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章安大師が天台大師の講義を筆録した『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』(天台三大部)に南無妙法蓮華経の字句は記載されているのでしょうか。

法華系新興宗教教団の方が、教団の正当性の理由に天台智顗も南無妙法蓮華経と唱えていたと主張していました。
羅什三蔵の訳した妙法蓮華経に天台智顗が南無を冠して南無妙法蓮華経と唱えていたのでしょうか。
もしも唱えていたとしても中国語でナムミョウホウレンゲキョウと発音はしないと思うのです。
よろしくお願いします

A 回答 (5件)

創価学会、壮年部の者です。



私の所持する、「創価学会入門」(創価学会教育部編:聖教新聞社)の中には天台大師・伝教大師の自行の題目(南無妙法蓮華経の唱題行)について次の記述があります。
実際の所、私自ら「玄師伝」「修禅寺決」「師道邃からの相伝(書?)」を見て調べたわけでは無いので、検証は専門の方にお任せしたいと思います。

天台大師
玄 師 伝:「一切経の総要とは所謂南無妙法蓮華経の五字なり」

修禅寺決:「天台大師・毎日行法日記に云く、読誦し奉る一切経の総要毎日一万遍」

伝教大師
師道邃からの相伝:「一念三千に三重あり、一に常用の一念三千・二には別時の一念三千・三には臨終の一念三千・乃至臨終の一念三千の観とは妙法蓮華経是なり、妙即一念・法即一念是の故に一念三千と名異義同なり、臨終の時専心に南無妙法蓮華経と唱うべし」

と、書かれています。
この本は1980年発刊の入門書であり、当然古文を現代文に訳されていると思います。また、創価学会教学部編とはありますが、日蓮正宗大石寺の教学要集などを参考に編集されたものだと思います。

また、当時伝教大師はご存知のように海を渡られ、天台仏教を日本に持ち帰ります。その際の修行過程の中で、「ナムミョウホウレンゲキョウ」という音として持ち帰り、帰国後相伝された事も考えられます。
この点につきましては、是非中国の語学の識者の方の意見も聞いてみたいところです。

非常に興味深い質問であり、早急に真実の答えが世の中に開かれる事を希望いたします。
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参考追伸


仏教への帰依の本来的な姿は3宝(仏(釈迦如来)、仏の説く法、仏の作られた僧団)へ帰依することを言います。これを仏帰依、法帰依、僧帰依とも呼びます。仏が世にあるときは仏帰依が主体ですが仏が入滅後は仏の教えに依拠して修行するということが主流になります(これを自灯明といいます)。しかしどのような場合でも仏を信じて仏に帰依しない限り、仏の教えに依拠(帰依)して修行する意味はまったくないといえます。つまり、「私は釈迦如来を信じ帰依します、釈迦の教えを学びその教えを実践して生きて行きます」ということですね。天台智顗は仏教の世界では空海上人と同じく仏教の奥義を極められたお方です。それは一念三千論で見事に表されています(人の思いは三千世界に通じるという教え)。死んだらみんな仏になるや念仏やお題目を唱えれば救われるなどの陳腐な思想で仏教の高みを下げたお方ではありません。本道の頂点にいるお方ですから、伝教から始まった陳腐な思想や悟りしか持たないものが本物の高僧を評価し、いいように解釈するなどもってのほかと言うことなのです。
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 唱題行を宗義の中核に置くのは日蓮によるものでしょうが、法華経の題目を唱えることや、「南無妙法蓮華経」の名称は支那・日本において古くより行われていたようです。


以下は『望月 仏教大辞典』からの引用で、原文を確認していませんが参考までに(旧字は新字に変更しました)。

・『法華伝記』第五劉宋法華台沙弥条に「沙弥本意を憶ひ、自ら能く覚えず法華の題目を誦するに、獄中の罪人皆蓮華に坐し、地獄変じて涼池となる」と記載。(※法華台沙弥…天台教学を学ぶ若年の修行僧の意味)

・『続高僧伝』第十七天台智顗に臨終の際に法華題目を唱えたとある。

わが国の天台宗においても
・最澄招来と伝わる『法華懺法』に「南無妙法蓮華経」の句あり。

・『修禅寺相伝』私注に「臨終の時、南無妙法蓮華経と唱ふれば、妙法三力の功に由りて速に菩提を成じ、生死の身を受けざらしむ」と記載

・心賀『二帖御抄』巻上に「只だ南無妙法蓮華経と十二時に不断に唱ふるの計りなり」と記載

・『諸寺縁起集』勝尾寺證如に「或は大乗の方法を説きて南無妙法蓮花経と称せしむ」と記載

・恵心院源信の空観に「娑婆の穢土を厭ひて極楽浄土を欣ひ、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無観世音菩薩と唱ふべし」と記載

