしないで、つまりエレベーターやエスカレターを使用しないで階段を使い、汗をかいて動きまくりこと。
そうすれば、食事もおいしく頂けますし、感謝して「いただきます!」といいながら食事をしましょう。

感動は、身体が正常な機能を維持していないと湧き出しませんよ。

夕方には、夕日を眺めて一日の行動を振り返り、明日の予定や思いをしっかりと心に描いて、楽しかったことを想起し、失敗はどうしたらまた失敗しないかを反省し、10時には床につくことです。

要するに、お坊さんの生活に出来るだけあなたの今の生活を近づける努力をすることにつきます。簡単そうで、簡単でない生活。
自然のサイクルに従う生活を続けてみて下さいね。
平凡な毎日、これが大切です。
食事内容は、出来るだけ質素にしつつ、バランスよく食べましょう。

食事内容(食べ物=生き物=いのち)が、あなたの体と脳を作り上げているのですから。

むつかしい理論よりは、実行あるのみ。
このような生活を1ヶ月は続けてみて下さい、
これでもだめなら、一度医者に診て頂いてくださいね。

齢60歳のおじさんより
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この回答へのお礼

大変素晴らしいお話をありがとうございます。
確かに理想的な人間の生活を行っていれば、あらゆるものに感動することができそうな気がします。
私も親の下で生活していた頃は、そういう生活ができていたと思います。
しかし今は仕事に追われてなかなかそうもいきません。
では、susuicd48さまのご回答ですと、人間の記憶力の耐久時間は「何時間でも可能」ということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/08 10:41

記憶を長く持たせる方法としては、感動することです。

 人間は完全に忘れることはありません思い出しにくいだけなのです。
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この回答へのお礼

なるほど。確かにそうですね。
脳の中の引き出しを探しやすいということでしょうか。

では感動しがたいものだったら?
私は世の中の全てには感動できません。

お礼日時:2007/09/07 15:33

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