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あまりの文字数制限に唖然とした。脳の覚醒時と睡眠時では、覚醒時の方が高い能力を有する筈。睡眠とは脳が寝ている状態だからだ。レム睡眠時には夢を見る。これは特殊な事だ。何故なら、夢は映像体験である。眼を閉じているのに“見る”という感覚体験をするからだ。覚醒時に眼を閉じても“見る”事は不可能である。覚醒時の思考は睡眠時の夢に遠く及ばない鈍い“気がする”程度の事である。それは感覚体験でなく、神経のパターンの再現である事による、脳の能力の限界ではないのか。それなのに、能力の劣る筈の睡眠時に、覚醒時を遥かに凌駕する力(映像体験能力)を発揮するのはおかしいではないか。もし、脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。

A 回答 (24件中21~24件)

唯物→感覚器官である脳内で感覚的な繰り返し繰り返し繰り返し。



↑唯物論を肯定したいわけではありませんが、これがどうして反駁になるのですか。あなたが自分自身でおっしゃっているように、夢が物質世界から生じているという仮説を、既に述べているのではありませんか。ラテン語で話したことのない人は、ラテン語でしゃべっている夢をみませんし。

あなたの言葉で説明するならば、覚醒しながら考え続ける行為だって感覚体験たりえるのでは? 本を読む→想像する。 これも感覚体験でしょう(笑)

覚醒している時の映像を凌駕するのは気のせいでは、そうでないとしても、覚醒しつつも潜在意識を掘り起こす催眠をかければ人は過去の記憶にさかのぼり映像を見ます。そんなことしなくても映像を見る人がいます。私はこれを一種の霊視だと思っています。私は幽霊を信じていませんが幽霊は見るんです。映像体験したくなくても映像体験できる時があるのです。夢によって唯物論をうちやぶるならば、脳が別の世界へ繋がるアプローチをどう見つけるか?、であると思います。

宇宙思念体があって、
脳という受信機でその電波を拾うには?とか。(カルト
イデア界や自由意思や実存をどう掴むか?みたいな。

この回答への補足

>唯物-感覚器官である脳内で感覚的な繰り返し・・・
覚醒時の意識の事ですか?それが反駁・・・とは何でしょう?
私は反駁を募集しましたが、私は今の所誰も反駁した気がしませんが。
私が何故、夢が物質世界から生じていると述べたのでしょう?そんなつもりは全くありませんが。

>覚醒しながら考え続ける・・・
本を読む事は、視覚と聴覚を使用する感覚体験ですね。想像する、思考する、思い出す、というのは感覚媒体を使用していないので、感覚体験ではなく、感覚パターンの再現である、と申し上げているのです。
 「感覚パターンの再現を知覚する感覚体験だろう?」とおっしゃるなら、感覚体験でしょう。しかし、感覚パターンの再現と、感覚器官の感覚体験では、明らかな鮮やかさの差異がありますね。私が申し上げているのはそこです。夢は、感覚パターンの再現にしては、感覚器官(主に視覚)を通じた体験と何ら変わらないではないか、という事なのです。

>覚醒時の映像を凌駕するのは気のせい・・・
常人は、眼を閉じてはものが見えません。夢は眼を閉じているのにものを見ます。覚醒時眼を開ければものが見えます。覚醒時の視覚映像を夢の映像は凌駕するかどうか分かりません。が、眼を閉じた時の感覚パターンの再現を、夢が凌駕するのは明白な事と感じます。
 あなたが霊能を有してらっしゃるなら、常人を超えるのですから、覚醒していながら眼を閉じても見える。だから、睡眠時の夢と覚醒時の霊能の区別がはっきりしないのではありませんか?
 だから「覚醒している時の映像を凌駕するのは気のせい」という発想が生じるのではありませんか?

補足日時:2007/09/22 09:22
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>あなたの心は振動ですか?


心は、物質世界では永遠に説明のつかないものではないのですか?

そうですね心は振動ではないです。ただ夢そのものは心の反映でありそれが神経や脳と比例しないというのはいえるのではないでしょうか?


>脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。

夢の能力を覚醒時に使用できないのは覚醒というのが夢の能力以外の能力を使っているからではないでしょうか?もしくはコントロールが難しいのではないでしょうか?

この回答への補足

>神経や脳と比例しないというのは・・・
夢が脳から独立しているという事でしょうか?それなら、私がまさに主張したいところです。詳しくは次の方の時に述べます。

>夢の能力以外の能力を・・・
 私は覚醒時、心は脳というコンピュータを使用する事により物質世界に現れる事が出来ている、と考えている者です。夢とは心が脳という鈍い五感の牢獄から開放される状態と考えています。夢の記憶とは、五感の牢獄から解放された時の経験の一部を、脳に刷り込ませたものではないか、と考えています。
 そういう意味で、夢の能力と覚醒時の能力が、全く次元の違うものではないか、と考えています。
その根拠が最初の文章だった訳ですが、文字数制限についての誤解によって、結論まで述べられなかったので、次の方の時に述べたいと思います。

補足日時:2007/09/22 08:42
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大乗仏教のですかね。

この回答への補足

この考察にジャンルなどありません。私のオリジナルなものです。が、何に似ているとかいうレッテルなどどうでもよろしいです。
否、あなたはもしかして、「覚醒時それを使用出来ないのは大乗仏教の矛盾である」と、私が述べているか?、と私に聞いているのですか?。
眼を閉じて映像体験出来る能力があるなら、睡眠時より能力が高い筈の覚醒時に、それを発揮出来ないのはおかしいではありませんか?
だから、眼を閉じていながら映像体験をするという特殊な状態は、脳の能力の範疇を超えると解釈するのが自然ではありませんか?無理矢理脳が全てを取り仕切ると、難解な語句をこねくり回して唯物主義の成立をこじつけなくて良いのではありませんか?

補足日時:2007/09/21 17:14
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それは多分意識の世界が解明できていないからではないでしょうか?


睡眠の意識と覚醒時では構造が違い構造によって意識が連動するからではないでしょうか?つまり神経的能力とで意識の連動が比例しないという画期的な証明なのではないでしょうか?

この回答への補足

脳という物質が、意識世界という非物質を解明出来るとお考えですか?
脳が、何億個の神経細胞を有するのか、私は知りません。しかし、数など全く関係ありません。神経のバイブレーションは神経のバイブレーションに過ぎませんね。それ以上に何があるのですか?それがどうして心とリンクするのですか?
脳研究は進めば進むほど、脳という物質の仕組みを解明して行きますね。しかし、物質の仕組みは説明すればするほど、脳という機械を暴くに過ぎませんね。神経の振動が、何故あなたの心なのか、解明など出来る見込みは無いのではありませんか?あなたの心は振動ですか?
心は、物質世界では永遠に説明のつかないものではないのですか?

補足日時:2007/09/21 17:58
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