・檀那院覚雲の『念仏宝号』に「南無開三顕一開近顕遠一切衆生皆成仏道平等大恵一乗妙法蓮華経」と記載

特色としては、いずれも阿弥陀如来信仰・極楽往生信仰と深くかかわっているところです。
 もともと法華経は特定の宗派に限定されるものではなく、通仏教的に広く信仰され、特に滅罪の経典として仰がれたことです。その滅罪の力と阿弥陀の本願力によって極楽浄土に往生するというものです。この信仰は山岳信仰とも結びつき、法華経を納めた経塚などの多くには、阿弥陀如来の種字(梵字)が書かれます。
 ですから、だれが一番始めに唱えたかは断定はできませんが、法華経が成立し、その信仰が拡大して時点で唱題の原型のようなものは存在したと思います。日本でも日蓮以前から「南無妙法蓮華経」は存在し、信仰はあったようですが、それは日蓮教学における唱題とは異なるものでしょう。
 なお、真言宗智山派総本山の智積院で行われる「報恩講」では法華経の「如来寿量品」が唱えられ、真言宗による「法華経法」が修されます。その次第にも「南無妙法蓮華経序品第一」と記されています。   また弘法大師の法華経論である『法華経開題』には、「妙法蓮華」とは自性清浄の境地を表す観自在菩薩(阿弥陀如来の衆生救済の働きを象徴し、観法<瞑想>自在なる大乗の修行者の意味)の瞑想の境地を表し、梵語での原題「サッタルマフンダリキャスートラム」の九字は、胎蔵曼荼羅の八葉蓮華に座する五仏・四菩薩の九尊を表す曼荼羅であると論ずるなど、法華経に限らず経典の題名は本文の意義を象徴するという信仰・教学は、特定の宗派によらず通仏教的に存在するでしょう。

 ご質問の件ですが、『続高僧伝』の記述の基づけば、智顗が法華経の題目を唱えた(あるいはそのような信仰を持っていた)可能性はあります。それがどのような形なのかは原文を見ないと分かりませんが、調べる一助としてください。
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「天台智顗が南無を冠して南無妙法蓮華経と唱えていた」


絶対にないでしょうね。蓮華経もお経でしかありません。天台智顗は仏(釈迦如来)に帰依(南無)していたのであって、お経には帰依していません。お経は仏の教えですね。仏の教えの中でも天台智顗は「法華経が仏の本質」を表していると捉えてただけですね。実際にそうなんですがほとんどの人には理解不能でしょう。後世中国から写経を持ち帰った最澄でさえ内容は理解できなかったと思いますね。当然、法然や親鸞でさえさっぱりわからなかったと思いますね。日蓮もですね。 法華経の内容がさっぱりわからなかった日蓮が念仏宗派の人気を見て作った造語であることは間違いないでしょうね。百万の理由をつけても「法華経」の内容がわかるとそうしか言いようがないと思いますよ。
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この回答へのお礼

天台智顗が題目を唱える事は絶対無いとの確信あるご回答は大変参考になりました
ありがとうございました

お礼日時:2007/09/18 04:37

大学で、天台学を少しだけかじりましたが、天台大師が「南無妙法蓮華経」と唱えていたということは、聞いたことがありません。


まあ、専門的に学んだわけではないので、絶対にないとは言い切れないのですが。

現在の日本の仏教界では、“「南無妙法蓮華経」といえば日蓮宗”という図式ができあがっていて、それ以外の宗派はその表現を忌避する傾向にありますから、仮に「南無妙法蓮華経」と言っていたとしても、「南無」を「帰命」とか「帰依」というような言葉に置き換えて説明していたのかもしれません。

もちろん、天台大師は『法華経』を最重要視していたのですから、その経典に「南無=帰依・帰命」していたことだけは確かです。

それにしても、“天台大師が「帰依妙法蓮華経」と、日蓮宗の唱える題目のように、二六時中唱えていた”などということはないと思います。
それよりも、『法華経』の内容を説くことに腐心していたのではないかと思います。

要は、少なくとも『法華経』を最重要視していたことだけは確かですから、それをもって「天台智顗も南無妙法蓮華経と唱えていた」と拡大解釈されたのでは。

それに、天台大師が「南無妙法蓮華経」と唱えていたことをもって、教団の正当性を主張するならば、その法華系教団は、天台宗の軍門に降ったと言っているようなもので、おかしな話ではありますね。

ちなみに、『大正新脩大蔵経』など、現在一般的に流布している「法華三大部」には、「南無妙法蓮華経」という語句は記載されていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
天台智顗が題目を唱えていたかどうかの根拠が曖昧のまま法華系新興教団の方が唱えていたと言いましたが、こちらも唱えていない根拠を出せないので言い分を聞くだけにしました。
天台智顗が法華経を重要視していたのを拡大解釈したのではないかとのアドバイスは大変参考になりました

お礼日時:2007/09/18 04:33

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